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心が通う

先日、大好きな利用者さんとのお別れがありました。
進行性の病気を持っていたAさんです。
自由に手足を動かすことができません。話すことも、呼吸をすることも簡単ではありません。

初めは、ちょっぴり厳しい方かな?と思っていました。
手足の位置を決めるケア(=ポジショニング)の指示が細かくて、訪問し始めた頃は毎回緊張して、ケアが終わるころには冷や汗びっしょり・・・
でも、何回か訪問するうちに分かったことがありました。
Aさんが細かく指示するのは、ケアをするわたしのためでもあるのだということ。
できるだけわかりやすいように、1回で通じるように、説明してくれているということに気づいたのです。

例えば手の位置。
「今はこっちの手が動かなくなってきた。動く指はこの指。だからこの指がリモコンのここに来るように置いてほしい。そうすれば自分でベッドの操作ができるから。」
一つ一つにちゃんと理由がありました。


Aさんの言葉をよく聞いて、その通りにケアをして、確認する。
違っていたら修正する。
その繰り返し。
そこにしっかりと時間をかける。
「ちゃんと教えるから、その通りにやってほしい」
Aさんはよくおっしゃっていました。
ポジショニングはAさんの指示に従うだけのケアではなく、
Aさんの話をちゃんと聞いて、Aさんの心地よさを一緒に創っていくケアなのだと気付きました。


排泄のケアに時間がかかっていたある日、
終わりが見えないかも・・・という空気が立ち込めてきました。
他愛のない話をしていたのに、口数が減ってくるAさんとわたし・・・
ここは空気を変えよう!と思ってした会話が以下の通り。

わたし「一つ質問良いですか?」
Aさん「いいですよ」
わたし「疲れませんか?」
Aさん「大丈夫だよ」
   「・・・一つ質問良いですか?」
わたし「・・・?いいですよ」
Aさん「疲れませんか?笑」
わたし「笑 大丈夫ですよ」

Aさん、わたしがした質問と同じ質問を返して下さったのです。
2人で笑顔を取り戻しました。
そして、その瞬間、体の中心があたたかくなるのを感じました。
心が通うとか、気持ちが通じ合うって、こういうことなのかなと思いました。


その後、病気は進行し、日に日に不自由になる手足。
そのことについて、しっかり説明しながらわたしに指示を出すAさん。
言葉にはできない思いがあったはずです。
でも、いつも淡々と、わかりやすく説明して下さいました。
苦しいはずの吸引にも、いつも真剣に、一生懸命向き合っていました。
聞き取れない言葉は何度も聞き直しました。
何度でも言い直してくれると信じていたから。
いつの間にか冷や汗も出なくなり、わたしはAさんにお会いするのが楽しみになっていました。
緊急訪問にあたると、苦しんでいるにもかかわらず「会いたかったから嬉しい」と言ってしまうほど。
「さとみちゃん、気をつけて帰るんだよ」
いつも帰る時、わたしを心配して気遣って下さいました。

そのAさんが、旅立ちました。
会いに行ったら、とっても穏やかな顔で眠っていました。
触れたら、冷たい。
もうゆっくり話すあの声が聞けないのか・・・
パーマやさんに行きたいって言ってたな・・・
酢豚が食べたいって言ってたな・・・
思い出されるのは、交わしていた他愛のない会話と
ポジショニングする時に何度も触れた手足の感触。

そして、たくさんの言葉を飲み込んで、入院したAさんの決意。
どんな時でも一生懸命生きていたAさんの姿。
ここからわたしは何を学ぶのか。
病名は関係ない。
日々をどう生きるかが大事なんだということ。

今、Aさんとのあのポジショニングの時間が、わたしの中で輝いています。
触れる腕があまりにもふわふわで「やわらかい♡」と言って笑い合ったあの時間。
自信がなくて冷や汗をかいていたわたしを受け入れてくれた。
心地よさは、与えるだけではなく、一緒に創れるものだと教えてくれた。
Aさん、ありがとう。
また会いましょう。

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