シリーズ「霊の中に生きる」 No.1 人の霊 (1)


人の霊(1) - 牧師の書斎

ベレーシート

(1) 秘密の昇天
イェシュアが死からよみがえったのは「週の初めの日」でした。主の例祭では「過越の祭り」の「安息日」の翌日の「週の初めの日」は「初穂の祭り」です。

復活された日の朝、イェシュアは初穂としてのからだを御父にささげる必要があったために、自分にすがりつこうとするマグダラのマリアに対してこう言われました。

「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方・・のもとに上る』と伝えなさい。」と(ヨハネ20:17)。

聖書には明確に書かれてはいませんが、復活されたその日の朝に、イェシュアは「秘密の昇天」をされているのです。

御父である方のもとに上るということが、40日後の昇天だと考えているとすれば、復活の一週間後にトマスの前に現われたイェシュアが、「あなたの指をここに当てて・・・わたしの脇腹に入れなさい」(ヨハネ20:27)とは言われなかったはずです。

(2) いのちを与える霊となられたイェシュア


復活の初穂である「御霊のからだ」は時間空間に支配されません。御使いと同様に、地と天を自由に上り下りすることができるのです。復活したその日の夕方、イェシュアは隠れている弟子たちのところに現われました。そこは戸に鍵がかけられていたにもかかわらず、その戸をすり抜けて彼らの真ん中に立たれたのです。そして弟子たちに息を吹きかけて言われました。

「聖霊を受けなさい」と(同、22節)。

息を吹きかける行為は、神である主が大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹きかけたシーンを想起させます(創世記2:7)。

弟子に「息を吹きかけて」は動詞「エンフュサオー」(ἐμφυσάω)のアオリストで、新約ではこの箇所だけに使われています。そして息を吹きかけられることは「聖霊を受ける(聖霊を受け取る)」ことと同義で語られています。

「聖霊」は「プニューマ・ハギオス」(πνεῦμα ἅγιος)で、ヘブル語にすると「ルーアッハ・ハッコーデシュ」(רוּחַ הַקֹּדֶשׁ)となります。聖書で「プニューマ」、および「ルーアッハ」「息・風・霊」を意味します。

(3) 40日間の顕現

復活されたイェシュアが40日間、弟子たちのところに顕現されて御国の福音を再度語られたことは重要な出来事です。なぜ40日間なのかといえば、これは神の民にいわば新しいことを始めさせる準備期間だからです。

40日(40夜)、400年という数は神の大いなるわざがなされる前の準備期間(試練も含む)なのです。

例えば、


①ノアの大洪水・・ 「地の上に四十日四十夜、雨を降らせた」(創世記7:4, 12, 17, 8:6)

②アブラハムの子孫が寄留者となる・・主はアブラムに言われた。「あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる」(創 15:13)

③シナイ山での契約・・モーセは四十日四十夜、山にいた (出 24:18)

④イスラエルの荒野での生活・・イスラエルの子らは、人が住んでいる土地に来るまで、四十年の間マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまでマナを食べた(出16:35)。

⑤カナンの地の偵察・・四十日の終わりに、彼らはその地の偵察から戻った(民 13:25, 14:34)

⑥モーセの召命・・四十年たったとき、シナイ山の荒野において、柴の茂みの燃える炎の中で、御使いがモーセに現れました(使 7:30)。

⑦イェシュアの公生涯の前・・イェシュアは四十日間荒野にいて、サタンの試みを受けられた。
(マル1:13)

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