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22年目の2人の背中を押すのは

   本日2022年9月27日、清木場俊介(SHUN)とEXILE ATSUSHIはデビュー21周年を迎えた。
    前回まで2回に分けて、清木場俊介(SHUN)とEXILE ATSUSHIの2006年に起こった、それぞれの大きな分岐点とその原因を考察してきた。
   事実や証言を並べてみると、やはりLDHのボーカリストのマネジメント能力の欠如が2人の2006年以降の人生を大きく変えてしまったと言わざるを得ない。今日までそれぞれの努力で厳しい音楽業界を生き抜いてきたものの、2006年に起こったことは2人にとって悲劇だった上に、SHUNのいた時の第一章の存在はいまだになぜかタブー視されていて、テレビなどのメディアでも当時の映像などは紹介すらされない。これもLDHの方針の一つであると考えている。

   私がそれを確信したのは、エイベックス代表取締役会長の松浦勝人氏の生配信を昨年末に視聴した時だ。
   EXILEの生みの親の一人である松浦氏は、今でも2人それぞれと交流があり、決してEXILE第一章の軌跡を封じてはいなかった。むしろ2人のこれからの新しい音楽活動を見たいとすぐに述べていて、第一章の楽曲のサブスクリプションサービス提供にも賛成をしている。

   レコード会社の見解として何ら問題ないのだから、レーベルとしてのrhythm zone、もとい芸能事務所のLDHの問題でしかないことは明白だ。2人の苦悩を引き起こしたことのみならず、ファンのこともまた2006年から大きく傷つけてきていることをLDHは今からでも猛省すべきである。 
  「ロックをやりたかったから」脱退も、「自己管理が出来ていなかったから」ポリープ手術も、両方とも正しい理由ではないのに、ボーカリスト本人たちだけに責めを負わせてきたことに、ファンの一人として今でも強く怒りを感じる。

  それでも二人のツインボーカルは2006年から16年経った今も称賛され続けている。
  長年清木場俊介を取材してきた、日本の音楽業界を長く知るライターの藤井徹貫氏もまた、「SHUNとATSUSHIのツインボーカルは“天然石と宝石”の対象的な美しさだ」「唯一無二」と称賛している。

  2016年にたった一度だけ2人が再共演したライブのダイジェストの2本の公式動画は、2300万回と1500万回という視聴回数を突破しいまだに伸び続けていて、コメント欄では当時のファンのみならず、新規のファンも獲得していることが分かる。

  音楽業界のプロや多くのファンをいまだに魅了し、聴きたいと言われ続けているツインボーカル。幸いにして2人の個人的な信頼関係は今も引き続き良好だ。
  やはり、2人のツインボーカルは再始動するべき時に来ているのではないだろうか。

  2014年に羽1/2やfallin'などの3曲を新録した際には清木場俊介はこう話していた。

  僕ら、もうすでに別々の道を歩いているので、音楽のジャンルも違えば、唄う内容も違っているから、噛み合うのはあの頃の曲だけです。

https://realsound.jp/2017/02/post-11287_2.html

  しかし今年の7月に公開されたEXILE ATSUSHIの公式チャンネルでの動画で、ATSUSHIは一番影響を受けたアーティストとして「尾崎豊」を挙げている。
  2人のファンならご存じだと思うが「尾崎豊」の影響で音楽を始めたのは清木場俊介、その人だ。

  ちなみに彼らと同じ歳の私の感覚だと、「尾崎豊」は自分たちより少し上の世代に人気があった。決してファンがいなかった訳ではないが、2人の年齢による一致ではないと言える。2人の音楽性は全く違うようでいて、実は共通するところがあるように思う。
  そして、もはや2人にはジャンルの境目はもうないのではないかと見ている。彼らの意思が反映されていたEXILE2枚目のアルバム『Styles Of Beyond』で既にそれは表現されていたから、何ら不思議ではない。
    むしろ2人の意思がきちんと反映された作品と判断できるものは、アルバムとしては『Styles Of Beyond』のみだ。
  純粋に2人の意思が反映された作品がファンとしてはもっともっと聴きたい。

   今2人のツインボーカルの再始動を望む理由はまだある。

  EXILE ATSUSHIはEXILEを2020年に勇退している。コロナ禍で実現出来なかったEXILEの事実上の勇退ツアーを昨日まで行っていたが、2人ともに自分の名前だけを背負って活動するアーティストである。
  こういったソロのアーティストはある意味非常に孤独である。関係者に恵まれているとしても、あくまで自分自身の名前だけを前面に出して勝負しているから、楽曲やライブなどの興行の責任も一人で全面的に背負う立場なのである。
  こういうある種、独特な孤独を分かち合える相手はそうはいない。信頼関係のある2人が共に活動する時期があれば、互いの孤独を理解しあい、少し肩の荷を下ろすことが出来るだろう。
  そして2人の活動を通して、互いの才能から刺激も得られるはずだ。それぞれの音楽表現にも必ずいい影響を及ぼすだろう。

