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イノベイター

『ガンダム』と聞いて、多くの人からすればあまり見たいとは思わないものなんじゃないか。

『ガンダム』=ロボットアニメというイメージは、どうしても子供じみた、あるいはアニヲタの趣向だと思うかもしれない。

僕は数あるガンダムシリーズの中でも、たまたまこの『ガンダム00(ダブルオー) 』シリーズだけは見た。(他のシリーズはどんな話か知らん)
そしてこの『ガンダム00 』が、僕が今まで見てきたフィクションの中でダントツに面白いと思えるものだったのだ。


なぜか。


これはガンダムという、ロボット(人型の兵器)を利用した人同士の戦いが多く描かれる作品でありながら、今の激動時代を生きる我々人類に対しての警告や、人類はどうあるべきかというヒント的なものがあり非常に面白い。

なぜなら、2021年現代の人間世界と重ねて見ることができるリアリティがこの『ガンダム00 』にはある。

この『ガンダム00 』は、我々が生きる現代から約300年後の世界を描いており、未来予想図的世界観な訳だ。決して現実離れした架空の世界線ではない。
そして新型コロナウイルスによって、本来なら10年以上かけて起こるであろう世界の変化が、たった1年足らずで起こってしまった現代。未来の予測が不可能な世界になってしまい、全く新しい時代に一瞬で変貌してしまった。
このアニメは300年後の世界であるがゆえに現代の科学ではあり得ない現象が起こるが、コロナで急に進んでしまった現代だからこそ、我々が生きる現代と重ねて見ることができる部分が多くあるのではないか。

今回はそんな物語、『ガンダム00 』を紐解いていき、これからの人間の生き方を考察してみようと思う。



1 イオリア計画


この物語は、ある一人の天才科学者(イオリア・シュヘンベルグ)の理念、計画が軸となりストーリーが展開されていきます。

彼の理念はこうだ。

人類は、変わらなければならない。 人類は皆、先入観や思い込みで真実や本質を見失っている、人類は互いに分かり合うこと、変革が必要。人類は外宇宙へ進出していく中で、大きく活動を広げ、文明を発展させていく。すると想像にもしない困難に対処せねばならないことが増える。いずれ巡り合うであろう異生命体とも相互理解して上手くやっていかねばならない。そのために、ガンダムによる武力介入で世界の統合を促し、人類の意思を統一させ、争いの火種を抱えたまま外宇宙へ進出することを阻止する』

というもので、ガンダムの武力介入も、いずれ巡り合うであろう異種との対話に備え、人類を変革させるための彼の計画であった。

人類を革新に導くこと。そして来たるべき対話に備える。

これを僕らの住んでる現実世界(2021)に当てはめると、「人はどんな生き方をするにせよ、賢くならなきゃならない。なぜならコロナウイルス等未知との遭遇による世界の混乱が今後も予想されるから。それらに臨機応変かつ柔軟に対応してウイルスと共生していかなければならない、ましてや戦争なんてやってはいけない。宇宙開発事業、ロケット事業が盛んに行われているが、人類が争いの火種を抱えたまま外宇宙に進出することの危険さを理解しているのか?今よりももっとレベルの高い相互理解を世界中で出来るようにならなくてはならない。」

こういう解釈が出来るのではないか。


2『イノベイター』と『イノベイド』

ガンダムOOでは、「イノベイター」「イノベイド」という存在が大きな鍵を握ります。


「イノベイター」(innovator)は直訳すると「変革者」。「イノベイド」(innovade)は「変革を促す者」。


よって、このガンダムで言う「イノベイター」とは、進化した人類のことです。寿命が現状の人類の約2倍で、身体能力、知能共にデフォルトでかなり高い状態にある、言語だけで無く、脳同士で量子波を介して意思疎通ができるという特徴を持っています。

イオリアは、人類はいずれそうなるだろう。というかそうなるべきだとし、人類の変革を促すべく、この理想のイノベイター像を模して作られた人造人間『イノベイド』を開発した。


この人造人間イノベイドは人類と共に、理想の未来を創る役割をもって生まれた。(全人類のイノベイター化を促す役割。)


