母国語のせかいを想像する

ハッシュタグを付けて投稿することをやめてみた。拡声器を持ってグラウンドに立つ勇気はないけれど、ペンを走らせる代わりに画面をフリックするくらいの意志はある。そこに期待を含ませてしまっている自分もいる。

自己紹介のフレーズや、カフェでの簡単な注文がドイツ語でできるようになってきた。敬語や単語が7つ以上続くような長い文章はまだまだ脳からの出力に時間がかかり、あさっての方向を見ながら長々と考えたり、その上語順が乱れたり、英語と混ざったりしてしまう。

今日は、「体調が悪い」と言うとき、
I am sick. でも
Ich bin krank. でもなく
I am krank. と言ってしまい、それをクラスメイトに
I am drunk. (私は泥酔している)
と聞き間違えられる始末。
※体調は良くなりました。

ベルリンの滞在がまもなく半分を終えようとする中で、日本に戻ってからのことを考える。「考える」と言っても、考えねばと思うだけで、実際に思考が進んでいるわけではない。今年のうちに個展をやろうかという気持ちだけが輪郭を保っている。

夜の9時半を過ぎてもまだ明るいこの場所で、雨上がりの澄んだ空気や朝の太陽、木洩れ日、風の音、鳥のさえずり、パン屋さんから漂う香ばしい匂いに鼻や口元をゆるませながらも、時々心がどこかへ行って迷子になったような感覚になることがある。

そういう不安定さの中で、人からもらった言葉に勇気付けられた話をのこす。

彼はウクライナ出身の20歳で、私が住んでいる寮の裏庭を散歩中に出会い、話しをするようになった。初めは英語で話しかけられたものの、聞けばウクライナ語、イタリア語、ロシア語、ルーマニア語をメインに話すらしくそこに英語は含まれていない。

彼はtoday(今日)とyesterday(昨日)を何度も言い間違えるし、私がかろうじて知っているイタリア語は吹奏楽部時代に得た“poco a poco(少しずつ)”“forte(強く)”“piccolo(小さな)”などごくわずかのため、私のiPhone8にダウンロードした英語とイタリア語の翻訳機を受け渡しながら会話をしている。

何度目かに会ったとき、マンゴー味のお酒とブドウ味の果物を買い、外のベンチで飲んだ。

お互いに時間を持て余しながら長い夕暮れに目を細めていると、翻訳機越しに「何か話して」と言われる。普段、会話のテンポを早くすることに集中しているようなときには言えないような話をしようと思い立ち、しばらく考えて「日本に帰ったら職がないのが今の心配事」というニュアンスのことを書いた。するとこう返ってきた。

Vivi la vita finche puoi.//Live life until you can.

二つの日本語が同時に浮かぶ。
「できるだけあなたらしく生きなさい」と、
「できるところまで生きなさい」と、
言われたと、思った。
不安定な心から黒ずんだ部分を掬ってもらったような気持ちになった。

それまで、お互いに簡単に簡潔に話そうと心がけていたので、質問も回答もシンプルだった。今回も、特別複雑な会話をしたわけではないけれど、母語で話す彼のせかいをもっと知りたくなった。

どの言語で話すのが好きかを聞いてみると、「ルーマニア語とイタリア語」と返ってきた。イタリア語は、イタリア出身の彼のお母さんが話すのだそう。続けて「自分は4か国語話すけど、その全部が80%くらいしか分からない」と言うので驚いた。

私も日本語を100%知っているわけではないのに、このとき驚いたということは「母国語は100%知っている、喋れる」と思っていたということだ。そうして、「私が母国語の100%を知っている」のではなく、「母国語が私の100%だった」のだと気付いた。

なにかの100%を知っていると思うのはおごりだろう。けれども、母国語が100%だった私のなかに、今は英語やドイツ語、ほかに挨拶の言い回しを知るいくつかの諸言語が加わり、相対的に母国語の割合が小さくなっていることには違いない。

私にとっての「言語」が〈学問〉から〈コミュニケーションツールのひとつ〉へと変わったとき、「ことばにたった一つの正解がある」のではなく「ことばのもつ意味や念のようなものが発信者や受信者によって形を変える」と考えるようになった(というのを今初めてことばにできた)。

ことばは文字や音声を借りてかたちづいている。相手の伝えたいことと自分に伝わったことがぴたりと一致することは、きっと少ないから、それを確認ことも難しいから、母国語で話すときも外国語で話すときも、そのことばの念を捉えることを忘れないでいたい。

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