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身体的症状を、感情ベースで捉えて不調を癒す。

こんばんわ。

先日、お腹が痛くなりました。

そこから、見えてきたものは、

私の、摂食障害とそれに付随する鬱積した感情 です。

食べること、太ること への恐怖、憎しみ、悲しみ

今日は、そんな気づきのお話です。

食べることが苦手だった幼少期

小さな頃から、食べるのが遅かったんです。

好き嫌いも多かった。

幼稚園のときは、お弁当だったので、母が私にあった丁度いい量のお弁当を作ってくれていたので有り難かったのですが、

友達の家の呼ばれたり、子供会とかで、みんなが食べているものが食べられなかったし、(そもそもカレーが嫌いだった)

食べるのが遅くて、他の子は遊んでいるのに、自分だけまだ食べてるとか、そんなことがざらにあって

私は、人前で食べるのが、嫌いでした。

小学1年生 初めての給食という恐怖

私は、給食を食べることができるか心配で、

給食が初まる日の前夜寝られず、

母に宥めてもらいながら、泣きながら寝たのを、鮮明に覚えています。


嫌いなものが出たらどうしよう

時間内に食べ終わらなかったらどうしよう


そんなことがぐるぐるぐるぐると頭の中を駆け巡り、

不安で不安で仕方がなかった。


案の定、私は、給食の時間が、人生最大の苦痛の時間になった。


嫌いなもののオンパレード

時間内になんて食べ終わらない

お昼休みになっても掃除の時間になっても食べている


もう嫌だ、もう嫌だ


みんなと同じにできない

量が多すぎる

気持ち悪い

残したい

けど

それが先生に言い出せない

みんな食べているのに、どうして私だけ食べられないの・・・・

小学3年生 太る恐怖と、運動ができない劣等感が生まれる

そんなに食べていないのに、気がつくと、小学3年生頃から

私はぶくぶくと太りだした。

4年生になってバスケットの同好会に入るけど

足も遅いし、なかなか上手くならないことが悲しくて

悲しい上に、太っているせいで「安西先生」って呼ばれるし

もう、辛かった。

バスケやってるのに走るの遅いって中々の劣等生・・・

私は、バスケを1年で辞めた。

そのことをひどく母に責められた記憶がある。

なんだか、毎日がつまらなくなった。

その頃から、小学6年生までの記憶が、私は実は乏しい。

不思議なくらいに覚えていない。

なんとか絞り出して思い出そうとすると、

先生に注意された事とか、大嫌いだったマラソン大会のこととか、そんなことで、楽しかった記憶が思い出せない。

思い出さない様にしている気もする。

中学生時代 状況が変わりだした 痩せ始める。

痩せたから、なのかどうかはわからないけれど、

中学に入ると、小学生の頃とは、打って変わって、激痩せした。

というよりも、周りの子が太り始めたんだと思う。

私は、周りより少し成長が早かったんだと思う。

小学生でも背も高い方だったし、太っていたっていっても、今、過去の写真を見ると、私より太っている子もいた。標準よりちょっと成長が早かっただけなんだと、今なら思える。

ただ、中学生になって、「痩せていること」を羨ましがられる様になった。

高校生になっても尚のこと、痩せている私は、周りから羨ましがられる存在になれた。

その上、小学生のころは鳴かず飛ばずの成績もまずまず伸び始め、優等生になれた私は、

中学、高校、大学と歳を重ねるごとに、自分への自信を取り戻し始めた。

でもその自信は「痩せている」ことで担保された。

痩せているから、私は自信を持てた。

痩せていれば、周りから見放されることはないって

自分に擦り込んだ。

不安になると吐く

中学2年生の頃からだと思う。

体重計を気にするようになって、少しでも体重が増えると、吐くようになり始めた。

そうだ、その頃から、胃薬も飲み始めて、胃をよく壊してた。

部活のいざこざがストレスだった。

この頃から、太ること以外にも、不安なことがあると、吐くことで、安心感を得ることを覚え始めた。

大学生の頃も、めちゃくちゃ吐いてた。

高校が女子校で、その頃流行ってたミニスカートも、ルーズソックスも履いた事のない、いわゆる「ダサい女子高生」だったから

大学に入って、ダサさを売りにしながらも、周りと上手く合わせる事に必死で、その上、実習とかで、精神的に追い詰められる日々で、

ホイップクリームをチューブごと飲んだり

アイスを食事代わりにしたり

そして、体重が増えると吐く。

吐くと安心した。

体重が減ると安心した。

それに、痩せていると食べなくて済むってことも知った。

もともと、食べることが苦手だったので、痩せていると、周りも食べない、食べるのが遅くても、咎めない。

だから、周りと合わせられない自分を正当化するために、痩せている必要が私にはあった。

もうこの頃から、食べるのか怖いのか、太るのが怖いのか、

ただ単にストレスで吐いてるのか、よくわからない状態になって

とにかく安心したくて、吐いてたし、吐くために食べてた。

それでも、摂食障害って思ってなかった

こんな状態で、摂食障害って自分で自覚してないんですよ。

ようやく認めたのは、先日の腹痛で、自分を観察してようやくですww

最近?

実は、今でも吐いてますよww

(旦那も知りませんw初めてここで暴露してますよ私ww)

っていうか、吐くことが当たり前すぎて、気持ちを安定させるための行為なので、もう、何も考えずに吐いてます。

最近は、だいぶ減りましたけど。

そもそも吐くことで、食道が荒れるのも嫌になったので「食べない」

そもそも最近は食べない。

でも、やっぱり食べすぎれば、吐きます。反射的に。

コレは、慢性摂食障害ですよね。

でも、自分では自覚できてないんですよ。

摂食障害って認めたら吐けなくなっちゃうじゃないですか。

心の安定剤がなくなっちゃう。

だから認めてこなかった。


でも

じゃぁ吐かなければいいか っていうとそうでもないんですよね、

結局、私が摂食障害になった裏側にある感情と向き合う必要があるんです。


周りと同じように食べれない 悲しさ

周りが私を無視して食べることへの 怒り

太っていた頃の辛いできこと


先日、腹痛になった要因を、自分の感情ベースで考えてみたら

私の中の、悲しみ、憎しみ、悲哀、絶望感 にたどり着きました。


小学3年生から6年生の頃と18歳から21歳頃までの記憶の中にある感情の歪み


この感情たちを癒してあげたい

そう感じられる様になったのも、自分を一歩前に進めようとしている

私の魂からのメッセージだと思います。


腹痛は魂からのメッセージ

身体の不調は、その症状に付随する心の不調も癒さないと真の完治はできないそうです。

今回のしんどい腹痛を、魂からのメッセージとして受け取って、

見つけた感情を、コレから癒していきたいと思います。


また、機会があれば、後日談もnoteしますね。

今日はなんだか長くなりましたがお付き合いくださりありがとうございます。

また、覗きに来てくださいね。







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