豆アジの刺身にネギと生姜をたっぷり混ぜ、醤油をひとまわしして食べる。
金石の料理の特徴を一つ表すと
”売れない魚”×”金石の母ちゃん”=”金石の食文化”
ということが言える。今日はこれについて説明していく。
金沢の港町金石にはたくさんの漁師がいて船に乗って海に出て、魚を獲ってくる。獲れた魚は市場に出荷し、あるいは漁師の妻などが行商したりして、とにかく売れるものは全部売って現金に換えるが、中には売れないものもある。
どういうものが売れないのか?ひとつは足のはやいもので、ガスエビが代表である。金沢ではアマエビが有名だが金石ではガスエビの方がありがたがられる。今でこそ流通が発達し市場にも出回ってはいるが、鮮度が落ちやすく昔は漁港周辺でのみの消費だったらしい。
次に下魚でゲンゲンボウやタチウオなどがそうであった。前者はヌルヌル、後者はギラギラと気持ち悪いとのことで昔は市場に出せなかったようだが、今ではどちらも高級魚で隔世の感がある。
また少量しかとれず箱詰めできないもの出荷できない。漁の狙い外のものがこれにあたる。
そして小魚である。タイやカレイなどは大きければいい値がつくが、手のひらサイズになると調理が面倒で、やはりこれも敬遠される。
それら売れない魚介をどうするかというと、バケツに等分して賄いとして漁師に支給される。家庭があるものはそのまま持ち帰り、また親戚や近所の人におすそ分けしたり、あるいは酒代の足しにしようとバケツ一杯500円で売ったりと、とにかくそうやって売れない魚が金石の町中に流通する。バケツには獲ってきたばかりの小魚やエビにイカ、青やら赤やら白やら色とりどりでさながら宝石箱のようだったという。
売れないといっても本当はこういう魚こそ味が深いのであるが、それを引き出すには知恵と経験と手間が必要である。そこで金石の母ちゃん連中の出番である。これらの魚を調理していく上で母ちゃん達の頭の中にあるのはどうやって美味しくするか、どれだけ手変え品替えできるか、いかに時間差で消費するかの3つである。
美味しくつくろうというのは自然なことであろうが、いくら美味しくても同じものばかりというわけにはいかないので、生で食べたり焼いたりフライにしたりといろいろ工夫して手変え品替えする。またバケツ一杯分を一食で食べることなどできないので、すぐに調理するものと酢に漬けたりして1~2日中に食べるもの、塩したり干したりして長期に保存するものなどと時間差をつけて消費するように頭の中で段取りしていくのだ。
こういう毎日を何十年と送り、そこで積み重ねた知恵と経験を嫁に伝えて、また主婦どうしで共有することで金石の町としての知恵と経験が保持され、展開されてきたのだと思う。
”売れない魚”×”金石の母ちゃん”=”金石の食文化”冒頭で金石の料理の特徴を以上のように記した。売れない魚とはすなわち金石以外で流通しない魚介である。金石だけで用いられる材料を使って、地域で蓄積された知恵と経験を持つ金石の母ちゃんがそれぞれ創意工夫していくと独特の食文化が生まれるのは必然であり、それが金石の無形の財産なのだと思う。核家族化や過疎化が進む中、以前のような文化の継承が難しくなっている。文化は現実にも記憶にも記録にされず失われてしまえば、それは永遠に戻らずもっといえば最初から存在しないのも同然である。なんとかこの貴重な金石の宝を何らかの形で残していきたい。
さて、この時期の小魚といえば豆アジである。南蛮漬けにするのが一般的だが実は刺身にすると上品な脂のノリで、普通サイズのものより格段にウマい。ゼイゴを除いて皮を剥いて、三枚おろしにして一切れから三切れしか身がとれず、調理に莫大な時間がとられるがそれども刺身にするのはその味ゆえである。あとは表題にあるように、ネギと生姜をちらして醤油をかけて食べれば最高のご馳走である。
一つだけコツをいうと、三枚おろしにする前に背中に切り込みを入れて皮を剥くこと。通常どおり三枚におろしてから皮を剥こうとすると難儀する。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?