ATSUSHIの苦悩~2006年の分岐点から
SHUN脱退前最後の2005年に行われたライブツアーを収めたDVD『LIVE TOUR 2005 PERFECT LIVE "ASIA"』の中で「HERO」ではSHUNが、「song for you」ではATSUSHIが涙で歌えなくなる場面が残っている。
これは一つ前の記事の通り、SHUNにファンに対して脱退の挨拶が許されなかったこととメンバーだけが脱退の事実を知っていたことが理由であるが、もう一つの苦悩が記録されている。
それはEXILE ATSUSHIの声だ。
正直、素人耳で聴いても分かるほど苦しそうなくらい声がかすれている。
まさに上記のツアーのあった2005年頃から違和感を抱えていたと2019年のインタビュー記事で自ら答えている。
2004年末から2005年まで登場しているテレビの歌番組でも、徐々に歌声が不安定になっていき、かすれていく様子が分かった。特に高音を強く出す時に辛そうに聴こえた。
現時点で調べられる限り、EXILE ATSUSHIの当時のスケジュールを振り返った。
<2004年>
5~7月 LIVE TOUR"EXILE ENTERTAINMENT"
7~8月 a-nation 参加
8~9月 主演ミュージカル出演
9月 EXILESとして『HEART of GOLD 〜STREET FUTURE OPERA BEAT POPS〜』発売
年間通して 「Carry On」「Heart Of Gold」「HERO」などで多数歌番組出演
そしてCOLORとしても12月にデビューしてシングルをリリース
<2005年>
3月 COLORのシングル発売
7月 GLAYとのシングル「SCREAM」発売
8月「EXIT」発売に伴う多数歌番組出演
8~9月 COLORのシングル、アルバム発売
9~12月 LIVE TOUR 2005 〜PERFECT LIVE "ASIA"〜
秋~年末 多数歌番組出演
そして2004年末~2006年にかけて合間に4thアルバム『ASIA』、COLOR、ソロなどのレコーディング…
明らかに喉をかなり酷使しすぎたスケジュールだった。
アルバムやシングルは制作期間があり、ツアーやミュージカルはリハーサル期間があるから、予定の見た目以上に酷使している。
個人的にATSUSHIの声に不安定さを感じたのは、2004年末頃のテレビ出演時だ。もちろん体調によって喉の調子が悪いことはそれまでも単発ではあったが、この時期は出るテレビの多くで声が不安定になっていた。曲でいうと「HERO」や「Carry On」で晩秋から年末番組に出ていた頃だ。曲のキーはATSUSHIからしたら問題のない高さのはずが、裏返る回数が増え、サビの一番高い音が上手く出ず、歌声にパワフルさが欠けていた。当時は疲れからかなと思っていた。
つまり2004年末には小さな声帯ポリープか少なくとも声帯の炎症が出来ていた可能性が高い。この時点で耳鼻咽喉科を受診させ、作品制作を延期し、番組出演も最低限に抑えた後、2005年明けからは歌わないで喉を休める期間を取り静養し、ステロイド吸入などを併用していたら、手術せずに温存出来た可能性が高い。
参考URL:
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_1214.html
ところが2005年夏に「EXIT」で複数の歌番組に出ていた時には、声のかすれや不安定さは更に悪化し、誰が聴いても分かるほどになっていた。2005年前半までに本当に治療し、耳鼻咽喉科医の指示をちゃんと仰いでいたのだろうか。
当時まともな主治医がいたら、テレビ出演を見たらドクターストップをかけるだろう。
声は声帯を閉じたり開いたりして出すので、声帯が擦られて出来るポリープは歌手にとっては職業病ともいえるが、対応を間違えると手術せざるを得なくなり、声が変わったり、場合によっては歌唱が出来なくなる。そのため必要以上に歌わせずに喉を温存して、手術させないことが何よりも大切なのだ。2000年代には既に当然の常識であった。
ところが休ませるどころか、2005年後半はライブツアーや作品制作、メディア出演で更に忙しくさせてしまった。
私が以前の記事で書いた通り、2003年9月に設立された株式会社LDHには、少なくとも当時は音楽制作のノウハウがある役員がおらず、ボーカリストに対するマネジメント能力に著しく欠けていた。
SHUNの脱退だけでなく、同じ2006年に起きたEXILE ATSUSHIの声帯ポリープ手術という大失態も、明らかにこの理由によるものであると考える。ボーカリストの喉を考慮したスケジュール管理は芸能事務所の第一の役割だからである。
上記の記事の2019年のインタビューでは、ATSUSHIは下記のように述べている。
そもそも前の記事に書いたように、LDHがボーカリストをミュージシャンとして尊重し、彼らの意見を主に音楽制作に取り入れ反映していたら、SHUNは脱退せずに済んだかもしれない。
また脱退するとしても彼らの意思を尊重していたら、ファンに脱退を公表させずにライブツアーをさせる暴挙には出なかっただろうし、そしてそのストレスでATSUSHIが不必要に酒をあおることもなかっただろう。
何よりも声帯ポリープや炎症を2004年末、遅くとも2005年前半には発見し、すぐ適切に休養と治療をしていたら手術はせずに済み、声質は変わらずに済んだ可能性が高い。声帯ポリープはボーカリスト自身の「体調管理」だけでどうにか出来る問題ではない。歌わない期間を作り、喉を温存するスケジュールにすることが何よりも必要だった。
第二章以降のATSUSHIはEXILE TAKAHIROなど新しく加入したボーカリストを率いる重責を担うことにもなり、心身不安定な時期を迎えることにもなった。
個人的には下記のインタビュー記事にあるように、SHUN脱退が決まった後に、ATSUSHI一人で歌うのか、もう一人選ぶのかもATSUSHIには選択肢すらなかったことが、ボーカリストの意見を全く尊重していないように見受けられた。
「みんなは『それ(ボーカルバトルオーディション)すごいね』となるワケです。あんまり落ち込んでいる暇はなくて…」とある。
ボーカルバトルオーディションがすごいねとなったのは、みんな「は」であって、落ち込んでいたATSUSHIにその後のEXILEのボーカル体制を考える権利すら与えられなかったことが分かる。
SHUN脱退が決まってすぐの時期であると、SHUNと二人三脚で歌を作り上げてきたATSUSHIの動揺はまだかなり強かったはずだ。それでもEXILEを続けたいと言ってくれたATSUSHIの気持ちを考慮しないどころか、ATSUSHIの意見を聞かずに次の戦略まですぐに決めてしまったことは、LDHにはミュージシャンとしてのボーカリストに対する敬意が全くなかったことが如実に分かるエピソードだ。
最終的には1人のボーカリストを脱退させ、もう1人のボーカリストの喉を酷使させた結果として手術せざるを得なくなり声質を変容させた。
全てはLDHのボーカリストをミュージシャンとして尊重せずに軽視する姿勢と、ボーカリストのマネジメント能力の欠如が招いたと考えている。
どこかで立ち止まり、LDHが経営陣に音楽制作のプロを据えるか、レコード会社などに助言を仰いでいたら、2006年以降の2人のボーカリストは全く違った状況になっていたのではないか。
私は今でもそれをとても悔しく思っている。
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