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パインツリー

先日、熱海に行ってきた。その日は朝からすごい雨と風で、果たして熱海まで辿り着けるかひどく不安だった。実際、途中で東海道線が強風のせいで止まってしまい、先へ進めなくなってしまった。ぼんやりとした気持ちで駅の電光掲示板を眺めていたが、一向に動き出す気配はない。でも、一緒にいた恋人とまあこういうこともあるよねぇ、とのんびり待っていた。
一時間もしないうちに、列車が動き出した。徐々に雨音が和らいでいく。
ゆらゆらと揺られているうちに、眼前にやや灰色がかった青い海が現れた。ああずっとこの景色に浸っていたい、などと思いふけっている内に、熱海に着いた。

この天気のせいか、観光客の姿はまばらであった。人の少なさと、曇天と、ノスタルジックな景観があいまって、その日の熱海はどこか寂しい顔をしていた。以前人でごった返した熱海に行ったときは、もっと人が少なければなぁなんて思っていたけれど、こう実際少ないと不安になる。人間ってわがままな生き物だとつくづく思う。
昼食を済ませ、向かったのは熱海銀座のアーケード街に佇む「パインツリー」という喫茶店。どこか哀愁漂う装いで、なんとも言えぬ魅力を放っている。どうやら近年は、レトロブームの影響で若者に人気を博しているらしい。
扉を開けて店内に入ると、うす暗い空間の中に和洋折衷の装飾品が不思議な調和を保って鎮座しているのが印象に残った。ずらっと文字の並ぶメニュー表を眺める。この上なく幸せなひとときである。恋人と何にしようか、まようねぇなどと話し、チョコバナナパフェに決めた。運ばれてくるまでの間、机になっているインベーダーゲームに興じる。恋人は器用にブロックを積み上げる一方で、私は穴ぼこだらけの何かを作り上げていた。
ふと気が付くと、もくもくと白い煙を上げたパフェが目の前にある。愛らしい盛り付けと相まって私の乙女心がくすぐられた。かわいい。
甘いチョコレートソースとねっとりとしたバナナのハーモニーが幸福なひと時を作り出す。恋人とおいしいねぇ、しあわせだねぇなんて言い合いながらもぐもぐ食した。気づいたら、パフェグラスは空白になっていた。

しばし、ゆったりとした時間に身を委ねたあと、わたしたちは再び熱海の町へ繰り出した。いつの間にか雨はやみ、青い海が広がっている。今日の熱海はわたしたちのものだね、なんて戯言を言いながら駆け出した。


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