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自分とは異なる意見はなぜ存在するのか。私の場合を考えてみた。

こんばんは。

自分の発言に、賛成の意見ばかり
とは限りませんよね。
なるべく争いたくないと思ってしまう私ですが、
自分の意見と異なる意見というものは
必ずと言っていいほどある訳です。

その事を今日は考えてみました│˶˙ᵕ˙˶)꜆


自分がAという選択をしたら、
必ず、Bという選択も存在する。
(それ以上Cも、Dも、、存在するかも)

何かを選ぶという事は
何かを選ばない事。

選んだ方と選ばなかった方が存在する。

だから、違う意見は無数に存在していいって事。

もし、他人から『反対』意見を投げかけられたら?

それは、自分の中で、選ばなかった方への、
感情の残党があるのかも
しれない。

その意見を聞いたとき
大事なのは『内容』よりも
自分が《どう感じたか》

え〜😣つらい(´TωT`)
クソォ〜😠怒り( ・᷅-・᷄ )

私の場合を考えてみたら

ある意見(選んだ方)を言う事で
辛さや怒りを
隠そうとしてたって事かな。

私は素直に辛さ、怒りを言えばよかった。
言いたかったけど
そのままを外に出せなかったので

歪曲した形で放ってしまった。
だから、
「そうじゃない!」
って、反対意見(選ばなかった方)が突如現れた。

(現れたというより、出現させたのは自分。)

私の場合、沸き起こった感情は
ストレートにそのまま吐き出していいよ

っていう事を気づかせる為に
「違う意見」が存在したようです。

私は辛かった、悲しかった、ムカついた
それを感じないという選択を一度する為に
ある事を発言し
それに対しての反対意見を出現させた
他人を使って。

そうする事で、私は、より分かりやすい形で
自分の感情に
気づく事ができた。

これも、全て
目では捉えられない『部分』の《わたし》によって選ばされたこと。


今日も、お楽しみ様でした♡

今を生きましょう꒰ঌ( ˊ˘ˋ)໒꒱

ありがとうございます✨



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