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流行に乗ることも作ることもできない私は無能以外の何なのか。

この文章は自分に対しての戒めであり、特定の団体や個人を批判するものではありません。

詳細は伏せるが、私はクリエイターである。語り名は大層だがアマチュアの、ある界隈でのみ名が通る程度の者だ。

さて、私が言うその「ある界隈」では昨年から、横のつながりをやたら意識する傾向が見て取れるようになった。クリエイター同士が組み、一つの作品を生み出す合作、コラボが流行りだしたのである。

原因は私など到底太刀打ちできない有名なクリエイター同士が始めた、長期的かつ統一性のあるコラボ作品の爆発的なヒットだろう。同界隈はそれまで広く普及したものではなかったが、某プラットフォームを占拠するほどそのコラボは知れ渡ることになったのである。

当然それを妬む者や、厄介者扱いする声、該当の作品が一部ファンの解釈違いや地雷を踏む…など議論された点もある。それでもおおむね彼らと多くの消費者にとっては成功だった。更に私はコラボ参加者のクリエイターとは接点が一切なく、同じ場所での活動とはいえ方向性の違う分野にいたため全く気にしていなかった。「嫌(興味がない)なら見なきゃいい」ということが、できていたのである。

ただしそれは、あくまで作品が流行っていたからに過ぎない。

某プラットフォームは昨年の半ば、当サイトに投稿された作品の人気投票を突然開催した。結果は簡潔に、TOP30のほぼすべてを某コラボ作品が埋めるという凄惨な結果になった。正直、こうなることは予想がついていた。私も最終ランキングにいたが、万が一にも彼らに勝つことはないと諦めきっていたので、悔しさはなかった。むしろここまでやり切った彼らはやはりすごいと称賛するばかりだ。
※このランキングはファンによって投票され、自動でエントリーすることからクリエイター側から好戦的になる理由もなかった。

ではなぜ、凄惨な結果という表現が私の口から出るのか。

結果が公表された瞬間、多くの人間が不穏な雰囲気を感じ取っていた。当事者たちもこの結果に多少苦言を述べるまでに至る。貯まったうっ憤から「出来レースだ」と文句を言う人間もいた。炎上、とまではいかなかったものの、酸素が薄かったのは間違いない。

挙句の果てに、「某コラボ以外見るものがない」「他の作品が全てつまらないからこんな結果になるんだ」と言い出す者まで現れだす。悪気無しに、あたかも正論のように言う彼らには、状況を悪く捉えないように努めようとした私も心が折られそうになった。

しかし、本当はそんな罵詈雑言はどうでもいいことだ。結果を真摯に受け止め、分析したものが次のチャンスを作ることができるということを、私たちは忘れてはいけない。

ランキングの結果や、このヒットから明らかにできることが一つある。それはこの界隈における人気クリエイター同士のコラボは、ファンを「合算」できる大きなチャンスだということだ。一般的なコラボでは一時代を作りあげるような大きな効果を望めないが、私たちの場合は違った。私たちの作品は共通したキャラクターが、コラボ相手、更に同界隈の違うクリエイターの作品にも登場するという特徴がある。わかりやすく例を挙げるとゆっくり霊夢、ゆっくり魔理沙みたいなものだ。(何の話をしているか察しがついている方にはお叱りを受けるたとえであることを謝罪させてください)

ゆっくりよりもキャラクターのイメージが強く押し出されるという特徴もあることから、クリエイターのファンよりキャラクターのファンの方が多いというケースがほとんどだ。つまり、ファン層の違いからソーシャルゲームなどで起きがちなコラボ萎えの可能性を低減できる。同界隈においてクリエイター同士のファンの合算は、ほかのコラボよりも簡単かつ効果的なのである。

ここまで気づいてなのか、成功した手法だけ知ったのかはわからないが、コラボがこの後爆発的に増えていく。明確にファンを伸ばすための取り組みが増えたのだ。悪いというつもりはない。どんな方法だろうと、アピールしたもの勝ちの世界だ。何も問題はない。