  例えば互いに離れていても、音源をやり取りしながら、合間合間に少しずつレコーディングをしていく。外部の作家に楽曲の制作を依頼するのもいいだろう。
  技術的にも契約上も十分実現できるし、既にその手法は多くのアーティストが実現させている。
  特に締め切りも、歌わなきゃいけないジャンルも存在しない。少しずつ曲を作りためていき、何年かかけてアルバムとして発表する。そして第一章の曲も合わせて、全国の2人のファンに会いに行ってライブをしてほしい。
   そしてまた互いの活動に戻る。その繰り返しを行うのはどうだろうか。

  そして50代に入ると男性ボーカリストは加齢との闘いになることが多い。20代の時に軽く歌えていたものが難しく感じる時が来ることも想定される。
  それは人間である以上やむを得ないことだ。時間は有限だからこそ、今の40代のうちに2人の活動を始めるべきだと考えている。

  ファンならば好きなアーティストの意思を尊重し、その言動を待つべきだという意見もある。
  ただファンが聴きたい音楽を自由に要望し表現することもまた、何ら間違っていないと思う。
  業界内だけの理解しがたい慣習や不文律がいまだに色濃く残る日本の音楽芸能業界において、完全に自由な発言が許されているのはファンだけだからだ。

  2022年12月には清木場俊介の日本武道館公演にEXILE ATSUSHIがゲスト出演することが決まっているが、その先2人がどうなるのかは現時点では何も分からない。

  ただ言えることは、2006年までに起きたことは決して2人のわがままや不摂生が原因ではない。
  むしろ清木場俊介は"裏切り者"のように言われ続けたり、EXILE ATSUSHIはポリープ手術の後に声質の変容や心身の安定に悩まされたりと、LDHの功労者の2人どちらもが、ボーカリストをミュージシャンとして尊重し適切なマネジメントしてこなかったLDHの戦略が原因で、2006年以降も長年苦しんできた。せめていま、彼らの長年の苦労に報いるようにするべきではないか。

  まずLDHやレーベルのrhythm zoneは第一章の楽曲のサブスクリプションサービス化を許可すべきだ。出来れば当時のライブツアー映像でまだ公開されていないものもソフト化してほしい。LDHには第一章の時の活動を隠さないでもっとオープンにしてほしい。
  そして、長年苦しんできた2人に対して、ツインボーカルとしての再始動に積極的に背中を押すくらいの度量が欲しい。それくらいは罪滅ぼしとして、2人や当時傷ついたファンに対して行なってもバチは当たらないだろう。
   今LDHに所属しているボーカリストの後輩たちは皆、40代の2人の背中を見ているはずだ。歳をとり、黄色い声援がもらえなくなったとしても活躍し続けられるかどうか、不安もあるだろう。
  これからも若い才能を育てていきたいのなら、その手本である彼ら2人を、再始動を望む多くのファンの声に応えるミュージシャンとして、LDHは改めて尊重する姿勢を見せるべきだ。

  2人が今活動することにより、損をする人はまずいない。
  よく2人が活動したらEXILE TAKAHIROがかわいそうだという意見を目にするが、それは的外れだ。
第二章以降にも代表的なヒット曲が複数出て、EXILEの人気を維持できたのはTAKAHIROの役割が大きかった。彼の実力はもう十分に証明されていて、今はEXILE TRIBEのボーカリスト陣を引っ張る立場になり、またATSUSHIと歌う機会はもう今年12月のドームライブでも実現することが決まっている。

   清木場俊介とEXILE ATSUSHIが2016年にあれほど楽しそうに、たった1回の10年ぶりの共演なのに、2006年以前よりもパワーアップしていた2人を見てしまったら、やはり2人のファンの期待は膨らんでしまうのが自然だ。
  もしこれからもミュージシャンやファンを経営の手駒としてしか見ていかないのなら、LDHにはもう音楽に携わってほしくない。ボーカリスト軽視の方針が続くなら、LDHが擁する若いボーカリストの将来もまた不安になる。

  今も信頼関係のある2人のツインボーカルのような、多くの人に望まれる音楽の制作や興行が、コロナ禍で音楽業界が非常に苦しくなった現状でも実現しないのならば、それはもう日本の音楽業界の終焉が始まっていると思う。
 
一切プロモーションされていない、2016年の共演公式動画の視聴回数が、6年経った現在でも1日に約8500回も伸び続けていることは、明らかにファンの声を如実に表しているのに、それを無視するのだろうか。
  なぜ多くのファンの声を無視できるのだろうか。日本の音楽業界はくだらないプライドや慣習に囚われて、もう終わっていいと自ら諦めているとしか見えない。
  ファンは聴きたい見たいものをずっと主張し続けるしかない。2人と関係者の背中を押せるかは分からないが、とにかく声を上げ続けるしかないのだ。
  でもファンの時間やお金もまた有限である。ファンが日本の音楽に失望して諦めてしまい、興味がなくなってしまった時に慌ててももう遅い。それを日本の音楽関係者はいま一度強く肝に銘じるべきである。

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