自己紹介のような長いもの(2020)
前書き
こんにちは。んよりんかです。
以下の文章は、公園をやろうと思い、それを放り出して、そしてもう一度選び直す話です。
そもそも私がこんな文章を書こうと思ったのは、FLY Program(後述)で課せられたレポートのためであり、どうせ書くなら公開してレスポンスをもらえたらいいな・・・と思ったからなので、もしこれを最後まで読んでくださるような方がいれば、そしてもしよければ、何かしらの反応がいただけると非常に喜びます。
自己紹介のようなもの
私にはこの1年間二つの肩書きがあって、自己紹介にどちらを使うべきか、頭を悩ませてきました。
一つ目の肩書きは「東京大学前期教養学部理科I類1年」です。正確には0年生なのですが。
そして、この0年生ということを説明するのがもう一つの肩書きである「FLY Program7期生」です。
FLY Programというのは、おそらく大半の人にとって聞き馴染みのない単語だと思います。というのも無理はないことで、この名称は東京大学の固有名称で、しかも、年間に10人程度しか利用できない制度だからです。
一般的にはこの制度はギャップイヤーと呼ばれる英語圏発祥の制度で、高校卒業と大学入学の間に半年〜1年、休みの期間を設けて、自分の好きに使おうということで始まったものだそうです。日本ではあまり浸透していませんが、個人的には今後日本を含め英語圏外でも広まるのではないかと思っています。
このプログラムについて、大学の言葉を引用すると、「入学した直後の学部学生が、自ら申請して1年間の特別休学期間を取得した上で、自らの選択に基づき、東京大学以外の場において、ボランティア活動や就業体験活動、国際交流活動など、長期間にわたる社会体験活動を行い、そのことを通じて自らを成長させる、自己教育のための仕組み」となっています。
これを私の言葉で説明すると、「1年間やるから学校で学べないことを自由に学んでこいよ」で、このフレーズ、FLY Programを端的に表せているのでは?と勝手に思っています。
FLY Program初期
さて、前置きはこのくらいにして、私はこのプログラムで何をしようとしていたのか、というと、それは「公園は有料化され、地域住民とともに地域ぐるみで運営されるべきだ」という仮説に基づき国内外の現状調査を行うことでした。
私が公園に興味を持った理由は、公園が、私の興味のあった都市工学と社会課題の重複分野だったからです。
私が都市工学をやりたい!と思っていたのは、「大改造!劇的ビフォーアフター」という番組を見て、建築家に憧れたことがきっかけです。そこから、都市設計という仕事を知り、どうせならもっと大きなスケールでやりたいと思ったから都市工学。
そして私が社会課題としてあげていたのは大きく2つあって、1つ目は、特に「ボール使用禁止」「ペット連れ込み禁止」などの立て札が多く見られるということ。これは、公園が公的、すなわちすべての人間が訪れやすい空間であるために、全ての層が安全に、かつ快適に公園に来られるようにする仕組みですが、それによって、却って子供が公園から遠ざかっていると考えていました。2つ目は、地方自治体では財政難によって公園の整備のための費用が不足していて、雑草がボーボーになっていたり、遊具が損傷していたりという事例が多く見られるということでした。
私は、有料公園はこれらの課題に対して非常に効果的な解決策になりうると考えていました。有料公園のメリットは、特定の集団を対象にしたものが作れるということです。また多様な公園を提供することで、特定の集団のみに利する、もしくは害することも防げると考えました。同時に有料にすることで、公園の整備費も賄えるという発想でした。
価値観の過渡期
ここから上記の価値観が変わり始めます。
大きなきっかけとなったのはUTSummer(以下、UTS)という団体でした。
UTSは、例年、全国の中高生を対象に3泊4日のサマーキャンプを開催している団体で、哲学対話をベースに、グループエンカウンターという心理療法を取り入れた、対話WSを行っています。
この団体の構成員として過ごした1年は、自分のあり方について考える機会に、すごく恵まれていたと思います。ここについて書いてしまうと、分量が激しくなってしまうので今回は必要部分だけします。(後日余裕があれば書きます。)
