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【人事屋のつぶやきエッセイ】人事って必要?~

何を間違えたのか、間違ってないのか、かれこれ20年位「人事」という仕事でご飯を食べている。今だにそれが正しい判断だったのかと迷うけど、最近はっきりしてきた違和感から推察するに、多分、間違った可能性大。厳密に言えば、今、本屋さんに並んでいる人事とは何か、人事戦略とは何かという世界の話からすると、自分は「亜流」で「アウトロー人事」で「少数派/マイノリティ」のように感じる。

だからダメという話でなく、だからザ・普通の企業の普通の人事の人とは違う景色が見えて、「人事の仕事の本当の意味って何だろう」と考える日が終わらない。そして、こういうサイドトーク・エッセイを書くネタには困らないという利得もある。

大学生の時の就職活動で多くの仲間が有名な大企業を受けて就職していく様子を横目に「大きな会社って、入ってから配属を決められちゃうんでしょ?人事異動とかいうやつで仕事を決められちゃうんでしょ?」みたいに、人事って役の人に人生左右されたくないとか思っていたくせに、自分が人事をやっている。はて、、、この仕事はいったいなんだんだ。ましてや、いまだに、新卒で入った会社で入社時から人事畑にいる人の気持ちや動機がまったく分からない。何を楽しいと思ったんだろう。たまたま配属されちゃったのだとしても、何ゆえに何十年もやっているのか・・・ほぼ七不思議レベルに分からない。そんな失礼な事を言う私が人事をやっているから、余計に分からない。

人事の仕事は誰のもの?

そんな大企業避けの結果、最初に就職した会社はドキュメンタリー映画の制作の10人位の小さい会社だった。私はアシスタントディレクター(いわゆるAD)。人事っぽいことは本社から派遣された管理部長さんがやっていた。そいう言えば、あの人は何でもやっていた。契約ごと、経理みたいな事、お給料明細を配ることなどなど。私が仕事で交通事故にあった時に、治療費を先方に請求してくれたのは助かったのだが、事故にあった当日も、翌日も仕事をせねばならず、、、あれはいったい何だったのか(→多分、今ならブラック?)。確かに会社に必要な運営業務をしてくれていたけれど、あの人は人事の人だったのか?

その後の会社は、イベント(主にライブエンターテイメント)の制作会社で、30名位だった。全ての事は社長が決めていた。決めたことに則って、経理担当の方がお給料や社会保険の事務をしたりしていた。仕事がら休みはなく、「有給休暇」なんて聞いたことも使ったこともなかったから、具合が悪くなる以外は「休みます」とも言わなかっし、仕事が単縦に好きだったのでブラックとも(ちょっとあったけど・・・)思わなかった。でも、思いかえせば、まだ二十代半ばの私や仲間に大事なクライアント先を任せてくれたり、忘年会で表彰してくれたり、毎年数回は社長面談をしてくれたりしていた。営業もしなくてはいけなく、あまりぐいぐい仕事を取るのが上手でなかったので、上手な先輩と一緒にペアにしてくれて、案件が取れたら後はお前が実務はやれ的に自分の役目が出来ていった。人事部とかはいなかったけど、社長は人事マインドみたいなものをもっていた人で、私を駆け出しビジネスパーソンに育ててくれたと思っている。

次の仕事も10人以下の会社だったので、いわゆる、人事っぽいことは社長が担っていた。何でもありな人だったので、イマイチよく理解し合えぬ間に退職してしまった。

こうしてみると、正直、今になって振り返って、人事の人がいなくて当時困ったかと言われると、全く困ってない。現場で先輩、上司など上の人が面倒を見てくれたし、お給料も払われていたので、人事という人を求めたこともなかった。

じゃあ、いったい人事って何なんだ。誰がどっから生み出したんだ?

人事の原点

そんな私が職業として人事の世界に足を踏み入れた張本人はこの方。当時、ニューヨーク大学のスターンビジネススクールでOrganizational Behaviorのクラスを担当していた Starbuck教授。いろんな授業を受けて、ニューヨークの街で散財し、学生ローンの返済も大変だったけど、結局は、この授業の為に留学したのではないかと思うほど、後にも先にも、私の人生を変えた時間だった。 

Organizational Behavior とは組織環境における人間の行動、人間の行動と組織との接点、および組織そのものについての研究。「人間とはいかに行動する・しないのか」などなど、本質的に、個人であっても、組織の中ででも、「人間とは何か」のような大きな命題を授かったような気がして、それは、小さな会社も大きな会社も、日本の会社も世界の会社でも同じようなユニバーサル視点が持てる軸だと思って、目の前の視界が広く大きくなった瞬間だった。後にカウンセリング、コーチング、脳科学などを学んだけれど、原点はやっぱりここにある。

