見出し画像

とあるフィリピン人との話。3

食事中に堂々とYouTubeを見る娘

ある日のこと。これも娘がまだ一緒に暮らしていない頃の話。
旦那は仕事でまだ帰らず、夜ご飯を作ってダイニングテーブルで食事の準備。

私:さ、食べようか。いただきます。
娘:いただきまーす。

向かいに座っている娘は、お茶碗の横にスマホを置き、躊躇なくYouTubeをつけた。

は????

驚いて見ていると、手慣れた様子で動画を選択し、食べながら無言でスマホを見ている。
またも困惑しながら様子を見る。
視線にも気づかず、スマホを扱いながら、正面にいる私とは会話も交わさずにごはんを食べている。

私:●●(娘)、ごはん食べながらYouTubeて、行儀悪いよ。家でもいつもそんなことしてるの?マミー何も言わないの?
娘:え。そうなの?家ではいつもこうしてる。
私:すごく行儀悪いし、ごはん作った人にも失礼だよ。そんなことするなら、別に一緒にごはん食べる必要もないじゃない。せっかく作ったごはんすら見ないで口に入れるだけで、YouTube見てるのって、じゃあごはんも別に見た目綺麗に作るのとかも気にしなくていいじゃない。

娘の「普通」と、私の「普通」。このギャップに苦しむ日々。
もちろんジェネレーションギャップもあるのはわかっているが、そういうのとは違うのでは?とただただ困惑するのだ。

娘の家には当時テレビがなかった。おそらく、フィリピン人の実母はテレビを買ったところで日本語もたいしてわからないから、テレビをつけていたところでわからないから興味が無かったのだろう。
それとこれとは別で、旦那は「地震とか災害時の情報もそうだし、コロナウイルスの状況とか、情報がまったく入ってこないのは良くないし、娘も留守番が多いのにかわいそうだからテレビくらい買えよ」とは言っていたらしい。そもそも、ながらでも良いからテレビをつけて耳から覚えよう、慣れようという発想がないのだろう。言われてもしばらくテレビは買われていなかった。
だから無音の家の中で夜お留守番ともなると、動画に頼りたくなるのは当然といえば当然か。ただし、子どもがそれをするならば、礼儀と節度をもって、を教えた上でというのが条件だろう。

育った環境が違う、ということの影響が、こんなにも違いを生むということを学び始めるのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?