自分について考えていく中で、私の行動の基準ってなんなんだ?という問いについて長い間考えていました。それは、FLY Program初期と今とでは行動の基準が大きく変わったと思っているからです。
言葉にはできないけど、なんとなく変わった気がする。きっかけが何かはわからないけど、やはり基準は以前と違う気がする。違う気はするのだけど、変わったのは何かも、変わったのがは何故かもわからない。しかしその何かも、その何故かも、確かに自分のもので、自分の内側にあるものだ。それはまるで家の中のどこかにある、いつ撮ったかもどこで撮ったかもわからない、けど確かにいつかどこかで撮った家族写真を探しているような感覚でした。
実は今も、変わったきっかけについては、なんとなくしか検討がついてないのです。状況的にUTSのサマーキャンプしかないだろと思っているのですが、具体的に自分を変えたものがなんなのかは今の所はわかっていません。
それはともかく、FLY Program初期の私は、社会のため、という思いが強かったように思います。社会的正義とか一般論とかそういうものが基準となっていて、社会課題の解決というのはまさにこれを象徴する価値観でした。
ここで、何故そうなったのだろう?と考えました。
これは、「他者から良い評価を得よう」という価値観が、私の表層にも深層にも強くあったからだと思っています。他者からの評価について表層心理にあったのは、まずFLY Programの選考に通らなきゃという意識です。そのために、”まっとうで、善いこと”である社会への貢献を選んだ。深層心理としては、こういう表層的なものを今まで続けてきて、それが認められ、褒め称えられ続けてきたから、今後もその承認と賞賛という快楽を享受し続けたいという心理があったと思います。
今振り返ると、ひどく建前的で、打算的で、でも合理的なやり方だと思います。そしてこういう生き方をする人も少なくはないのではないかと推察します。(ここにそれを批判する意図は全くありません)同時に、こう言った方が評価されるのではないかという、打算的な思考が私自身に全くないと断言することは、少なくとも今の私には難しいのですが。
都市設計もこれと同じく建前が強かったように思います。
サッカー選手になりたい!という子供とさして変わらなかったように思います。そこには、自分がやりたいと言う理由ではなく、都市工学をやりたいと言うと周りの大人に褒められた、という理由があった。YouTuberだとか、プロゲーマーになりたいという子供に親が怪訝な顔をするように、サッカー選手になりたい、建築家になりたいと言うと大人たちに褒められた。そう言う事のように思います。ここにも、社会問題の時のように自分の意思のようなものは介在していなかったと思います。
公園をやりたいと思っていたその根拠であるはずの都市設計と社会課題の解決の両方に対して、意義を見出せなくなってしまったことから、私は公園へのモチベーションをなくしてしまいました。今まで、自分のやりたいことではなく、やるべきことだとかやると評価されることをやってきたのに、それらが急に魅力を失ったというか、今までは用意されたレールの上を走っていたのに、急に自由にしなさいと放り出されたというか、そんな感覚です。今まで親の言うことや、社会的規範みたいなものに従ってきたのに、急にそれらを失い、進むべき方向がわからなくなってしまったように思われました。
これはよくいう、レールから飛び出せ!とかとも全然違って、ものって「レールから飛び出す」という構造そのものが「レールから飛び出すべきだというレール」上の出来事のように感じていて、自分は飛び出すとか飛び出さないとかいう選択肢ではなく、そもそもなんの選択肢も持ち合わせていなかった(もしくは無限に選択肢を持っていた)。カンザキイオリという人の、「自由に捕らわれる。」という曲に「これから僕らは取り留めのない自由の果てに、騙され躍らされ、生きていくのだ。」という歌詞があるのですが、この歌詞に私が感じたことが集約されていると思います。
