見出し画像

わたしのお産(促進剤からの帝王切開)

書こう書こうと思っていた #出産レポ です!完全なる自己満の備忘録だけどどこかに残しておきたくて、でも長くなりすぎちゃうからなぁと思ってnoteにまとめることにしました。

概要としては、予定日から1週間経っても陣痛来ず41週から分娩誘発で入院、初日はラミナリアで子宮口拡張、2日目から促進剤を打ち続け、入院5日目のお昼ごろに帝王切開で赤ちゃん誕生です👶

昼間は促進剤でクタクタなのに、夜も陣痛がおさまらなくて2晩続けて眠れず、疲労が限界に達してからの赤ちゃん誕生だったので、ものすごくものすごく長い戦いでした…無事に生まれてきてくれて本当によかった🙌😢💕

✅入院前
予定日1ヶ月前からほぼ毎日ウォーキングし陣痛に備えたり、各種ジンクスを試すも子宮口はガッチリ閉まっており、予定日1週間後から分娩誘発で入院することに。

✅入院Day1
朝から入院の手続きを済ませ、すぐに子宮口を広げる処置。 #ラミナリア と呼ばれる海藻でできた水分で膨らんでいく棒を6本入れた。入れる時は痛い痛いと聞いていたけど私の場合全く痛まず拍子抜け。
夕方から前駆陣痛のようなものが始まり、AM2時ごろには痛みで目が覚めるほどに。お産が来るかもしれないから寝ておいてねと言われ、その後2時間だけ寝られる。朝まで待つも結局本陣痛にはつながらず💦

✅入院Day2
あまり寝られなかったけれど朝になり、8時からオキシトシンの #促進剤 を点滴で投与開始。注射がNGなわたしにとって点滴は本当にしんどかったけど耐える。
促進剤は時間と共に徐々に投与量を上げていくスタイル。「よく体を動かしたほうが効きが良い」と助産師さんに言われ、ウォーキングしたりスクワットしたりする。友達から聞いていたように陣痛の初めの方の痛みは生理痛や便秘の痛みのような感じでまだ耐えられる。昼頃からは痛みがどんどん強くなり、お腹が中から押されてパンッパンになのに外からは相反してギューーーーっと圧力をかけられてる感覚。
陣痛は痛みとともに数分おきに襲ってくる。その時にはわざとスクワットをしたり、立ちながら腰を揺らしたりして、重力を使って赤ちゃんが下に降りてこられるようにしていた。早く終わらせたいから痛むけど痛みを受け止めにいく。同じことをその後5時間くらい繰り返した。ピーク時には立っていられないような痛みと、動くことによる疲労とで流石にどっと疲れてくる。精神面ではアドレナリンが出ていたのか気力で持ち堪えていた。

しかしこの日は途中からどんどんわたしの血圧が上がる&発熱。促進剤が終わる16時頃には38.9度で、上は140の高血圧に。1日動き続けて全身の疲労も半端ない。母体の高熱で赤ちゃんの心拍も上がってきてしまったので、その日は促進剤終了後にナースステーション横のLDR(陣痛&分娩室)で休むことに💦

解熱の点滴をしながら、赤ちゃんの心拍が戻らなければ帝王切開と言われて焦ったけど、深夜ごろにわたしの熱が下がり赤ちゃんも回復し帝王切開は免れる。前日眠れていない&疲労もありこの日はぐっすり眠れた。

✅入院Day3
熱が下がったのでこの日も朝8時から促進剤の投与開始。同じくオキシトシンの点滴。内診では子宮口の開きは2センチと言われる。(10センチまで開かないと赤ちゃんは生まれて来ないのでまだまだだな…と絶望する)
前日と同じ流れ。同じように促進剤にはちゃんと体が反応し陣痛がくる。陣痛中はお腹が痛むタイミングでスクワット。これは本当にしんどい、でも股割りをしてると痛みが少しましになるような気もしたし、赤ちゃんが降りてきやすい気がして続けていた。

