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意思決定について考える


「昨日はドラマチックでした」


これは、お孫さんたちとの会話を振り返ったSさんの言葉です。
3人のお孫さんが、Sさんが入院する前に、Sさんに会うためだけに帰省してくれました。
お孫さんたちの滞在時間は数時間だったと思いますが、
せかせかした様子もなく、
礼儀正しく、素直で、みんな優しい。
お孫さんたちと同じくらいの、あの頃の若い私だったら、
「忙しいけど、わざわざ会いに来てあげたよ、おじいちゃん」くらいの雰囲気を醸し出してしまったと思う。(性格悪いのかもしれませんすいません)
そういうのが全くない、本当に素敵なお孫さんたちでした。
Sさんが自慢したくなるのも、納得です。


申し遅れましたが、私は訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみと申します。
初めて買ったCDはWANDSの「世界が終わるまでは」です。スラムダンクの世代です。


Sさんとのお付き合いは約3週間。
私はこの3週間で、Sさんが「決める」ことに何度も立ち会ったように思います。
在宅で点滴をするために訪問看護の依頼があり介入後、今後の療養場所、入院のタイミング、それまでにしたいこと、心配事を委ねる相手…決めることって、言い出したら切りがないのだけれど。
残された時間はあまりありません。日に日に体の自由が奪われる。
だからこそ、Sさんが「自分が決めたんだ」と納得できるように、意識的に関わりたかった。でも、大切なことは「決めること」ではなかったのかもしれない。
そんなふうに思ったという話を今から文章にしたいと思います。

療養場所のこと
「最後は病院で、信頼する先生に看取ってもらう」
初回訪問の時にこんなふうに言っていました。
こちらもそのつもりで関わるけれど、途中で状況が変わり、身体状況が変わり、方針が変わることはよくあること。
想定した上で、何度も確認。
答えはいつも「最後は〇〇先生に診てもらいたい」でした。
ポイントは繰り返し確認することでしょうか。

入院のタイミング
「そろそろ入院する時期かもしれません」とSさんに伝えた日があります。
Sさんの衰弱が進み、家族も介護に疲弊していた日のことです。
療養環境を整備したら、もう少し楽に介護ができるかもしれない。
そうすればもう少し自宅にいられるかもしれないな…と、私自身も葛藤していましたが。でも、それは私がコントロールできることではありません。
Sさんはしばらく沈黙した後に、
「そのように田代さんが考える根拠はなんですか?」
と質問されました。
私は、Sさんの身体状況と、今後起こりうる変化、ご家族の疲労の様子を説明した後に、
「Sさんがこうして色々なお話ができるうちに、自分で決めた方が良いと思うからです。」とお答えしました。
この日は「そうですか。わかりました。家族とも相談してみます」とのお返事でした。
介入当初は入院するタイミングも含めて「全て田代さんにお任せします」と言われていました。
私はこういう時、「わかりました」とものわかりが良い風に一旦答え、「一緒に考えましょう」と加えます。(言葉にする時と、しない時がありますが。)
あくまでも決めるのはSさんやご家族。
私ができることは最善策を一緒に考えること。
迷ったり動揺することも想定した上で、そばで見守ることだと思っています。
最終的に、Sさんはお孫さんとの対面を果たした翌々日に入院されました。
ベストなタイミングだったと思っています。

死ぬ前にしたいこと
「誰にも言わないでほしいんだけど」と、ケア中に急に声をひそめられたことがありました。
お話を伺うと、どうしても運転免許証が欲しいんだ、とのこと。(すでに返納されています)
「免許もないんじゃ、格好悪いでしょう」とおっしゃる。
ほほう…
Sさんは長年頼りにされるポジションでご活躍されてきた方です。
訪問中も様々な方々がお見舞いに来られていて。
別れ際に「後は頼んだぞ」とおっしゃっていることが多く、そういう在り方をされてきたのだろうと想像できました。
そんな自分を証明する一助にしたいのだろうと思いました。
夫に相談したところ、運転免許センターに問い合わせてくれて、「運転経歴証明書」なら取得できるらしいという情報をゲット。
Sさんに伝えると
「それは是非とも取得したい。いつ行きましょう?手伝ってもらえますか?」と目が輝く。
手続きには2時間かかる。直接免許センターに行く必要がある、等事実をお伝えして、手立てを細分化。
まずは、2時間座っていられる体力が必要だ、と結論が出ました。
「よし。じゃあ、点滴お願いします!」と、腕を出して下さいました。
夢や希望が人に与えるパワーってすごい。
後日、このエピソードをご家族にお伝えしたら
「ああ!いつもいうの。免許のことね。実際免許センター行ったこともあるし!」
とのこと。
ズコーっとなりましたが、一瞬でも希望が持てたあの時間は無駄ではないと、今でも確信しています。

委ねられる相手
相続のことは、お孫さんと決めていたようです。(実際のところはわかりません)
治療や通院のこと、サービス調整については長女さん。
トイレやお風呂のお世話は次女さん。

最終段階に近づき、ほとんどベッド上で過ごすようになり、排泄の課題が浮上してきました。
辛くてもトイレで排泄していました。そろそろ尿器でも…と提案した日、
「頑張れるよね、お父ちゃん。歩けなくなったら入院だよ」と次女さんに言われ、
「これは脅迫だ」と冗談だかなんだかわからない返答をしていたSさん。
その後私と2人きりになり、
「次女はどっちかって言いうとガサツだけど、その分決断力があるし、行動力がある。長女は正反対で慎重派だけど、その分思慮深い。どっちも一生懸命やってくれています。」と、2人の娘さんについて話して下さいました。
感動しました。帰りの車で私は父にとってどんな娘だったんだろう?って、考えてしまった。(父は亡くなっています)

お孫さんが帰省した日、長女さんと次女さんとSさんと私で少しお話しました。
療養場所や入院のタイミングをめぐり、家族内がとても揺れていました。
「お父ちゃんの好きでいいんだよ。気使わなくていいんだよ。私が看てあげるよ!」と次女さん。
「ありがとう。あなたが頼りだよ。」と涙するSさん。
長女さんがSさんの手をぎゅっと握っています。
私はこのやりとりを間近でみていて、こういうことだったのか、と思ったのです。
誰が看取るのか、誰が決めるのかが問題ではなくて、こういう時間を共に過ごすこと、思いを伝え合うことが大切だったんだ、と気づかされました。
この段階があって、「決める」がある。
このあと、
「入院します」と、長女さんからお話がありました。
「孫たちにも会って言いたいこと言えたし、父はもう十分頑張りました」と。
翌日、もう一度訪問して、いつも通り髭剃りをして、あったかいタオルで顔を拭いて、点滴をして、握手をして退室しました。
その後、予定通り入院されました。


この3週間、私は看護にすごく集中していました。
Sさんのいのちに寄り添っている実感がありました。
ぎゅっとした日々。看護師としてとっても幸せな日々でした。
SさんやSさんのご家族に出会えたこと、共に生きられたことに感謝しています。
ドラマチックな日々でした。

おわりに
「意思決定」って、「決める」って、動詞のようだけど、名詞なのでしょうか。
(ここにきて疑問形)
Sさんとの日々を振り返っての率直な感想です。
決めることそのものではなくて、それまでのやり取り、対話こそが大切で、
意思決定支援の本質のような気がします。
そこにドラマがある。それがとっても美しくて、とっても素晴らしい。
意思決定をめぐる研究はきっとたくさんあるのでしょう。
でも、今看護師として生きる私が体験したことを、自分の言葉で記したいと思いました。
読んで下さりありがとうございます!

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