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2世代高校野球を通じて感じたこと

2022/7/20
弟の3年間の高校野球生活が終わった。

終わる時は、本当にあっけないもので、今では大会前と変わらない日常が流れている。
今はもっぱら塾探しをしたりなどして、「高校球児」から「受験生」への大転換を遂げる準備をしているようだ。

自分としても本当に思い入れが強く、今でも大好きな「高校野球」。
その舞台で自分の弟が活躍する姿をこんなにもたくさん見れたことは何より幸せだった。

キャプテンになって、主軸として、キャッチャーとして活躍すること、その裏に隠された努力は凄まじいものだと思う。
9人という限られたメンバーしかグラウンドに立つことができない野球というスポーツにおいて、これだけ兄や親を楽しませられる球児はそう多くないはず。そう思うと、4試合も戦う姿を見せてくれた弟にはまず感謝しかない。

ありがとう。

そして、この弟が夏の戦いに臨んでいる間に自分はもう一つ、6年ぶりに「感謝すべきこと」に気づくことができた。
それは、親への感謝、特に母への感謝だ。

弟が高校野球をやってくれていたおかげで、母が「保護者」として、どれだけ頑張ってくれていたかを知ることになった。

この大会期間を通じて、色んな感情を持つ機会があったが、noteでは、「母のすごさ」について書きたい。
そしてここに書くだけではなく、ちゃんと6年越しに感謝の気持ちは伝えないといけないと思う。今更感があって恥ずかしい気持ちもあるけど、このnoteを決意表明として、絶対に直接伝えようと思う。


母のすごさ①
とにかく、朝が早い。

高校球児の朝は早い。弟の起床時刻は大体4時、お弁当を作ったりする母の起床時刻はさらに早く大体3時頃だった。この生活を毎試合日に行っていた。
弟は車で学校に向かう途中1hくらいは仮眠時間が取れるが、母はその間も運転していた。
学校に着くと、弟は車を降り試合前練習に向かう。僕と母は2人で車で少し休憩時間を過ごす。でも、休憩はほんの少しだけ。弟の試合前練習が始まると、車を降りて裏道?を抜けて練習が見える場所に向かい、ずーっと練習を見ている。もちろんそんなことをしている保護者は他にはいなかった、だけど、うちの母にとってはそれがルーティンになっているようだった。

送迎✖️弁当作る✖️練習を見守る
この三つをやっていた保護者は他にはいなかったと思う。それぞれ家庭の事情があるし、やっているから偉い、やっていなかったから悪という訳ではないが、できることを全てやってサポートしている母の姿をみて、すごく誇りに思った。


母のすごさ②
子供の姿を見るため、色んな役職にトライする。

弟が敗退した試合の帰り道学校での引退式に向かう車で、母は何度もスピーチの練習をしていた。保護者代表で選手・監督コーチ・保護者を前に話す段取りになっていたようだ。
弟の場合は、弟自身がキャプテンだったから、母が話すことも何となくわかる。
でも、その時思い出したのは、僕の夏の大会の後も母は保護者代表でスピーチをしていたことだ。僕自身はキャプテンをやっていた訳でもないし、きっと自ら立候補して1年間保護者の中での役職をやってくれていたのだと思う。
負けてしまった後も後援会の対応に追われていたりで忙しそうだったし、きっと普段でも役職だからやらなければいけないことも多くなるはずなのに、それでも子供の少しでも役に立つために何でも買って出る母の姿勢はかっこよかった。

母のすごさ③
とにかく毎試合見てる。

夏の大会や公式戦はもちろん、僕の母は僕の3年間と弟の3年間、ほぼ毎試合見にきている。
いやもっというと、僕が小学生で野球を始めた14年前から、
だいし少年野球→中学野球→高校野球→弟少年野球→中学野球→高校野球
と1年も間が開くことなく、毎週末は欠かさずグランドに来ていた。
僕が中学野球をやっていた頃に一度スコアの付け方を教えてからは、毎試合自分で簡易的なスコアも書いている。
この夏の大会期間中にスコアを書いていたノートがちょうどなくなり、新たにノートを作ってる時に、「また新しくノート作れるなんて、こんなに勝ってくれたおかげだね〜」と母が言った時には、思わず目が潤んだ。
試合中は隣で試合経過に喜び、祈り、悔しがり、、一喜一憂する母の姿を見ていた。
きっと自分が野球やっていた時も、こうやって見守ってくれたんだなぁと知れたし、きっと、悲しませたり悔しがらせたりしていた選手だったろうなぁと申し訳なくなった、、笑

自分が選手の時には、自分のことで精一杯で全く気づくことができなかったけれど、引退して6年、感謝すべきことに初めて気づくことができた。
きっと今まで攻撃的に接したことも多かったけど、たくさん支えてくれてありがとう。



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