しかし、そんな目的で造られたイノベイドに傲慢さが芽生えてしまう。自分よりも能力が劣っている人類を見ていれば、そうなってしまうものなのかもしれない。謙虚な人格まではプログラミング出来なかったようだ。


3刹那の変化

刹那とは、この物語の主人公です。 

幼少期からテロリスト組織に洗脳させられ、少年兵として育った刹那。自分は戦争の中でしか生きられないという価値観から、紛争根絶のために戦うことを自分の使命として捉えていたが、戦いは何も産まないのではないかという絶望に至る。ましてや紛争根絶なんて不可能なのではないか。世界を戦いで変えることは不可能なのではないか、という思考にまで陥る。そこからいろいろあり、戦いからプラスを生み出すことも出来る。という価値観に至り、この時期に戦いの中で刹那は覚醒してイノベイターとなる。

刹那は元々人間だったが、いろいろあってイノベイターになったのだ。(ストーリーの詳細は割愛します。)

このような刹那という存在を、「純粋種のイノベイター」と呼ぶ。(人工的に生み出されてイノベイターという存在があるのではなく、イオリアが元々予見していた形で人間が進化した姿になったということ。)


そして人類を上から支配しようとするイノベイド達に対して、純粋種のイノベイターとして覚醒した刹那達ガンダムを所有するチームがぶっ倒しに行くわけです。


純粋種のイノベイターとして覚醒した人類、刹那 vs イノベイドの決戦。

結局、純粋種のイノベイター刹那が勝ち、未来は人類に委ねられたと。


そして物語は2年経ち、謎の地球外からの金属生命体が、生きる場所を求めて地球を襲ってくる事態に見舞われます。


そこで歴史的大戦が繰り広げられるわけですが、最終的には純粋種のイノベイターである刹那とガンダムの力で、その謎の生命体と相互理解を果たし、人類は彼らと共存できるようになる。

そして50年の時が過ぎ、人類の4割がイノベイターとなり、人類は外宇宙に進出するべく、長い宇宙航行の旅に出る。これから世界は再び平和への道を進むようになるという結末。


人類を革新に導くこと。そして来たるべき対話に備える。

この初めのイオリアの考えが、ここで功を成したというわけだ。


さて、このアニメが放送されたのは今から約10年も前のことだが、
2021年の今、「イノベイター」(あるいは「イノベーター」表記)という言葉を私たちがいる世の中で聞くようになってきた。


情報が世の中に普及していくには、ざっくりいくつかの階層に分かれていて、その階層の一番上にくる人種として「イノベイター」と呼ばれる人がいます。
何事もすぐはじめてしまう人。これが世の中全体の約2.5%を占めていると言われています。


そんな彼らは往々にして、世の中のいろんな仕組みを生み出して世の中を変革してしまう。

iPhoneを生んだスティーブ・ジョブス(Apple)、SNS世界を一新したマーク・ザッカーバーグ(Facebook)、物流のシステムを大きく動かしたジェフ・ベゾス(Amazon)等、彼らは世界的イノベイターと言えるでしょう。


ガンダムに描かれるイノベイターのような、寿命が160年もあったり、人間の範疇を超えた能力があるなんてことはないのですが、彼らが超絶賢くて、世界や国の先頭に立ち、相互理解の能力に長け、世の変革を加速させてると言っても過言ではないのではないか。

イノベイター的感覚で生きるというのが、これからの人類のあるべき姿(スタンダード)なのではと僕は思う。

先に挙げた世界的イノベイターは極端な例だと思うが、イオリアの言うイノベイター、すなわち次の時代のスタンダードになる人類(現実世界でもっと身近に当てはめると、賢くて、柔軟に対話(相互理解)できる人間、自分の力で生きていける人間、)それがこれからの時代の人間のスタンダードになるのではないか。非道な人間は少なくなっていくのではないか。

実際に現代では、生活するために働く思考から楽しみたいから働く思考になってきていて、複業だとか、かつての時代には無いくらいにやりたいことで生きていきたがってる世の中だと思う。