#子宮収縮 (赤ちゃんを外に押し出そうとする体の作用)の具合をNSTという装置で確認しながらの点滴なのだけど、子宮収縮の値が昨日から何度もしきい値を📈飛び越えてしまっていたのでこの日は装置の値を調節。つまり促進剤に反応して子宮収縮はかなり大きく起こっていた。助産師さんには「痛みに強いですね」と言われたけど、内心は(痛いけど、毎回痛みで転げてたら体力がもたないから静かに耐えてるんです…)と呟いていた。

昼過ぎになりさすがに2日目で体力の消耗も激しく、でも良い陣痛が来ていたので気持ちの面では希望を持っていた。疲労で足がガクガクでスクワット出来ず、しゃがみ込んでしまうことが増えてきたら、監視カメラ?でその様子をやばいと思われたのか、産婦人科の医長先生が来てくれて急遽診察。内診グリグリ(卵膜剥離)される。激痛との噂だったけど全然痛くなかった。子宮口は3センチと言われ、赤ちゃんの頭の回旋は始まってるとのこと。内診後は先生のゴットハンドのおかげでこの日一番強い陣痛がバンバン来る。昨日から出ていたおしるしも更に頻繁に出るようになった。
しかしその痛みも虚しく、また16時ごろに点滴が終了。この日も8時間頑張ったけど本陣痛に繋がらず。終わった後は疲れて放心状態。そしてまた熱が出て高血圧に。
そしてこの日は夜も寝られない陣痛が続いた。昼ほどは激しくないものの眠れないくらい痛む。10分に1回くらいで襲ってくるので、ウトッとしてもまた目が覚める。しっかり休んで体力もメンタルも回復させたい状況でこれはキツい。この回復しない体でまた明日ずっと痛みに耐えるのかと思うと絶望したい気持ちになった。結局全然寝られないまま朝を迎えることに。。これが結構メンタルにこたえて、声を上げて泣きたい気持ちに。

画像1

→夫に送ったLINE


✅入院Day4
ほぼ徹夜で迎えた促進剤3日目。朝の内診でまさかの子宮口3センチ→2.5センチに閉じたとの診断が。子宮口って閉じるんだ…という驚きと、昨日1日の苦しみは一体…と白目を剥きそうになった。。(促進剤は子宮口を開かせるためにやっているので)
エコーで赤ちゃんの様子を見ると頭がまだ真正面?を向いていて頭の回旋が不十分と言われて、ここでも内診グリグリされる。お守りのようにもう一人傍にいた先生にもやってもらう。
先生からは同じくオキシトシンを点滴する予定と言われたけど、他の先生が言っていた #プロスタグランジン という別の促進剤が気になりそのことについて聞いてみる。オキシトシンで反応が出ているのでこのまま続けたいが、お産の進みはたしかに悪いので、一度プロスタグランジンに変えてみることになった。
この日も8時から投与開始。オキシトシンより投与量が多く、点滴3日目の腕が腫れてくる。
ほぼ徹夜で迎えた日でとても疲れていたので、助産師さんに相談して分娩台のベッドであぐらをかきながら点滴をすることに。もうウォーキングもスクワットもできないよーっていう心境。休んでもいいと言われて本当に気持ちが楽に。初日の助産師さんに言われた、動いて!動いて!というのがかなりプレッシャーになっていたから。疲れた時に休むのは当たり前なんだけど…休めたことで気持ちが前向きになった。

あぐらをかきながらオルゴールのCDを聞いたり、アロマセラピーのマッサージをしたり。すると赤ちゃんにこれから会えるんだという幸せな気持ちになり、なぜか泣けてきた(笑)陣痛で痛むときは鼻から吸って、口から細く吐いていくんだけど、その繰り返しすら少しだけ幸せな気持ちに。アロマセラピーはこの日の気分だったジャスミン精油を使って乳頭のマッサージを助産師さんにしてもらう。香りで呼吸が深くなって息もしやすい。あと乳頭のマッサージはオキシトシンの分泌を促すそうで。腰の周りにも塗布したかったけど、NSTの帯が付いていたのでオイルを付けられず。足元もツボを押したかったけどお腹が大きすぎて手が届かず。
しかし幸せな時間は束の間、11時ごろには座っていられない痛みになりまたスクワットとウォーキング開始。本当に痛くなると椅子には座ってはいられない。

子宮口が開かないのにまず陣痛がくるっていうのは促進剤の特徴かと思うけど、このプロスタグランジンはとにかく腰回りに痛みが来る。腰が膨れ上がる感覚になり、仙骨あたりがミシミシ痛む。(オキシトシンは下腹の前の方がパンパンになる感覚だったけど) 促進剤によってこうも痛み方が違うとは…!

