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知る人ぞ知る究極のメニュー”落ちイワシの刺身”

 春の彼岸から5月半ばの大野湊神社の大祭までがイワシ漁の盛んな時期で、刺し網漁でとったイワシが金石はもちろん金沢中に溢れた。
 刺し網漁とは漁法のひとつで、普通網で魚をとるというとタモで魚を取るように網で魚を囲んですくうイメージがわれわれ素人にはあるがそうではない。刺し網漁は網の目の大きさが重要で、狙う魚の頭は入るがお腹でつかえる目の網を用意する。夜の漁に向けて、その網を魚の通りそうなところに張る。真っ暗になったところでイワシの大群がやってくるが、夜の海の中イワシは網に気づくことなく、網の目に次々と頭から刺さっていく、というのが刺し網漁である。

 刺さったイワシは手で一匹ずつ抜かなければいけないが、この作業は帰港して網を浜におろして行う。抜いたイワシを浜の砂に落とし、キナコ餅のように砂をまぶして箱に詰める。こうすると鮮度が落ちない。冷蔵庫も氷もなかったころの知恵である。このイワシを外に売りに行くのに漁師の母ちゃんたちがカゴ背負って、リヤカー引いて、はたまた天秤担いで金石街道沿いの村々はもちろん森本や鶴来あたりまで行商したそうである。これらのイワシは「金石のさっしゃみイワシ」「金石の砂付きイワシ」と呼ばれ、春の金沢の風物詩であり、新鮮で美味しいイワシの代名詞であった。

 さて、金石の人々は魚介類の質には敏感であり独特の基準を持っている。グルメ番組でよくズワイガニの脚を折ったら殻がすっと抜ける。脚の剥き身がだらんと出てきて、そのままかぶりつくなんてシーンがある。金石の基準でこれはアウト。殻がすっと抜けるのは身がスカスカなおぞくたいカニだというのだ。
 レシピ本でイワシを刺身やカルパッチョにするとき”手開きにする”とあれば「刺身にできないこともないけどね。」てなもんである。(金石基準の)新鮮なイワシであれば身と中骨が容易に離れないので包丁で捌くしかない。手開きできるものは少し落ちるのだ。

 旨いと評判の金石のイワシも、地元ではさらに新鮮さによって何段階かに評価される。
 まず、地元にとどまるものと外に出るものがある。砂をつけているとはいえ運ぶ過程で鮮度はどうしても落ちる。地元では塩茹でが好まれ、外では塩焼きが好まれるのもそれが原因かもしれない。塩茹では鮮度が悪いと生臭くなる。
 次に、日の出前に陸揚げされたものと日の出後のもので分かれる。気温の上昇や日光のこともあるが、陸揚げが日の出後になるというのは、大漁だったからだ。船の上でも陸の上でも手数が増えるのでその分だけなれる。これが刺身にできるかできないかの目安の一つになった。この判断を誤ると容赦なくあたり、腹が痛くなったり蕁麻疹が出たりする。このような事情からイワシの刺身は産地でしか食べられない御馳走であった。

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 最後に紹介するのが、金石の中でも知る人ぞ知ると言われる表題の「落ちイワシ」である。夜明け前に帰港して陸揚げされたイワシは最高の鮮度を誇るが、鮮度をとことん求めるならその後の行程に少し気になるところがあるというのだ。
 前述したように刺し網漁に掛かったイワシは、母ちゃん達の手で網から外される。その時わずかだが手の熱と力がイワシに加わる。そのわずかな分だが生臭くなるというのだ。
 ではどうするのか。網を陸揚げしたとき、自然にほろりと外れ砂浜に落ちるイワシがある。それが究極の鮮度である金石の落ちイワシだ。たらいをあらかじめ用意して、漁師に直接売ってもらい朝ごはんに食べる。この話を聞いて思い返す度に食材の素晴らしさもそうだが、美味しさを極限まで追求する人達に脱帽する。

 註)刺し網で外したが売り物にならないようなものは浜に捨て置かれそれも”落ちイワシ”と呼んだそうだ。食べるものがままならない時代の貴重な栄養源であった。

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