だれかのための何かになろうとしている

人に必要とされたいという気持ちが、むかしから、ほぼ無意識のうちに自分のなかにある。
その気持ちが、自分が本当はやりたいと思っていないことをやりたいと思っていると脳に錯覚させる。

ベルリンに住んで、言語を勉強しながら、知り合った数人の日本、ドイツ、イギリス、コロンビア、韓国、ホンジュラス、メキシコ、ウクライナ、ギニアなどの人々とぱらぱらと会話をする。学校へゆき授業を受けて帰るだけの日もあれば、一人でカフェに行ったり、上記の人と時間を合わせて話をしたりする。

渡独1-2週目と3-5週目の決定的な違いは、他人(自分ではない人)とのコミュニケーションが増えたことだ。授業以外の時間を一人で過ごしているときは、毎日の学びや思考、感情が整理され、穏やかだな、と日に何度も思うような数日を過ごした。

その後、ギターを持っていた隣人に声をかけ彼らのスタジオに案内してもらい→ライブにゆき→寮の裏庭でセッションをし→映画館に行く などしながら知り合いを増やした。友だちをつくろう!と思ってした行動ではないが、音楽のある生活を望んだらそうなった。

私は自分のことを、人や人とのコミュニケーションを好んでいる人間だと思っているが、今は人に会い続けることによる反動をありありと感じている。誰かと時間を共有して一人では味わえない喜びを持つ反面、整理されないままの学びや思考、感情たちに対して、整理しないまま今日を終わらせてごめんね、と思いながら布団をかぶる。

何をしたいのかと問う。この土地、または別の国に住む手段はいくらでもあると知った。住みたいという気持ちだけがある場合、何が目的になるのだろう。

自分の稼いだお金で生活をし、自分で選んだ言語を学び、すきだと思う景色や建物や色や植物に囲まれる今の環境が、心地よい。

その不安のない心地よさは、ビザなしの滞在(90日で日本に帰る、帰る場所がある)に約束された恩恵かもしれない。けれど何が自分を幸せにするか分かったら、今度はそれを持続させるために何をすればよいか考えてみたい。

だれかのための何かでなく、自分のための自分でいたい。
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