そして、私の扱う分野にも流行はやってきた。
関係ない話ではなくなったのだ。

私が扱う分野は、ほかの分野と違いコラボが非常に難しい。Youtuberのコラボを想像してほしいのだが、たいていは同じゲームを遊んだり、共に旅行をしてみたり、会って話をしたりというものだ。しかしこのどれもが私には厳しい。

私は「自分でお話を書くこと」がメインのクリエイターだったからだ。ゲームや旅行など、ほかの人と共有しやすいサブタイトルがあるものではない。

しかし最近、この問題を画期的な方法で解決に導いたクリエイターの集団がいた。違うクリエイター同士が同じ素材を扱ってそれぞれのお話を書くというもので、その様子は疑似コラボと言えそうだ。使われた素材はコラボとはまた別の流行りとしてミーム化するというおまけつき。

初動は有力なクリエイターたちが連携を取るように作品をほぼ同時に作り出す。こうして流れを作るのだ。乗っかるようにコラボ外にいたクリエイターたちも次々に作品を生み出していくのだが……。

ミームというのはネタ元に注目が集まりがちだ。つまり初動、もしくは起爆剤になったものが一番注目される。おそらく、このクリエイター集団はそこに気づいている。自分の人気を伸ばすには疑似コラボとミーム作成は効果的だと、解っている。

再三になるが、私は人気を取ることが悪いことだとは考えていない。しかし何故か引っかかる。他の分野の考察では思うことがなかったのに、この分野では違和感になる。この流れに、どうしても負の感情を抱いてしまう。

考え抜いた結果、私が違和感を覚えたのはコラボではなく、ミームの作成だとわかった。

そして、ここからは感情論の話だ。

最初からここまで、コラボの流行りに対してつらつらと語っていた。しかし実際はその副産物が私を苦しめているのだ。コラボは、クリエイター同士が自分の努力の結果集めたファンを合算する行為だ。クリエイターが、クリエイター同士をファン獲得のため利用しあうことだ。

それは彼ら自身の努力の結果がそのままコラボの成功につながる。

然しミームは違う。この界隈では共通のキャラクターがいると書いた。そのキャラクターをファン獲得のために利用する行為が、嫌だったのだ。キャラクターを素材化し、明確に人気を獲得するために扱われるのが、私は嫌だったのだろう。

何度も、何度も言う。整理して言う。私は人気を取ることに違和感を覚えているのではない。キャラクターを、愛なく、利益のために利用する。そこが苦しかったのだ。キャラクターが好きで、創作している私には。

この界隈のコラボが成功した理由は、共通するキャラクターの存在だと、もう一度言わせてほしい。それを、ただの便利なツールのように扱われているのが、悲しかったのだ。

同じようにキャラクターが好きだったからお話を書いていた人たちが、効率的なやり方として手を染めたのがとても、悲しかったのだ。

Pv数、フォロワー数を重視すること。クリエイターとして正しいことだ。
流れを作ること、それは偉業だ。
多くのクリエイターと組み、彼らはやってのけた。

すごいが、相いれることはできない。
界隈がミームという便利ツールを求め、このまま利益を出すことに突き進むのであれば。愛で創作をしている私はこの界隈について行けない。

嫌なら見るなはもうできない。同じ界隈にいる限りどうしたって目に入る。twitterのミュートワードは役立たず、某プラットフォームはミュート機能すらないのだから。

つまり界隈を出て、好きを捨て、引退するしかないわけである。

この文章をお読みになった方で、反感を持つ方もいるはずだ。
だが恥を忍んでお願いしたい。タイトルと第一文をもう一度読んでほしい。

つまらない思考をしてるのは私だ。
界隈の雰囲気の変化に、流行に乗れない私なのだ。

これはただの断末魔であり、極めて無価値なものだ。


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