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ここ数ヶ月の記録

見えていないものを心に描きながら
毎日書き留めたメモから引っ張りだした記録

言葉だけで記憶するのではなく、表情と声を。これからもいつまでも思い出していたい。


孤独のハナシ

自分の心の中のもの、
相手に伝えようとしてみても
別に相手は
受け取るだけの力を持ち合わせていなくて。

そして話の途中で、
「ああ、この人はこの程度の人だなあ」と
思い込み諦めてしまう。

その人の変容や過程を最後まで見届けなければ人の本質は分からないのに、
自分が傷つきたくないが故に止めてしまう。

その人の1番奥にあるものを味わう、
貴重な機会を逃し続けている。

そんな風に
相手を知ることも、相手に知られることもできずに、並んでいても、孤独を強烈に感じます。


虚無感のハナシ


知識や言葉の扱い方がぞんざいな人に
いちいちしっかり傷つく。

わかりやすさを追求するための単純化も苦手。
週に何度も止まる、毎日の電車も苦手。

この現代において
静寂の向こうで、今も誰かが何かの理由で
泣いていると思うと、
誰の心であっても、どんな心であっても
条件さえそろえば壊れていくのだと思います。

心が脆弱な人が増えたわけではなく
心を壊しやすい社会状況や人間関係なんだろう

そして
空虚な気持ちを埋め合わせようとして
他人の存在が自分を完全体にしてくれるという、無駄で潜在的な期待を抱いては失意に浸る

せいぜい補うことぐらいしかできないこと、
頭では分かってるのにループする。

生きることへの倦怠感と神戸の喧噪。
見えない脅威や社会性に悶え苦しみ、
多少たりともしなくてはならない演技。
受け入れるのが辛い世の中の摂理。

これらを全て飲み込まないと
前に進めないという苦さ。

このnoteや思いに結びはつけられません。


終わりに

文章を書いて
誰かが読んでくれて
示してくれた共感があり、誰かが好きだと言ってくれれば、それだけで生きられると思います

相手の哲学を味わいながら
心を開き、傷つくことを恐れない人に
なったほうがいいのかな?

何より今は、記号めいたことから離れたく、
より多くの心の糧を得るために
リトリートしたいです🦠


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