日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 13. 水とパンという「生存の保障」②
日本の残されし民より未来の全人類
(選ばれし民)へ 。
シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画
13. 水とパンという「生存の保障」②
2023.10.1~8 The 2nd Celebrate Sukkot
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出エジプト記 15章22節~17章7節
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
今回は「13. 水とパンという「生存の保障」」②について学びます。
その前に、、、
『主の祈り』です。
6.9
天にいます私たちのお父様、
あなたの御名が聖とされますように。
6:10
あなたの王国が来ますように、
あなたのご意志がなりますように、
天におけるように地の上にも、
6:11
必要な私たちのパンを、
私たちに今日与えてください、
6:12
私たちに私たちの負債を赦してください、
私たちもまた
私たちの負債者たちに赦したように、
6:13
私たちを誘惑の中に引き入れないでください、むしろ私たちを悪から救い出してください。
マタイによる福音書6章9〜13節
(ギリシア語原文より)
6章11節で主、イェシュアは後世の私たちに対しても、こう祈りなさいと教えられ、今はご自身の王国において、さらに祈りと嘆願の霊(聖霊)もて私たちのために、取りなされておられます。
1. マラとエリムでの出来事
*注「マラ」は「苦い」の意
エジプトを出たイスラエルの民にとって、荒野の経験ははじめてでした。
持っていた水がなくなったとき、あるいは食糧が尽きたとき、「つぶやき」が出ることを神を知っておられました。
水やパンは生存を保障する最も基本的なものと言えます。
その保障がなければ、イスラエルの民は組織的崩壊をもたらし、統制の取れない民となってしまいます。
だれがこの保障を与えてくれるか、だれがこの私を生かしてくれるのか、本当に、主が自分たちの中におられるのか、おられないのか、そうしたことが問われるのが「荒野経験」と言われるものです。
荒野とは、神と神のことばをに対して絶対的な信頼をもって生きる者に、神は必要のすべて与えてくださるということを経験して行く場と言えます。
15:22
さて、モーセはイスラエルを紅海から旅立たせた。
彼らはシュルの荒野に入り、三日のあいだ荒野を歩いたが、水を得なかった。
15:23
彼らはマラに着いたが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。
それで、その所の名はマラと呼ばれた。
15:24
ときに、民はモーセにつぶやいて言った、「わたしたちは何を飲むのですか」。
15:25
モーセは主に叫んだ。
主は彼に一本の木を示されたので、それを水に投げ入れると、水は甘くなった。
その所で主は民のために定めと、おきてを立てられ、彼らを試みて、
15:26
言われた、
「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。
わたしは主であって、あなたをいやすものである」。
15:27
こうして彼らはエリムに着いた。そこには水の泉十二と、なつめやしの木七十本があった。
その所で彼らは水のほとりに宿営した。
出エジプト記15章22節~27節
「マラの出来事」(15:22~27)は、紅海渡渉という前代未聞の出来事を経験して主への賛美をささげた三日後のことで、マラというところに来たとき、「マラの水は苦くて(מָרִים)飲むことができない」ということで、民はモーセにつぶやいたのです。
「マラ」の語源は「マーラー」(מָרָה)で「反逆する、不従順になる」ことを意味します。