いかなる選択肢も提示されていなかったから、だからこそ、あらゆる選択肢が手元にありました。矛盾しているようですが、自由を強制されている感覚でしょうか。こう書くと先ほどのレールの上と同じ構造に見えなくもないけど、あれは答えはこうあるべきだという主張で、自由であるべきというのは答えを出せという主張で、両者は別物だと思っています。この、答えを出せと言うのは、自由という言葉は、私にとっては却って重圧でした。特に「1年間やるから学校で学べないことを自由に学んでこいよ」というFLY Programはひどく攻撃的に思えました。
やりたいことがなくなった/自由になってしまった私は1ヶ月をただぼんやりと過ごしていました。この1ヶ月は、やりたいことも特にないが、FLY Programのために何かしらしなくてはいけないという自分の中でかなりもどかしい時期でした。何かをするべきなのに、何をしていいものか分からない。そんな中で私は、山積されたやらなければならないことを全て捨てて、自分の好きな人間たちと遊んでいたいという風に思うようになりました。
そう思っていることをメタ的に認知した時、ああ、私はこれがしたいんだと強く思いました。今の私の原動力はここにあります。好きな人間と生活するための場所を作りたい。そしてそこで生きていきたい。酷く幼稚でわがままなように聞こえるかもしれないけど、私はそういうコミュニティで生きていたいし、そう思っていたということそのものに向き合えたと思います。
それで、どう生きたいのか
ここから社会の理想ではなく、私の理想のコミュニティとそのベース(基盤)について考え始めます。私がこの一年で見聞きしたものと比較し、公園を相対化しつつ、理想のコミュニティベースについて考えていきます。
私の理想のコミュニティベースは、アメリカにホームステイしていた時に見つけた、前庭でした。前庭とは、道路に面した庭で、よく子供たちの遊び場になっています。これが道の左右にあることで、狭い道でもかなり広く感じます。
私はこの前庭が連続したときの子供たちの遊び方に興味を持ちました。
FLY Programの当初、公園の使われ方を見るために、自宅付近の公園で1日過ごすというのを何回かしていたのですが、基本的に、日本(に限らずですが、)の都市公園は既知の集団が集まって、「じゃあ公園行くか」となるように、コミュニティが先、公園(コミュニティ基盤)が後という形で使われています。これに対して、連続した前庭では、
1.子供が各家庭の前庭で遊ぶ
2.子供が前庭を共有して遊び始める
3.子供を媒介とすることで親も含めた地域のコミュニティが生まれる
というようになっており、これに非常に興味を持ちました。というのも、この例が、コミュニティベースが、心地よいコミュニティを作りうるということを示唆しているように思われたからです。
4つの家族が、例えばマンションに入れられた時と、このような前庭のある家に入れられた時で形成されるであろうコミュニティはおそらく全く別種のものになると考えられます。(ここについてはおそらくもうすでに研究されている分野だと思うのですが、資料探しに難航しているのでアドバイス等いただければ・・・)それはつまり、どんな人間の集団でも、その集団が一つのコミュニティを形成するにあたってコミュニティベースの影響を少なからず受けるのではないかということです。
また、もう一点前庭について面白いのは、ある程度コミュニティで共有されているとはいえ、あくまでもそれが私有地であるという点です。
私のホームステイ先の前庭に大きな木があり、私がそれに登っていたところ、子供達も登りたいと言い出しました。その木には子供も手軽に登れるような枝がなかったので、私が子供たちを上まで持ち上げていたのですが、そのうちそれがめんどくさくなったので、部屋に戻ったのです。それでも木に登りたい子供達が、自らガレージから工具を持ち出し、木に木材を打ち付け、それを足場にして木に登り始めました。私はこれを見てコミュニティ内の人間によって空間がよりよく改変されていくように感じ、それににひどく感動したのを覚えています。
こういう、利用者によって改変され、利用者と共に、それも唯一の正解としての完成ではなく、多様なあり方としての完成へ近づいていく空間は現代の公共空間にはほとんどないと思っています。
