強さとは?
おはようございます( ¨̮ )
自分は結局、自己保身の強さしか持ち合わせていなかったんだと
反省の朝を迎えています かなっぺ です( ¨̮ )
今日は、強さ について考えてみました。
強い人ってどんな人でしょうか?
私は、ここ数年、日本の危機(もしくは自分の危機ww)を感じて
多方面での知識・情報をお勉強してきました。今もしています。
知識が増えれば増えるほど、
世の中の見え方が変わり、
社会の変化にもある程度柔軟に、
対応することができるようになった
という実感はあります。
人間関係においても、
広い視野で物事が見れるようになったので、
余計なことでイライラもしないし、
良い意味で受け流すことができるようにもなりました。
そんな実体験からみても
知識や情報も強さの要素といえそうです。
これは、個人レベルの話だけじゃなく、
世界レベルでも、
「情報をどう扱うか」は最重要事項になっている様です。
「情報戦」ですね。
先の戦争も、ドンぱちの前には情報戦があったのは、今は日本人でも知る人は多いでしょう。(数年前からGHQから極秘だった情報がダダ漏れ中w)
今の世の中を「情報戦」の真っ只中といった視点で見ると、
なかなかシビアでクレイジーな状況が見えてきたり、こなかったり、、、。
(そこら辺は、ご自分の力量裁量でお調べくださいませませ)
話を元に戻しましょう。
知識や情報をたくさん持つことは、強いと言えるのか?
今、私たちが知ることのできる知識や情報は、
「今の段階」で本当か嘘かと判別できることも
あるかと思いますが、
それはあくまでも、「現段階」での話でしかありません。
今は「嘘」でも300年前は「本当」と思われていたこともあるかもしれません。例えば、河童とかw
むしろ、数十年前までの非常識が今は常識なんてこともありますよね。
知識や情報は、本当か嘘か では強さの要素にはなりにくいと私は思います。
そもそも、本当か嘘かに拘ってしまうと、物事は前には進みません。
大切なことは「強さの対象」です。
なぜ強く在りたいのか
なんの為に強くありたいのか
「強さの対象」が、
例えば「自分」
に向いていたとしたら、
案外、知識や情報の量なんていらないかもしれません。
むしろ何も武器を持っていない方が、
なりふり構わず戦うのかもしれません。
そうやって、のし上がっている人や安全安心な場所に居座っている人は、割と多いのかもしれないなと思いますww
(それが良いとか悪いとかは私には判断するつもりはありません。自分の知識や情報をどう使うのかは、当人の自由ですから)
利己的な強さ 利他的な強さ
難しい言葉で書いてみましたww
強さの対象を意識してみてください。
私も、結局、知識や情報を得て、何をしたかったか?というと、
自分を守りたかっただけかもしれないんです。
しかし、知識や情報をしれば知るほど、
特に、日本の歴史は知れば知るほど、
自己保身、利己的では済まない「強さ」の必要性を感じてしまいます。
日本の歴史の中には、「他者のため」の強さをもった人たちのエピソードがてんこ盛りです。
「強さ」を持つならば、「自分」にではなく「他者」のための強さを身につけたい。
そう思うこともまた、一つの強さなんだろうなと、感じています。
皆さんの「強さ」
何のために使いますか?
今日もお付き合い頂きありがとうございました( ¨̮ )
また覗きに来てくださると嬉しいです( ¨̮ )