ご飯は前日から食べる量が徐々に減っていたけど、この日はとうとう食べられなかった。そこで持ち込んでいたゼリー飲料をなんとか流し込む。コンコンと続く痛みにすでに30時間連続で耐え続けてるのと、寝てないのと、気持ちも疲れているのとでメンタル崩壊寸前だけど、陣痛は止まらないのでひたすら耐え続ける。

14時ごろに点滴が終了。この日も全身運動で体力が全て奪われていたので、正直点滴が終わって安心する気持ちが大きかった。点滴終了後も陣痛は続いているけどもう今日は休みたい。。
しかし初めましての助産師さんに「陣痛来なかったなら今日は促進剤おかわりになるかもですね〜」とサラッと言われて呆然。その後またたくまに抑えられない大号泣😂ひとまず点滴が終わるまでは頑張るぞ…と最後の気持ちを振り絞っていたので、サラッと言われた"おかわり"という言葉が大ショック。。
イギリスに電話して旦那氏召喚。そして子どものようにワンワン泣きながら「もう今日は促進剤は打てない〜」「一度家に帰りたい〜」「明日からまた頑張るから〜逃げずにちゃんと病院に来るからぁぁ〜😭😭」と限界突破の訴え。家じゃない場所であんなに声を上げて泣いたことってあっただろうか。。
そこに交代前の助産師さんが来て、「一度全てを立て直したいので今日は家に帰りたい…」と改めて訴え、外泊の許可を打診してもらうことに。連日の促進剤で体力消耗していたので、おかわりというとこは本来無かったらしいけど… とにかくその言葉でこれまで我慢していたものが全て溢れて爆発してしまった…😂思い出すと恥ずかしい。。

一時退院の手続きを開始しようとすると、張り詰めていた気持ちが和らいだからか陣痛がまた再び強くなってくる。「こんなに強い陣痛だと帰せませんね…」と困惑気味に言われ、ひとまず様子を見ること2時間。帰りたい気持ちと、痛さと、でも陣痛が来て欲しいと気持ちのせめぎ合い。結局少しずつ陣痛が弱まる兆しがあったため、帰宅できることに。母に迎えにきてもらう。

18時ごろ家に帰ると本当に体が疲れていて、トイレに行くにもリビングに行くにも亀のようなペースでしか動けない。安心してご飯は食べられたけど、また陣痛が強くなってきて、結局23時ごろまでベッドに横たわって5時間、痛みに耐えることしかできず。途中から全身が強く震えだし、それが抑えられないほどになったので病院に連絡。戻りたくないなと思いながら。病院だとやっぱりどことなく緊張してるし、家でリラックスして陣痛をやり過ごしたいと思っていた。なんでこんなにガタガタ震えるんだろうとぼんやり考えたけど、もう自分にとって痛みがただただ恐怖になっていることに気づき、また逃げられない終わりが見えない痛みにひたすら耐えていることに体が拒否感を示しているような感覚にもなっていた。

病院に戻ってきてくださいと言われて夜間救急に飛び込み、また入院へ。高熱が出ていたので、LDR(陣痛&分娩室)の部屋に入ることに。全身の震えと吐き気で助産師さんいわく本陣痛が始まってるかもしれないから、なるべく寝てお産に体力残しておいてね、と言われる。本陣痛なら〜頑張れるかも〜お願い生まれてきて〜と心の中で叫ぶ。
大部屋二つ分のかなり大きな部屋にポツンと1人で入ることに。リラックスしたいから部屋は真っ暗にしてもらい。コロナでもちろん面会や付き添いはなし。
とにかく耐えるしかできない。ひたすら痛みが来ては耐え、痛みが来ては耐えの繰り返し。寝たいけど寝られるはずもなく。疲れでウトっとできてもまた陣痛の痛みで覚醒する。だんだんカーテンの向こうが明るくなってきて朝になった。

