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「好きを仕事に」のホンネ

「好きなことを仕事にしたい? 好きなことは趣味でいい?」

という問いにはいつまでも戸惑いがつきまとった。

例えば、こんな人たちは幸せだと思う。
「小さい頃に病気がちで入院していた時に病院の先生が助けてくれたから、お医者さんになりたい」とか、「野球教室に来てくれたプロ野球選手がカッコよくて、憧れて、野球選手になりたい」とか。

そういう派手な思い出があれば、目的も明確だろう。

直接知っている人ではないけど、「お父さんが海外赴任しているときに戦争に巻き込まれて、現地の日本人がチャーター便で帰ってきたときに、アテンドしてくれたスチュワーデスさんが優しくてCA目指した」という人がいて、そんなエピソードひっさげられたら、もう、参りました、としか言いようがない。

将来なんて蜃気楼のようなものだった。ぼんやりとして見えない。何か形になるようなきっかけなんて、「近所のパン屋さんが美味しいからパン屋さんになりたい」とか、「お母さんが銀行員をしていて、札束の勘定がカッコいい」とかその程度のうすぼんやりした動機で決めていた気がする。ちなみに、当時は母が若かりし頃は、機械が発達してなくて、いわゆる扇のように札束を広げて札束を数える札勘っていうのができないといけなかったのだ。それが子供の目にはエライカッコよく見えた。

でも、それは、あんまり好きを仕事にという感じではなく、ただ、生活においてなじみがあったという程度で、好きを仕事に、という感じではなかった。

そんなこんなで、私が据えた目標は最高裁の長官だった(!)、理由を思い出してみたんだけど、どうにもぼんやりと単語しか思い出せなくて、ググりながら理由を探ったんだけど、確か大津事件っていうのが明治時代にあって、それのおかげで日本の近代司法制度が確立した? らしくて、それにいたく感動して法学の道を目指そうとしたっぽい。

結局、受験した法学部にはご縁はなく、文学部に入学した当初は、1年間勉強を頑張って転部するんだと息巻いていたけど、サークル活動の方が楽しかったし、何よりも、大学に入って一般教養で履修した法学で、法律の文章の硬さがダイヤモンド並みでノックアウトだった。ヤレヤレ。

そこから、就職活動まで迷走に迷走を重ね、出版業界に行きたいと思うも撃沈、就職氷河期の消去法的な就職活動でようやく決まった生保業界に、「働きでもしなきゃ生保のことわからず過ごしちゃうし」なんて自分に言い聞かせて入社した。

生保業界での日々は、なかなか過酷だったけど、そのおかげで保険業界の出版物を扱う出版社に転職することができた。大学卒業程度じゃあ、視野も狭くて目の付け所も甘かった。おかげで念願だった出版物の制作に携わることができたし、そこからのご縁で、いまだに書くという仕事に携わることができている。

そう振り返って流れていくと、私にとっての好きは書くことでそこにたどり着くまでに新卒の就職から相当の時間がかかってしまった。でも、現在、好きな書くことを仕事にするのは、アリだなって思う。

ただ、好きを仕事にもいくつか段階があると思う。
「好きを仕事にして、なおかつ一人でも余裕で暮らせるくらい収入がある、なんなら一家の大黒柱になれちゃう」
これ理想的。
でも、実際には、
「好きを仕事にしているけど、そうはいったって、単価安くて仕事量多すぎてつらたん」
っていう場合もあるだろう。
「好きを仕事にしているけど、収入はお小遣い稼ぎ程度かな」
これが私の現在地。

正直主婦業もあるし、本気で書くことをしていたら、生活破綻する。

結局、夫の収入に守られているから、今がある。ありがたいけど、ちょっと情けなく思うこともある。

でも、それでも、今は子供達のことがあるからとか制約があるけど、いつかはもっと自信もって書くことが仕事ですって言いたいよなと思っている。今は小さなステップを少しずつ上ってると信じてやっている。

最初に就職した先が、10年後に振り返ったら、書き続けるきっかけになっていたように、いつか #はたらいて笑顔になれた瞬間 が訪れる日をしっかりとイメージしながら。


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