シリーズ「霊の中に生きる」 No.5人の霊(5) ②

シリーズ「霊の中に生きる」 No.5
人の霊(5) ②

人の霊(5) - 牧師の書斎

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです

1. たましいと霊を見分けて生きる

闇の中より照り出ずる光

【新改訳2017】

ヘブル人への手紙4章12節


神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、

たましいと霊、
関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、
心の思いやはかりごとを
見分けることができます。

神のことばが生きて働くと、たましいと霊を見分けることができるようになり、心の思いやはかりごと(動機)をも見分けることができるようになるのです。

そうすれば、たましいから逃れて、霊の中に生きることができ、御霊に属する者として成長できるのです。

神である主が人間を造られたときに、「その鼻にいのちの息を吹き込まれた」(創2:7)ことで、霊とたましいとからだのそれぞれにいのちが与えられたのです。

「いのちの息」を「二シュマット・ハッイーム」(נִשְׁמַת חַיִּים)と言いますが、「息」を意味する「ネシャーマー」(נְשָׁמָה)は、「霊」を意味する「ルーアッハ」(רוּחַ)と同義です。

また、「いのち」を意味するヘブル語の「ハッイーム」(חַיִּים)は「ハイ」(חַי)の複数形です。

なぜ複数形なのかと言えば、「いのちの息」が「霊」のみならず、「たましい」にも「からだ」にもそれぞれいのちを与えるものとなったからです。

「霊」の部分は人間にのみ与えられた重要な部分です。

というのは、「霊」は神と交信する重要な部分で、「人の霊」が司令塔としての機能を持ち、「たましい」と「からだ」を統括するように神によって造られていたからです。

ところが、サタンの戦略は人の霊からの指令を通さずに、たましいとからだによって生きるように仕向けることでした。

その戦略に人はまんまと騙されてしまったのです。

これが罪であり、死です。

「霊」のいのちとしての機能が死んでしまったのです。

「死んでしまった」といっても、その存在がなくなってしまったというのではありません。

機能不全を起こして、あたかも死んだような状態になってしまったのです。

その結果、油注がれたメシアなるキリストがイエスとなって世に遣わされることとなったのです。

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