建築で、人と共に成長する家というのは散見されますが、それはデザイナーによってデザインされた中の選択肢であって、それはそこに暮らす人間自ら作り出す選択肢ではない。ここで内部の人間によって完成されるコミュニティベースを能動的コミュニティベース、外部のデザイナーによって完成されているそれを受動的なコミュニティベースと呼ぶことにし、さらに先ほど述べたコミュニティベースがコミュニティの形成に影響を与えるとすると、受動的コミュニティベースは、デザイナーがコミュニティベースのデザインを通してコミュニティをデザインするという、一方向的な関係が成り立ちます。他方、能動的なコミュニティについては、コミュニティベースがコミュニティに影響及ぼしながら、コミュニティ側もコミュニティベースを変革する事ができるという、相互的な関係が成立しています。
ここで一度立ち返ってみると、私の理想は「好きな人間と生活するための場所」なので、私自身はコミュニティの内側にいます。その為、コミュニティの内側にいる人間として、自分の、自分たちのコミュニティベースを外部の人間に定義されたくない、という思いがあります。この中には、自分の空間を他人に侵されたくないという縄張り意識のようなものと、自分のものは自分で作りたいというこだわりのようなものがあります。
前庭の例から、コミュニティベースはコミュニティ形成の大きなファクターであるという事と、コミュニティとコミュニティベースの関係性は相互的なものが良いということについて考えました。前庭がこれらの観点で理想的であるとはいえ、前庭は完全に個人の所有物であるとともに、定住という性質により流動性が極めて小さいため、公園とは大幅に在り方が変わってしまいます。
そこで、公共性の高い公園についてもう少し考えてみることにしました。まず、公園の中でも都市公園と自然公園の違いについて考えました。都市公園と自然公園の違いは、その対象にあると言っていいと思います。自然公園が自然を対象にその保護を目的とするのに対し、都市公園は人間を対象に、その営みを支えるのを目的としています。また、自然公園は既存のものベースから作られるのに対し、都市公園はゼロベースから作り上げるので、そこにも魅力を感じましたし、そもそも私は自分のコミュニティを作りたいので、都市公園に注目しました。しかし、現在の都市公園は、緑地面積率の確保のためだけに作られたものも多々あり、私の求めるコミュニティ基盤としての役割が形骸化しているように思います。ではコミュニティ基盤としての公園はどう作ればいいのか?そこで私が注目したのは教会です。
私はアメリカにホームステイしていた時、好奇心からキリスト教会に連れて行ってもらっていました。私が通っていたのはバプテスト教会なので、カトリックとはやや毛色が違うかもしれませんが、基本的にキリスト教会では毎週日曜日に聖書を読んだり、歌を歌ったりします。バプテスト教会の特徴は、生まれたばかりの子供の洗礼(幼児洗礼)の否定し、全身での洗礼と信仰告白を重要視することです。また、バプテスト教会は各教会ごとでかなり違いがあるようなので、この教会についての話はもしかしたらメジャーなものではないかもしれません。
ここから少し脱線しますが、この聖書を読むという行為について私はかなり惹かれました。聖書の有名なエピソード、ダビデとサウル王の洞窟での話を例に進めます。あまり興味がなければ以下の脱線終わりまで飛ばしてください。
”ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害にとどまった。ペリシテ人を追い払って帰還したサウルに、「ダビデはエン・ゲディの荒れ野にいる」と伝える者があった。サウルはイスラエルの全軍からえりすぐった三千の兵を率い、ダビデとその兵を追って「山羊の岩」の付近に向かった。途中、羊の囲い場の辺りにさしかかると、そこに洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。ダビデの兵は言った。「主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と約束されたのは、この時のことです。」ダビデは立って行き、サウルの上着の端をひそかに切り取った。しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し、兵に言った。「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」ダビデはこう言って兵を説得し、サウルを襲うことを許さなかった。