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まだまだ経験しきってない。

3月15日の夜から20日まで
埼玉から群馬、八ヶ岳
諏訪大社、諏訪湖へ


私自身、結婚してから

単独でこんなに長期留守にするのは「入院」以外なかったのです。


今回は学ぶ(体験経験しかなかったですが)
ひたすら歩く旅でした。


私は「本質」の体験を重ねたいと今回強く思いました。


「話」を聞いて理解し(経験がなければ理解には至らないのだが)

納得した(これとて納得には至らない)としても

「身体に、肚に入らない」

肚に入ったとしても染み込ませないと習慣にはならないし、自然の中から学ぶこと体得すること
目線を自然に戻すこと。


ガツガツしたところで

それは単なる我でしかないです。

無料で体験したところで
本気にならないし、なにも得られない。


ガツガツした「我」は
表にでてしまう。
顔に出る

そして視点も経験も体験も

体得することも
「今、立っているところからなんら進んでなく、なんなら後退している」ということを

今回はっきりわかりました。


そして、神社というものと

神様のいる地場というものと

私のこれからの本質的な役割(神仕組みの役割)

それらを踏まえて動くことを選択しました。


来月は出雲地方(出雲大社はいきません!)


これも建御名方神と大国主大神が「仕組まれた」こと

その神仕組みのなかに

やっと私も入れていただいたのだとわかりました。


旅の備忘録として

ここに記載します。


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