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とあるフィリピン人との話。

最初に断言しておく。
「すべてのフィリピン人がこうとは限らない。真面目に頑張っている、まともなフィリピン人も大勢いる。」
そこは私自身も認識しており、事実、日本人よりも日本の教養をもつフィリピン人と出会ったこともある。ここで綴るのは、私が関わった(関わらないといけなかった)フィリピン人女性との話だ。

noteにこの話を書いていこうと思ったのは、これまでに家庭内(親族内?)で起きてきたことの「記録」と、それで実感した「自分の心を整理する」ため。ただの愚痴のようで見苦しい(読み苦しい?)内容もあるかと思うが、その際はスルーしていただきたい。

フィリピン人との遭遇

旦那には元嫁との間に小学生の娘がいる。元嫁は別れる際にその娘を連れて家(旦那の実家)を出て行った。珍しくもない、よくある話だ。

しかし我が家の場合は違う。むしろ私にとっては「イレギュラー」ばかりの状況なのだ。

まず、元嫁はフィリピン人。もともと、気性が荒い(よく言えば情熱的?)女性が多いというのが通説な国ではあるらしい。初級英語も話せない日本♡LOVEな私にとって、旦那と出会わなければこの国の人間とは一切関わらないまま人生を終えていたであろう。偏見なのは自覚しているが、できることなら関わらないままが良かった、とさえ思わせる、そんな強烈な元嫁さんなのである。

そしてもう一人、旦那のお母さん、つまりは私の義理の母も、元嫁と同じフィリピン人その2、である。要するに、旦那はハーフなのだ。(ちなみに義父は生粋の日本人。)

中学英語(最近は小学校でスタートしているが)の記憶が「アイ アム ナンシー」で止まっている私が、短期間に2名以上の外国人との関りをもつなんて、それだけで完全にキャパオーバーなのだ。

元嫁と娘の生活環境

まずそのフィリピン人その1である元嫁だが、旦那の娘と元嫁は、旦那と別れた後は同じ市内で二人暮らしをしていた。旦那も私と結婚するまでは同じく市内の実家暮らしだった為、娘からすると「祖父母の家」にも日常的に遊びに来て、父親である旦那とも多くの時間を過ごす日々だった。元嫁は夜の仕事(いわゆるフィリピンパブ)をしていた為、仕事を理由に預けているというのもあった。出て行っておいて少々都合がいいなとも思ったが、祖父母は孫に、旦那は娘に会えるので、これについては双方良しとしていたようだ。

旦那と付き合いだすと、当然娘の話にも触れる。私の妊娠を機に結婚となったので、私の両親も当然気にする部分である。別居しているとはいえ無関係ではないので、いろいろと状況は把握しておいたほうがいい。
時々我が家にも泊まりで遊びに来ることも増えてきだし、娘からもいろんな話を聞くにつれ、たくさんの疑問や衝撃が生まれるようになった。それは、ごく一般的な日本の家庭で育った私には、とても理解できないことのオンパレードだったのだ。

■ゴキブリが出る部屋
要するに、足の踏み場もないくらいの「汚部屋」に近い状況だったらしい。アパート自体も古い雑居ビルのような、地震でも来ようものなら崩壊しそうな建物。その中の一室で、ゴキブリが出ることはしょっちゅうだったらしい。娘は虫が苦手なので「引っ越したい」と言っていたが、スルーされていた。ランドセルからゴキブリが出てきたこともあったという。私なら、大人になった今でもトラウマになるかもしれない。
ちなみに、元嫁自身は虫が苦手ではないので、気にならなかったようだ。

■物が消滅する家
とにかく物がなくなる。例えば娘の保険証。こちらに泊まりに来ている時に病院に連れていきたいので保険証をと預かると、「再発行」のマーク付き。母子家庭の為、ひとり親医療証もあるが、それも「再発行」。それぞれを遡ってみると、3期分すべて再発行。「失くしたらまたもらえばいい」の精神。
その他、娘が遊びに来た時に買ってあげた服、学校で使うバッグ、提出しないといけないプリント類、就学援助の手続きに必要だった銀行の通帳に至っては、「銀行は口座を作った時にカードしかくれなかった」と元嫁。
口座を作ったらその場でもらえるのは通帳であり、キャッシュカードは後から郵送されてくるものなはずなんですけども・・・。
娘と一緒に買いに行ってプレゼントしたお気に入りの服たちも、家の中で溶けて消えたのだろうか。

■時計とテレビが無い
家の中に一台もテレビが無いという。子どもがいる家庭でめずらしいのではないか。テレビばかり観るのも良くないが、それより、ニュースであったり、地震などの災害時だったり、当時はコロナウイルスが広がりつつあった頃で、情報が入らないのは良くないし、一人で留守番することがある娘もかわいそうだ、と思ったのだ。旦那も「テレビくらい買ってやれ。今は安いのあるから。」と何度も言い、やっと買ったらしい。
そして、家の中に時計がない、という。時間をどうやって把握するのか。スマホがあるから元嫁は気にしなかったようだが、それを知った当時、娘は小学校2年生。最近は保育園から、少なくとも小学校1年生からは授業でアナログ時計の見方も習うようだが、コロナで休校中に泊まりに来ていた我が家で「時計でどうやって時間をみるのかよくわからない」という娘の言葉がここで繋がった。針で示すアナログ時計の見方を、小学校2年で(しかも他人の家で)やっと身に着けることになったのだ。


まだまだたくさんあるし、ここは序章に過ぎないが、「あらまあ、大変ね・・・何か手助けしてあげれたらいいね。」と思っていたあの頃が懐かしい。
その後、私は生まれたばかりの息子を抱えて、元嫁、そして娘とのバトルが始まるとは、この頃は想像もしていなかった。

そして、この頃から、娘の行動にも、違和感を覚えるようになる。


#フィリピン #日記 #元嫁  


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