『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ』 シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第三章 ④

『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ』 

シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第三章 ④

モーセの召命と使命(1) - 牧師の書斎

ちょと込み入った話😇

『神に仕えるモーセ』

3. 出エジプト記3章12節後半と
21, 22節における動詞の時制について

私がいつも使用している新改訳聖書(第三版)では、3章12節の後半の部分が、以下のように命令形のように訳されています。


「あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」

しかし、他の聖書の訳を見ると次のように訳されています。

【新共同訳】
「あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」


【岩波訳】
「あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたたちはこの山で神に仕えるだろう


【フランシスコ会訳】
「おまえが民をエジプトから導き出したとき、おまえたちはこの山で神に仕えるであろう


【NKJV】
you shall serve God on this mountain.

  • 原文では、「仕える」という動詞は複数男性二人称未完了パアル態となっています。


  • 同じく3章の21節、22節においても、新改訳聖書では動詞が命令形であるかのように訳されています。他の聖書の訳も挙げてみます。「命令形の訳」、水色のマーカーは「そうなるであろう」という「確約の訳」、緑色のマーカーは「許容の訳」となっています。

(1) 新改訳聖書(第三版)
21 わたしは、エジプトがこの民に好意を持つようにする。あなたがたは出て行くとき、何も持たずに出て行ってはならない


22 女はみな、隣の女、自分の家に宿っている女に銀の飾り、金の飾り、それに着物を求め、あなたがたはそれを自分の息子や娘の身に着けなければならない。あなたがたは、エジプトからはぎ取らなければならない。」

(2) 新共同訳
21 そのとき、わたしは、この民にエジプト人の好意を得させるようにしよう。出国に際して、あなたたちは何も持たずに出ることはない。
22 女は皆、隣近所や同居の女たちに金銀の装身具や外套を求め、それを自分の息子、娘の身に着けさせ、エジプト人からの分捕り物としなさい。」

(3) 関根訳
21 わたしはエジプト人の恩顧をこの民に与えよう。だから君たちが立ち去る時、空手で立ち去ることはないであろう。
22 女はその隣人や同居者に、銀や金の器、衣服を乞い求め、それらを君たちの息子や息女たちに背負わせるがよい。そのようにして君たちはエジプト人の物を分捕ることができる


『死より生命への解放』

(4) 岩波訳
21 わたしがこの民をエジプト人の気に入らせるので、あなたたちは立ち去るとき、手ぶらで立ち去ることはない
22 女はそれぞれ女性の隣人や同居人から銀と器物や上着を求め、あなたたちがそれらを息子、娘たちに背負わせなさい。あなたたちはエジプト人からはぎ取ることができる

原文では、どのような時制になっているかを見てみます。


(1)

21節の新改訳では「何も持たずに出て行ってはならない。」とありますが、原文では否定詞の「ロー」לֹאの後に、「行け」という「ハーラフ」הָלַךְの2人称複数未完了形が続き、その後に「空手で」という副詞が続いています。

新改訳はここを「空手で行くな」と命令形のように訳していますが、新共同訳、関根訳、岩波訳では未完了形で訳しています。

英訳ではほとんどYou shall not go empty(-handed) と未完了形で訳していますが、これは新改訳のように命令否定表現です。

(2)

22節では、原文ではすべての動詞が完了形で記されていますが、訳文では新改訳は一貫して命令形で訳しています。

なぜなら、ここの完了形は「倒置ヴァヴ法」で、その前にある「あなたがたは行くな」を意味する「ロー・テールフー」(לֹא תֵלְכוּ)という否定命令を引き継いでいるからです。にもかかわらず、他の日本訳はまちまちです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?