✅入院Day5
なんとか朝まで生き抜いて耐え抜いたのに、6時くらいの内診で子宮口がまだ3センチだと言われる。陣痛にこんなにずっと耐えてるのにまっったく開いてない…ともう絶望。。なんでこんなに頑丈なの。。
そこで助産師さんにずっと考えていた #帝王切開 の希望を伝えてみる。もう丸2日寝れずにずっと陣痛が続いてること、このままあと何日耐えればいいのかわからないこと、痛みが耐えず襲ってくるのが拷問のように思えること、精神面と肉体面を考えてももうそう長くは耐えられないこと。すると帝王切開は通常そういう理由では受け付けていない、赤ちゃんは元気そうだし難しいと思います、と告げられる。これには本当に絶望。。もう何度絶望という言葉を使ったかわからないけれど。。
怒られるかもしれないけどわたしの心情は、10分に1回痛みが1ー2分続く器具に身体をくくりつけられ、眠ることもできず丸2日耐えている、と言った感じでもうこの繰り返しが拷問としか捉えられず、これが続くと気が狂って狂人になるかもしくは精神が死んで廃人になるかもしれないと思った。だからそこから帝王切開を拒まれたことは、それこそ全ての希望を失ってしまうくらい大きな出来事だった。ふと中国の妊婦さんが帝王切開を拒否されて身投げしてしまったニュースを思い出したりして。(身投げなんて絶対にしないけど、気持ちが少しわかってしまったのが自分でも怖かった…)

痛くてずっと電話もできなかったけどやっとの思いでイギリスに電話をし、ことの次第を告げると、人道的な理由でこういう状況の帝王切開が許されないはずがない、許されるべきだ、もう肉体的精神的に耐えられないし赤ちゃんがずっと大丈夫な保証もない、引き続き帝王切開でお願いしよう、きっと大丈夫だから、と。
わたしはもう虫の息だったし、電話の向こうの旦那氏も状況が正確に掴めず、でもかなりやばいということだけはわかっていて、離れているからこそ恐怖心とともに精神的に削り取られている様子がかなりわかった。

次また助産師さんが来たら、強く帝王切開でお願いしようと心に決める。病院側の都合で今日を逃すとあと2日は緊急以外の帝王切開が難しいこともわかっていた。この状況をあと3日続けるのはもう絶対にできない、帝王切開してもらわないと困る!!!という気持ちで。正直わたしは自分の体にメスが入るなんてこと本来であれば許容することなんてできないんだけど(あと生で血を見るのもムリ、血がうつる怖い映画もムリ)、もうこの時は帝王切開してもらえることだけを切望していて、それだけが唯一救われる道だと思っていた。

朝8時ごろ、その助産師さんが産婦人科の先生に帝王切開を希望してくれていることを伝えてくれたみたいで、先生が来る。帝王切開を希望してる旨を伝えると、朝の医師の会議で議題にすると言ってくれた。ここから手術の可能性に備えて、一切の飲食が禁止に。陣痛の痛みは変わらないけど可能性が見えてくるだけで少し違う。
40分後先生が戻ってきて、分娩の進みが悪いという理由で帝王切開にしてくれる旨を伝えられ、心から安堵。やっとやっとやっと終わる。。。