そして複業や、やりたいことで生きている人たちは、かつての時代からすれば先の時代の理想の生き方をしてる=進歩している人=イノベイターなのではないか。


しかし彼らの中には、市民を煽ってくる人もいる。


ある程度自分の力でお金を稼いだ人が煽って、

「あなたが努力しないのが悪い、○○やってるヤツはアホ」

好きなことで生きて行けてない人の注意を引いて、煽り、「俺はこうしたけどどうする?」みたいな。


このような、自分と同じ生き方をしていない人を見下したような人もいる。


確かにこういった人らの発信によって世の変革が促されるというのはある。(世論を扇動して風潮を生む)

この人種はこの物語で言う「イノベイド」に当たる人なのではないか。

彼らは会社に属さず経営者として大金を稼いでるのかもしれないが、じきに誰よりも強く、優しく、賢く、人の気持ちが分かり、コミュニケーション能力が高く、相互理解ができる純粋種のイノベイターに息の根を止められるのではないか。

僕らもイノベイドではなく、イノベイターになりたいですね。


世の変革を促してはいるが、傲慢になり、そうでない人を見下す人になったら淘汰されると。



物語の中で、沙慈・クロスロードという重要なキャラクターが言った言葉があります。

「戦いで勝ち取る未来なんて、本当の未来じゃないよ、僕たちは分かり合うことで、未来を築くんだ。」

結局競争をしても平和にはならない。周りを差し置いて自分が成功者になろうと、嘘も含めた見せびらかしあいがSNSの発展も相まって、頻繁に行われてるように思う。競争、争うことにいっぱいになっていてどうしてワクワク出来るのだろうか。

誰かと戦って勝ち取ったって、周りに対して優越感をもったところで、結局孤独になるだけだと思う。じきに「あいつはなんかやなヤツ」と思われて人が離れてく。自分の足を引きずり下ろしてくるやつも現れやすい。争ってる意識は邪魔だ。ライバルもいらない。僕もそう思う。認め合い、そもそも敵を作らないことがあとあと自分の幸せに直結する。今までの人生で見てもそう思う。

4刹那とマリナ

マリナとは、刹那と同様、世界が平和になって欲しいと願っている王女。しかし刹那のような争いを争いで解決する行為に反対で、何らかの平和的な手法で国際平和を実現させることは出来ないかと悩んでいる女性。

そんな彼女が戦い続ける刹那に対して送ったメッセージ。

「平和を求める気持ちは同じなのに、なぜこうも交わらないのか。罪を背負い、傷ついてそれでも戦い続ける。そんな生き方が悲しく思える。自分の中にある幸せを他者と共有し、その輪を広げていくことが、本当の平和につながると私は考えています。」

かの有名な作家、宮沢賢治の言葉「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。」を思い出します。

世界全体を幸福にするというと少し大げさな表現かもしれないが、「身の回りの人達を幸福にすることで、自分自身も幸福になる。」ということですよね。そうして得られた自分の幸せを、次はもっと広く分け与える。その繰り返し。みんなで幸せになっていくという価値観。

コロナ禍で最悪の状況だからこそ、このようなことを見失いがちになってしまう。今のこの時代を幸せに生きるために、改めて良い教訓だなと思います。


そしてこの物語のラストのセリフ。

刹那「君が、正しかった。」

マリナ「あなたも、間違っていなかった。」


自分が平和に暮らせるようになるために、自分が幸せになるために、どうしたらいいか。それは戦う中で見つかることもある。捉えようによっては、人生は戦いと捉えることも出来ると思う。何も武器を使った戦争だけじゃなく、日常の人間関係のいざこざ、競争等によるストレス、困難も戦いだと思う。そういうことから逃げるだけじゃなく、どう対処するか、どう面白味を見いだせるか、もはやそれも全部ひっくるめて人生という戦いだと思えるのだが、波風のない平和な生き方もアリ、激動に呑まれながら生きてくのもアリ。でも大切なことは、先入観や思い込みで真実や本質を見失うことなく賢く生き、互いに分かり合う。それが出来るような人であることが重要。そうすれば自ずと個人の幸せはもとより、みんなも幸せになって生きやすい世の中になってくのではないかと感じる。

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