スターバック教授はNASAの研究をしていたことでも有名な方でその話は本当に面白かった。世界中の天才・秀才が集まっているであろうNASA。それでも、宇宙を目指す時に何等かのミスが起き、ロケットが発射できなかったり、爆発したり、地球に帰ってこれなかったりする。なぜミスを見つけれらないのか。世界で無二の才能が集まる完璧なNASAではないのか。みたいなディスカッションが続く。シンプルな結論は「人間だから」。様々な認知バイアスの影響もあるけど、それ以外に、現場ではもっと泥臭い事が起きていたり、映画「ドリーム」にあるように、人種差別があったり、どうしようもない人間模様があったりするわけで、教科書にも論文にも載らない「人間くだもの」な事がいろいろがたくさんある。そういえば、あの映画で人事の人が出てきたのは異動の辞令を出す時位だった。人事って徹底的に黒子なんだろうか。

人事の現場と葛藤

アメリカから帰ってきて少ししてから、いわゆる、外資系企業の人事部での仕事を始める。大きな会社にいけば何十人も人事部所属社員がいて、ジェネラリスト(ビジネス・パートナー)採用、給与、福利厚生、研修・教育などチームに分かれている。それぞれの専門家になる人もいれば、全体管理を担う人事部長のようになっていく等キャリアパスもそれぞれ。もやはスタンダードになりつつあるので、この在り方そのものが間違っているとも思わないけれど、あたり前になりすぎて何か大事なものが抜け落ちている気がする。また、同時に、定義も役割も曖昧で、いろんなことを引き受けてきた結果、何でもする雑用係みたいな状況に陥って、本当の価値が忘れさられているのではないかなと最近思う。

顕著にそう思ったのは、直近の転職活動の時だった。エージェントさんが「キャリアパスとして人事のどのようなポジションを探しているのか?」という問いに途中で飽きてきて・・・(苦笑)。「私は人事の◯◯をしたいのでないのです。(業務としての人事はどれでもできるので)人事的な視点で貢献できる、共感できる、ビジネスや私のような人間を必要な経営者を探しているんです」と説明しても、なかなか分かってもらえなかったり、珍しいですねと言われたり、年収はいくら希望ですか?部下は何人希望ですか?と聞かれたり。

多分、多くの方は、「今、教育・研修部門のスタッフなので、キャリアアップを目指し、シニアなポジションで年収はこの位アップしたいです。」とか、「CHROを目指しているんです」とか、条件面を説明して転職先を探すのでしょうが、そもそもこのトークが悲しい。人をどのように育てられるのか、育てたいのか、教育研修の向こう側に、どのようなプロが育つのか、自分が関わる事でどのような新しい可能性が見いだされるのかが話されない限り、ただのクラス替えみたいな転職にしかならないし、人事の本当のプロが育たないのではないだろうか。そして、企業側も「人事領域の仕事をカバーしてくれる誰か」をあてがうマッチングにしかならない。

そもそも人事の仕事とは、私が定義するに、(自己犠牲という意味でなく)他者の為にある。社員や組織の為にある。Taker とGiverなら圧倒的にGiverの仕事。もっと言えば、人事部が先にある会社はないわけで、ビジネスの成長があって初めてその価値を確認できる仕事なので、自分がもたらすことができるであろう価値を説明せずに、年収いくら欲しいですが先には来ない(はず)。◯◯という結果が出せたら、ボーナス沢山ください的な収益構造の仕事なんだ。ビジネス(ミッション)が先にある。忘れてはいけない大事なポイントなのだ。

NASAの例であれば、ロケットが宇宙にいって、ミッションを終えて、地球に帰還し、目的としていた研究や成果を確認できて初めて「OK」なわけで、どんな秀逸な人事制度があったとしても、給料や福利厚生がよくて職員がワクワクしても、ロケットが地球に戻って来ないで爆発してみんなが命を落としてしまったら「NO」なんだ。話が少しずれるけど、コロナ後から「在宅勤務の回数・制度」を聞かれることが多いけれど、正直飽きてきて・・・「ビジネスが上手く回るなら何回でも、どこでも良い。それは自分&チームで現場で考えよ。」と答えている。まことしやかに、2回とか3回が効率的でしたとか、ほぼ意味はない。目の前の社員が、組織が、結果を創造できる回数がその組織にあった適切なバランス。世の中、他の会社や、データが決めることじゃない。ということを、現場で人事が現場で、チーム、組織を観察できるかどうかにかかっている。制度だけ先に創らないことが、本当に大事。観察した最適解を文字にするくらいのスタンスで良い。

若干、回りくどくなってしまったけれど、今日現在、思うのは、若干、極論で、こういう飽和状態になっている状況で、的外れな議論が広まってしまった状況で、人事って本当に必要なのだろうか?よく分からない人事っぽい人がいることで、リーダーや現場が育たないのであれば、組織がよくならないのであれば、人事って不要なんじゃないだろうか?全部、現場のマネージャーがやるという時代に戻したらどうだろうか?そもそも人事って必要悪なのかもしれないんだから。こんなことを言うと、世の中の人に怒られそうだけど、せめて、従来の人事事務は業務部とかにして、人事=人間(ニンゲン)係、その集合体である組織係には別なスキルや経験が必要なことが、もっともっと世の中に広まり議論されて良いのではないかと思う。そして、そのヒントはいつも現場にあるのだから、現場のリーダーや管理職の方は、人事(っぽい人)に頼らずに自分で”人事マインド”を育てて観察して組織を創る、動かせる力が求められているのではないか。

と、ここ何年もつれづれに思うのでありました。

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