サウルは洞窟を出て先に進んだ。ダビデも続いて洞窟を出ると、サウルの背後から声をかけた。「わが主君、王よ。」サウルが振り返ると、ダビデは顔を地に伏せ、礼をして、サウルに言った。「ダビデがあなたに危害を加えようとしている、などといううわさになぜ耳を貸されるのですか。今日、主が洞窟であなたをわたしの手に渡されたのを、あなた御自身の目で御覧になりました。そのとき、あなたを殺せと言う者もいましたが、あなたをかばって、『わたしの主人に手をかけることはしない。主が油を注がれた方だ』と言い聞かせました。わが父よ、よく御覧ください。あなたの上着の端がわたしの手にあります。わたしは上着の端を切り取りながらも、あなたを殺すことはしませんでした。御覧ください。わたしの手には悪事も反逆もありません。あなたに対して罪を犯しませんでした。それにもかかわらず、あなたはわたしの命を奪おうと追い回されるのです。主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。わたしは手を下しはしません。古いことわざに、『悪は悪人から出る』と言います。わたしは手を下しません。イスラエルの王は、誰を追って出て来られたのでしょう。あなたは誰を追跡されるのですか。死んだ犬、一匹の蚤ではありませんか。
(サムエル記上 24:1-15)”
このエピソードを簡潔にまとめると、ダビデは洞窟で、自分の命を狙っているサウル王の上着だけを切り取り、その命を狙わなかった、そしてそれをサウル王に伝え、サウル王は改心したという話です。
ここで、私の行った教会では、どうしてダビデは宿敵を許せたのか、とか、自分だったらどうするのかと行った話をしていました。これは、UTSで行なっている対話と遠からずな行為で非常に面白かったです。(このまま無限に脱線してしまいそうなので割愛します)
(脱線終わり)
さて、先ほど、教会では毎週聖書を読んだり、歌を歌ったりすると言いました。この毎週会うという行為についてですが、これは非常に面白い行為だと思います。そう思ったきっかけは下のNOTEを読んだ事でした。
これをさっくりと要約すると、100日間同じ店で同じ商品を買い続けると、お互いにお互いの存在を認識し合うということです。
この話と教会の話から、ある種強制的に顔をあわせさせられることで、そこで緩やかにコミュニティが生まれるのではないかと考えています。身近な例では学校におけるクラスとか、部活動がパッと思い浮かびます。ただ、こういう強制力がコミュニティ内に存在してしまうことについて懸念自体はあって、例えばそれが個人によるものの場合、コミュニティがその人のものとなってしまうということは自分としてはかなり不安です。そういうあり方についても今後勉強していきたいと思います。
これからどうするのか
ここまで8420文字程度を読んでいただければなんとなく私の興味関心が分かった人も多いかと思いますが、今私は、自分の居心地の良いコミュニティを作るために、コミュニティとそのベースの関連性みたいなものを学びたいと思っています。
これを大学の学部でやろうと思うと、今の自分の中では都市工学の分野から、もう少し小さい家単位での研究をしていくのかな、と思っているのですが、ここについてはまだふわっとしかイメージできていなくて、建築学科だったり、もっとコミュニティよりの学部から建築も交えて考えたりするのもありかなという風に思っています。
これから2年間、大学の前期課程は実際にこういったところに足を運んでみようと思っています。
長くまとまりのない文章でしたが以上で今回のNOTEはおしまいです。目を通していただきありがとうございました。
東大でも他大でも、全く別のところでも、私の興味に近いものや、それと直接関係があるかわからないが面白そうなものがあれば教えてくださると本当に助かります。
これを読んでここ面白かったな、とかここよくわからないとかも教えてくださると嬉しいです。
本当にありがとうございました。
姜利英
mail:rynkn7▪️gmail.com (四角の部分は@に変えてください)
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