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ベンヤミンは......

ベンヤミンは『一方通行路』の中の短文「階段に御注意!」でこう書いています。「優れた散文が生まれる作業過程は、三つの段階を踏む。構想される音楽的段階、組み立てられる建築学的段階、最後に、織り上げられる紡績工業的段階、である」と。

ベンヤミンの「優れた散文が」という前置きを「優れた詩が」とかえれば、逆の段階を踏むことも可能でしょうか? まずは糸を紡ぎ-織る紡績工業的段階(日々こつこつと糸紡ぎ-機織り)、次はそれを組み立てる建築学的な段階(織った布を裁断し-構成し-縫製し)、さらにそれを音楽へ昇華させる段階(そこかしこに滲みや綻びを)。

どうしてベンヤミンは短文の題を「階段に御注意!」としたのでしょう? 昇るとき? 降りるとき? おそらく〈詩〉の形成(形声)とは、この危うい昇-降を繰り返すことだろうと思います。しかし〈詩〉とは、「言葉」による「何か」の「別の何か」への〈変容〉、より端的には「言葉」による「言葉そのもの」の〈変容〉の過程とそれを跡づけようとする〈書く〉行為の〈痕跡〉だとすれば、「優れた詩が」という前提自体がすでに揺らいでいます。そこではア・プリオリに「優れた詩」という概念がないからです。〈詩〉に優劣はなく、〈詩〉が「言葉」による「言葉そのもの」の〈変容〉として〈実現〉されているかどうかだけです。だらかベンヤミンの言葉を書きかえます。「〈詩〉が形成(形声)される過程は、無数の段階を踏み返す。紡績-建築-音楽/音楽-建築-紡績/……/……/繰り返し/繰り返し、「自己の生存と現存」※を賭けて、〈詩〉を「言葉」による「言葉そのもの」の〈変容〉として〈実現〉するまで。

――2009年『現代詩手帖』4月号、特集「ゼロ年代詩のゆくえ」の「ゼロ年代詩人ファイル」より

※「自己の生存と現存」という言葉は、思潮社50周年記念・現代詩新人賞の募集要項に稲川方人氏が綴られていた「詩が言語によって構成されることの根拠に、何よりも強い思考で応えよう。(……)何を書くのだとしても、自己の生存と現存を克服する言語を構築しよう」という文章に拠っている。

2009年『現代詩手帖』4月号(思潮社)

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