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平成生まれのアラサー、もっと早くジャニーズの闇に向き合えなかったのか考える

ジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川の性加害問題を巡り様々な動きがあった9月。

7日にジャニーズ事務所は記者会見を行い、創業者の性加害の事実を認めた。しかし会見を受けた世間の反応は厳しく、所属タレントの起用を見直す動きは加速するばかりだ。

ファンの私も、ジャニーズ事務所という企業に対して不満をぶつけたい気持ちでいっぱいだが、いざ自分自身を振り返ってみると、ジャニー喜多川の性加害を全く知らなかったとは言い切れない。

聖書には「罪のない者が石を投げよ」という言葉がある。なぜ私は今まで性加害の疑惑を信じることができなかったのか。その検証をしない限り、私にジャニーズ事務所を糾弾する資格は無いと思ったので、この機会に振り返ってみようと思う。

小学生のイメージするジャニーさん

私がジャニー喜多川の性加害の噂を初めて聞いたのは、記憶が確かではないが小学4~6年生の頃だろうか。2000年代の初めにあたる。しかしよく言えば純粋、悪く言えば無知だった当時の私は、具体的にジャニー喜多川が何をしたのか思いを馳せることは無かった。

いや、それ以前にジャニー喜多川の存在自体を都市伝説のように思っていた節さえある。所属タレントがいくら話題にしようとも「ジャニーさん」なる人物の写真は、当時全くと言っていいほど出てこなかった。

結果として、ジャニー喜多川の実体を掴めずにいた当時の私はこう思うようになった。

「ジャニーズには、ジャニーさんなる変なおじさんがいるらしいけど、本当に存在するかは分からない」

まるで妖怪と同列だ。こんな状況ではジャニー喜多川の性加害にまで行きつくのは到底無理である。

2004年、逃したチャンス

やがて中学生になった2004年、性加害問題を報じる最大のチャンスがやって来た。それが、週刊文春の特集記事と民事訴訟である。

大まかな流れを振り返ると、1999年に週刊文春がジャニー喜多川の性加害にまつわる記事を8週連続で掲載。これに対しジャニーズ事務所は、記事が名誉棄損にあたると民事訴訟を起こす。2004年に判決が確定し、ジャニー喜多川の性加害が認定。ジャニーズ事務所側が損害賠償を払うこととなった。

こんな大チャンスがあったにもかかわらず、当時の私はそんな裁判があったことすら知らなかった。いや、正しくは知る機会が無かった。

まずテレビや新聞での報道が殆ど無かったこと、これに尽きる。わざわざ少ない小遣いを週刊文春に使う余裕は当時の私には無かった。おまけに当時はスマホすら無い。情報弱者の中学生がその事実を知る手段は無いに等しい。

百歩譲って、もしこの裁判を知ることができたとしても、今と同じように重要視するのは難しかっただろう。

その理由は、男性への性暴力を許さない価値観の浸透不足だ。

少なくとも平成の中頃は、男性同士の性的関係自体が茶化される風潮にあった。2000年代のネット文化を振り返ってみても、所謂ゲイビデオ発祥のスラングが大量発生しており、一種のネタとして消費される空気があった。

そもそもセンシティブな事象ゆえ、その手の話題に触れることすら敬遠する層も多かっただろう。私もどちらかというとそれだ。このことに関しては、ミッツ・マングローブのコラムがものすごく腑に落ちたので引用しておく。

そもそも日本社会が性的少数者をちゃんと認知したのは、ここ10年弱の話です。それまで「男好きの男」なんてものは、法律上はおろか、人々の概念の中にすら存在しない、言わば「遠い世界の人」でしかなかったわけです。故にジャニー氏の性的嗜好にまつわる噂や暴露が出たところで、「怖いね」「気色悪いね」「信じられないね」で終わっていたのも不思議ではありません。

今週のお務め ミッツ・マングローブ

結局当時中学生だった私はこの問題を全く知ることなく過ごし、長らくそれは忘却の彼方へ追いやらていった。

お別れの会という幻想

時は流れ成人した私は2019年、あるグループのファンになった。ジャニーズ事務所発のタレントにのめり込むのはこれが人生初だった。

彼らがきっかけで私は、過去一と言っていいほどジャニーズにまつわる情報を摂取していった。音楽、テレビ、そして事務所の歴史。その中で再び、あの噂と出会った。

「え?それって都市伝説じゃなかったの?」一度疑いはしたものの、結局「どうせデマだろう」と流してしまった。

理由は簡単。テレビや新聞で今までこのことを報道しなかったからだ。

今となっては「たったそれだけ?!」と呆れてしまうが、当時の私はテレビのニュースや新聞に絶対的な信頼を置き、例の噂のソースとなった週刊誌や暴露本は基本的に信用していなかった。

同年、その噂はデマだと私の中で決めつける決定的な出来事があった。

それが、ジャニー喜多川の死だ。

テレビも新聞も各社揃って彼の功績を讃える特集を組んだ。お別れの会は東京ドームで盛大に開催され、多くの著名人やファンが弔問に訪れた。

その光景を目の当たりにした私は、すっかりこんな気持ちになった。

「ジャニーさん疑ってすみませんでした。こんなに沢山の弔問客が来てくれるあなたが悪い人な筈ありませんよね。変な噂をする人はいるけど、ジャニーさんは素晴らしいプロデューサーです!」

もう完全に信者だ。これでは性加害にまつわるどんな情報も、私にとって馬の耳に念仏も同然だった。こうして私は「ジャニー喜多川が性加害をするなんて有り得ない」と信じ込むようになってしまった。

その幻想が解かれたのは、ようやく今年に入ってからのことである。

これからやるべきこと

振り返ると、ジャニー喜多川の性加害を信じなかった理由は主に3つある。

  • テレビや新聞で報道が全くなかったため、信憑性の無い噂と決めつけてしまったから。

  • 2004年の民事訴訟の時点では、報道不足、男性への性暴力に対する認識不足があり、深刻に考えるのは難しかったから。

  • ジャニー喜多川の死で彼を神聖視し、余計にデマだと決めつけるようになったから。

こうしてみると、一見テレビや新聞の影響が大きいように見える。だが自分のことを棚に上げ、全てをメディアのせいにするのは違う。

少なくとも大人になってからは、噂を聞いた時点で記事の一つでも真剣に読むべきだった。そうしていれば過剰なまでにジャニー喜多川を崇拝することも無かったはずだ。その事実がある以上、私は清廉潔白だとは言い切れない。

だが大事なのは、それを理由に沈黙を続けることではなく、真剣にこの件と向き合い考えることではないだろうか。

例えばNHKは9月11日、クローズアップ現代でテレビ関係者の証言を公開した。

メディアの責任について取り上げたのは歓迎すべきことだが、掘り下げる余地はまだまだある。NHKはこれで幕引きにせず続報を出してほしい。そう思った私は視聴後すぐ投書した。

個人にできることは微々たるものだが、同番組や性加害報道に対する問い合わせは私以外にも多数集まっている。もしこの先NHKがさらなる検証を進めてくれれば、私のあげた声も無駄にはならない。

https://www.nhk.or.jp/css/koe/pdf/20230904-20230917.pdf

詭弁と言われたらそれまでかもしれない。でもこの問題をより良い方向に導くためにも、自分の意見はちゃんと言う。それが性加害問題を無視してきた自分にできるせめてもの贖罪だと思っている。

10月2日、ジャニーズ事務所は今後の方針を発表する予定だ。次にまたnoteでこの問題を取り上げるのは、その内容が明らかになってからとしたい。

それまでは静かに、その時が来るのを待つとしよう。

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