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SHUNの真の脱退原因とは~2006年の分岐点から

  2022年9月27日、EXILE ATSUSHIと清木場俊介(SHUN)は同時にデビュー21周年を迎える。互いに紆余曲折を経ても、彼らが競争の激しい音楽業界でそれぞれ活躍していることを嬉しく思う。

  21年前にEXILEのツインボーカルとしてデビューした二人。
   清木場俊介(SHUN)とEXILE ATSUSHIそれぞれの2006年の分岐点を2回に分けて考察し、なぜ2022年の今も彼らのツインボーカルが聴きたいと思うのかを書きたい。

  2006年3月29日、清木場俊介(SHUN)はEXILEを脱退した。
  私は数日前に発表されたニュースに接したときには驚いたのは間違いないが、その後は実はスッと納得出来る感覚もあった。

   アルバム3枚目の『ENTERTAINMENT』の流れから、脱退日に発売された4枚目『ASIA』。聴いていたけど、アルバムとして2枚目までの面白さはないと正直感じたからだ。二人の歌は磨きがかかっているのに、一曲一曲で聴くといい曲もあるのに、アルバムとしての出来は3枚目、4枚目と進むにつれて全く面白くないと感じた。
  私自身のルーツがロックやHR/HM(ハードロック、ヘビーメタル)であり、初めて他のジャンルの音楽に本格的にハマったのがEXILEだったからかもしれない。だから清木場俊介の脱退はとても残念だったけれども、心情的には理解出来た。

  しかし脱退した当時のEXILEは人気絶頂であったためか、一部のファンから"裏切り者"のような心ない声があったことが、清木場俊介本人のみならず、ご家族にまで及んでいたことは、長年取材してきている藤井徹貫氏が取材メモより明らかにしている。

  そもそも、「大人の事情」でなぜか脱退する事実をファンに公表させないまま、2005年の「ASIA」ツアーが敢行されたことに憤りを感じていた上に、脱退した清木場俊介がまるで悪者であるかのように扱われたのには違和感しかなかった。そしてSHUNのいた時期は第一章と名づけられ、長年まるで存在しなかったかのようにタブー視されてきていた。         EXILE ATSUSHIもしばらくSHUNのことは公の場では口にしなかった、いや、なかなか出来なかったように見えていた。

  このモヤモヤっとした感じは、16年も経った現在でもまだ正直残っているように思う。少し薄れてきたとはいえ、むやみに触れてはいけないような雰囲気は残っている。

  よく脱退の理由は「俊ちゃんはロックがやりたかったから」の一言で、まるで清木場俊介のわがままで脱退したかったかのような言葉でよく表現されている。
  でも実態は違っていたのではないかと思っている。まずもしロックをやりたいという理由だけなのならば、脱退を決めるまでに1年間も悩むだろうか。 
   脱退直前の2005年7月に発表したGLAYとのコラボシングル「SCREAM」は明らかにロックの曲でヒットしている。二人のツインボーカルはロックも歌えて、かつ多くの人を魅了する能力があることを明確に証明した。
  もともと2枚目のアルバム『Styles Of Beyond』には「Guilty」というロックの曲も存在しており、詞はATSUSHIとSHUNの共作という珍しい形態だがとてもカッコいい曲だ。
  この『Styles Of Beyond』はR&Bやポップスはもちろん、ロックやバラードなど実に多種多様なジャンルが入った名曲揃いの全く飽きないアルバムだ。この中に入っている「song for you」は「ボーカル2人の希望でシングルカットされた」とテレビ出演時にDJの赤坂泰彦氏が述べている。この曲は今もEXILE ATSUSHIがEXILEで一番好きな曲に挙げている。
  つまり2枚目のアルバム制作まではボーカリスト2人の意思もしっかり反映されていたことが分かる。パフォーマーもアルバム制作に関与するようになった。このアルバムは今でもとても魅力的だ。

  ところが3枚目『ENTERTAINMENT』から様子が変わってきて、ジャンルに偏りが見え始めた。ジャンルとしてのNew Jack Swing(以下、NJS)は二人のハーモニーを楽しむものではなくなっていった。二人のハーモニーを楽しめるものはポップス、ミドルテンポのR&B、バラードばかりになってしまった。
もちろん曲としての「New Jack Swing」はカッコ良かったし、他にも名曲もあり、二人の表現力にも磨きはかかっている。それなのにせっかくのツインボーカルの能力が発揮できない曲が増えていった印象だった。この頃のNJSやHIP-HOPなどのジャンルはどうしても声のサンプリングが増え、楽曲にツインボーカルの能力が十分に発揮されていなかった。
  4枚目『ASIA』ではそれがもっと顕著に表れてしまっていて、このアルバムを録り始めた時期に、清木場俊介が脱退を心に決めたのは必然だったと感じる。

  「どの曲を世の中に出すか、お偉いさんが決める、アイドルみたいなシステムのなか」にいたと下記の記事で清木場俊介が語っているように、音楽制作にボーカリスト2人の意思がほとんど反映されなくなったことが脱退の原因ではないかと私は考えている。
  2枚目の『Styles Of Beyond』まではR&Bなどのダンス向きの曲でも、SHUNはライブなどで感情を強く出せていたから、とてもロックというジャンルにこだわって辞めるようには見えなかったのだ。

  そしてちょうどそのEXILEの明らかな変節は、新たな役員が加わり、株式会社LDHが設立された2003年9月と時期が重なる。
  以前の記事で書いたように、音楽制作のノウハウが全くない役員が就いてしまい、ボーカリストのマネジメント能力に欠けていると言わざるを得ない戦略ミスが長年続いたため、決して偶然の一致ではないと見ている。

  ボーカリストはミュージシャンである。
  音楽制作に彼らの意思が反映出来なくなれば、それはミュージシャンとしての自己表現を止めろということになる。とりわけ音楽に感情を乗せる清木場俊介が、強い違和感を抱いたであろうことは想像に難くない。

  もしEXILEがアルバム2枚目『Styles Of Beyond』の路線を踏襲して、ボーカリスト2人の意思もしっかり反映しながら、NJSなどにも挑戦するスタイルを採用していたら、あるいはSHUNは脱退せずにいられたのでは、とも思う。
  ソロ活動と平行して活動を続けることは十分にできただろう。

  このような理由から、第一章の存在を伏せるようなやり方や、まるでSHUNの一方的なわがままで脱退したかのような理由付けは納得がいかない。
  そもそも、第一章があったからLDHは今があるのではないか。

  ライブDVDの『LIVE TOUR 2005 PERFECT LIVE "ASIA"』では終始SHUNの苦しそうな表情が見られ、「HERO」では冒頭から涙を堪えていたが最後に堪えきれずに涙で歌えなくなったシーンは有名だ。
  もし本当にロックをやりたいという本人の一方的な意思だけで脱退を決めていたのなら、最後のツアーで終始苦悶の表情を浮かべたり涙を流したりするだろうか。
  EXILEを辞めたら、唄をやるならロックだとは決めていただろう。ただ、それを公の脱退理由として利用されたとしか思えないのである。
  SHUNに脱退前にファンへの脱退の挨拶をさせず、清木場俊介を一人悪者とすることを長年そのままにしてきた、株式会社LDHの方針は到底許容できない。
  このSHUNの脱退を引き起こした流れが、ボーカリストを軽視するLDHの戦略による悲劇の始まりとなり、EXILEの「アイドル化」を招いてしまったと思うからだ。

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