シリーズ「霊の中に生きる」 No.7人の霊(7) ②

シリーズ「霊の中に生きる」 No.7
人の霊(7) ②

人の霊(7) - 牧師の書斎

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

今回はこの「いのち」についての話をしたいと思います。

1. 信仰は人の霊の中で起こる

人のうちに泉となって流れ出るいのちを与えるために、イェシュアは栄光を受ける必要がありました。

その栄光とはイェシュアの復活です。

復活したその日に、イェシュアは「いのちを与える御霊となられた」(Ⅰコリント15:45)ことで、弟子たちに息を吹きかけて、聖霊を受けるようにと人の霊の中に入って下さったのです。

それは機能不全を起こして死んだようになっていた人の霊を再生するためです。

ミングリング(調合)

人の霊を再生(回復)するために、イェシュアの一連の贖いの出来事(受肉・洗礼・受難・死・葬り・復活)が必要だったのです。

人の霊の中に神の霊が働き、そこに神のことばである種が植えられることで、人は「新しく造られた者」(新創造=New Creature)となったのです。

このことをインカネーション(受肉)とも言います。

この神の事実を霊の中でそのまま受け入れて信じて生きることが、「信仰によって生きる」「御霊によって生きる」ということなのです。

しかし、それは簡単なことではありません。

イェシュアが「肉は何の益ももたらしません」と言われたように、私たちが神のことばを霊の中で聞かずに、肉、つまり「たましい」(心)の中で聞くとどうなるでしょうか。

それはアブラハムの妻サラのようになります。 

【新改訳2017】

創世記18章1~2, 9~15節


1

【主】は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れた。
彼は、日の暑いころ、天幕の入り口に座っていた。


2

彼が目を上げて見ると、なんと、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはそれを見るなり、彼らを迎えようと天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏した。


9

彼らはアブラハムに言った。

「あなたの妻サラはどこにいますか。」彼は答えた。

「天幕の中におります。」


10

すると、そのうちの一人が言った。

「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」サラは、その人のうしろの、天幕の入り口で聞いていた。


11

アブラハムとサラは年を重ねて老人になっていて、サラには女の月のものがもう止まっていた。


12

サラは心の中で笑って、こう言った。

「年老いてしまったこの私に、何の楽しみがあるでしょう。それに主人も年寄りで。」


13

【主】はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑って、『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言うのか。


14

【主】にとって不可能なことがあるだろうか。

わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」


15

サラは打ち消して言った。「私は笑っていません。」恐ろしかったのである。しかし、主は言われた。「いや、確かにあなたは笑った。」

三人の人がアブラハムのところに訪ねてきました。アブラハムは彼らをもてなしました。

アブラハムとサラ

もてなしの会食の後で、三人の中の一人がこう言いました。

「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています」。

サラは、その人のうしろの、天幕の入り口で聞いていましたが、心の中で笑ってしまったのです。

なぜなら、「アブラハムとサラは年を重ねて老人になっていて、サラには女の月のものがもう止まっていた」からです。

理性で考えるなら、だれでも笑ってしまうところです。

神のことば(=神の約束)をこのようにたましい(心)で聞くなら、だれもが笑ってしまう話です。

ところが、霊の中で聞くならば受け入れられ、そしてそのことが可能となるのです。

サラは一時、心の中で笑ってしまいましたが、その後はそれを信じて受けとめたことが記されています。

【新改訳改訂第3版】

ヘブル人への手紙11章11節


信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。

彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。


(※新改訳2017では11節の主語がアブラハムに変更されています。しかし夫婦ともに神のことばを信じたことは確かな事実と言えます。)

イェシュアを胎に宿したマリアはどうだったでしょうか。

御使いガブリエルがマリアに受胎告知をしたとき、マリアは戸惑いながらも、「どうぞ、あなたのおことば(レーマ)どおり、この身になりますように」と言いました。

(ルカ1:38)

エリサベツがそんな彼女と会った時に、「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです」(ルカ1:45)と言っています。

そしてマリアは次のような賛歌(信仰の歌)を歌っています。

「私のたましいは主をあがめ(原文は「ほめたたえ、賛美する」)、私のは私の救い主である神をたたえます」。

(原文は「喜び踊ります)

(ルカ1:46~47)

このマリアの賛歌には、キリストにあって新しく造られた者たちの予表が啓示されています。

マリアは神のことばである神のレーマを聞き、それを信じました。

このレーマが霊であり、人にいのちをもたらすのです。

マリアは神のことばである神の言(レーマ)を聞き、それを信じました。

神の言(レーマ)には不可能はありません。

普通の人間の“言葉”と神の“言”や天使が語る“言”の違いを考えなければなりません。
不思議な力、生命が含まれていて、奇跡的な事をしでかすのが神の言(レーマ)です。

この言(レーマ)が霊であり、
人にいのちをもたらすのです。

奇跡をもってしても、信じてくれる者の幸福の実現を願うのが神の愛の御意です。

ガブリエル天使は『神には、何にもできないことはありません』と母マリアに告げました。

この信仰を持つことです。

神様が約束してくださるのなら必ずなると信ずるならば必ずなります。

聴け神の言(レーマ)!神の呼び声を!


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