そこからは、あれよれよという間に手術の準備。いろんなリスクがあることを説明され、普通なら怖がってどうしようもないところを良くも悪くも陣痛でいっぱいいっぱいなので、はい、はい、と聞ける。スラッと同意書にサイン。
尿道に入ったカテーテルが違和感マックスで全身脂汗をかいたのが最後の修羅場。陣痛とともにカテーテルがあると言葉では言い表せられない不快感。今にも叫び出す勢いで、これ取ってくださいーーー!!と泣きながらお願いし、2回目でようやく取ってもらえた。わがままいってるのはわかったけど、倒れてしまいそうなくらい自分で管を抜いてしまいそうなくらい嫌だった。。(あとから聞いたら太いサイズのカテーテルだったらしい、別にミスとかじゃないけど。手術前、麻酔が効いたあとに、細いのを入れてもらったら全然大丈夫だった)

そこから手術室に行き、12時ごろ手術台へ。手術室はとても明るくて、エネルギーとかあまりわからないわたしでも「ここにはいい気が流れているな」と肌で感じた。これからお腹を切られるのに。。
頭の中ではとにかく麻酔コールが。麻酔!麻酔!麻酔!麻酔が入って痛みから解放されるのが楽しみでしかたなかった。あと頭の中ではヘンデルのハレルヤが鳴り響いていた。ハーレルヤ、ハーレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレールヤ!!!(頭がおかしいと思われたらすみません。。でも極限状態から解放される時に頭に流れた曲はこれだった…) オーケストラバージョン、すごくいいサウンドで頭の中に鳴り響く。。。今から思い返せばこれは幻聴だったんだな…😇幻聴、初体験!

腰椎麻酔と硬膜外麻酔の併用という最新の設備を備えた病院で(普通は予算の関係で腰椎麻酔だけらしい)、麻酔の効きも良く、効いてからは痛みなんて一切ない、感覚も全然ない。実に5日目の陣痛、痛みがおさまらなくなってからは2晩3日耐えつづけた陣痛、とにかく終わりが来ることが嬉しかった。痛み苦しみのない世界へ。陣痛が壮絶すぎたからか手術への恐怖はほとんどゼロにひとしい。

手術の助手さんのような方が「ロンドンから急な帰国、大きなお腹で本当にお疲れ様でした。これでやっと終わりますからね。赤ちゃんにもうすぐ会えますからね」と声をかけてくれてから手術スタート。ちゃんと帰国した事情を知ってくれてることに驚き。そう、、わたし帰国する時からずっと辛かったんだ、、わかってくれてる人がいるんだなぁ、、とほっとした気持ちに。(コロナが一気に蔓延したイギリスから妊娠34週に帰国し、2週間のホテル隔離後、36週で日本の産院に転院しました)

ハレルヤが頭に流れている間に、すぐに赤ちゃんが産まれてきてくれて産声を上げて、目の端にチラッと見えて。赤ちゃんも産まれた、わたしも生きてる、そして陣痛がおさまった!!もうこんなに幸福なことはないと、ただただ手術台で涙を流した。。初めて見た赤ちゃんは小さくて赤くて、本当ドラマで見るような感じ。そもそもだけど本当にお腹の中に人間がいたんだなと驚きもして。そして愛しい気持ちが込み上げてきた☺️やっと会えたね…!!!

手術してくれた先生は検診の時からお世話になってた女医さん。少し話すだけで素晴らしい人だなとわかる人。執刀してくれるとわかった時嬉しかったなぁ。。
どんなお産にも神様はいるというけど、わたしの場合は手術室にいた。お産の神様に救われて無事に我が子を出産することができた。本当に幸せなことだった…!

もしかしたら、もっとタイミングを待ってあげられれば赤ちゃんが自分から生まれてきたのかもしれない、ペースは人それぞれなのに促進剤を使う必要あったのかな?と考えたりもしたけど。。でも二人とも命が助かっているから結果オーライです…!産前に結構ハードな出来事が続いていたのと難産が重なってしまったので、産後うつのリスクが高いかもと心配もしていたけど、それも全然大丈夫だった🙆‍♀️

こんなにずっと苦しんだ記録を残したら、妊婦さん怖がらせちゃうかな😢でも一つ言えることは、どんなに苦しんでも終わりは来ること…!特に現代の医療を持ってすればほとんどのケースは救われます…!本当に現代に生まれてよかったなと実感した我がお産でした。

以上、長くなりましたがわたしの出産レポートでした!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?