シリーズ「霊の中に生きる」 No.17人のからだ(9)

シリーズ「霊の中に生きる」 No.17
人のからだ(9)

献身の動機は人がキリストの愛(あわれみ)に感動し、それに捕らえられるという感覚です。

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

シリーズ「霊の中に生きる」の第17回目です。
今回は「人のからだ」についての第9回目です。

人のからだ - 牧師の書斎

祭司の聖別に話を戻します。

モーセは「注ぎの油」を取って、幕屋とその中にあるすべてのものに油を注いで、それらを聖別しただけでなく、アロンの頭にも注いでアロンを聖別しています。

ここではモーセは神の代表であり、大祭司アロンはその子らとイスラエルの民の代表です。つまり、アロンは神と人とを仲介する代表的存在です。

アロンを聖別することは、その下にいる者たち全員の聖別ともなるのです。

【新改訳2017】レビ記8章12, 22~24節


12

また、注ぎの油をアロンの頭に注いだ。

こうして彼に油注ぎを行い、彼を聖別した。


22

次に、彼はもう一匹の雄羊(他の一匹の雄羊は全焼のささげ物として献げられた)、すなわち任職のための雄羊を連れて来させた。

アロンとその子らはその雄羊の頭に手を置いた。


23

それが屠られると、モーセはその血を取り、それをアロンの右の耳たぶと右手の親指と右足の親指に塗った。


24

さらに、モーセはアロンの子らを近づかせ、その血を彼らの右の耳たぶ、また右手の親指と右足の親指に塗った。

モーセはその血の残りを祭壇の側面に振りかけた。

「任職のいけにえ」(雄羊)の場合、アロンとその子らは雄羊の頭に手を置き、その雄羊をほふり、その血を祭壇の側面に振りかけます。

またその血は、アロンとその子らの右の耳、右手の親指、右足の親指に塗られました。

右の耳」は「主の声を聞くため」であり、「右手の親指」は「主の働きをなすため」であり、「右足の親指」は「主に従って歩むため」の象徴です。

それらは祭司の存在のすべてが神のために聖別されることを意味しています。

また、なにゆえに「右耳」「右手」「右足」なのでしょうか。

」と訳された「ヤーミーン」(יָמִין)は「祝福された者」を意味します(マタイ25:33~34参照)。

イェシュアも父の右の座に着座されています。

幸いなるかな、主に祝福された者よ!

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