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「愚直に行動するのがいかに重要か分かる話」~僕はバイトする経営者~

カンです。

僕は前職で海外での人材派遣、留学斡旋会社を経営していました。

実は一度も就職経験がなくて大学卒業後すぐに起業しました。

その当時、実体験したことをお話するのですが、

「愚直に行動するのがいかに重要か分かる話」となっています。

起業当初は、こんな激動の生活を送っていました。

✅全く事業が軌道に乗らずにバイトをする
✅マンションの管理人に警察を呼ばれる
✅最悪な状況が一通のメールで好転する

それでは以下よりお楽しみください。

『~僕はバイトする経営者〜』

僕は毎日「就職しなさい」と親に言われていた。

「そろそろしっかり働いたら?」

「この収入じゃあ結婚できないね」

「いつまでそんなことやってるの?」

「バイトはいつやめるの?」


遡ること約7年前、僕は大学卒業後すぐに起業した。

"普通のサラリーマンにはなりたくない"と言った単純な理由で会社を作った。

結果は、会社作っても売り上げ0円。

学生時代は、起業して成功してる自分を毎日想像していた。

想像の中では"成功"してるはずだった。

この理想と現実のギャップに戸惑い、
週3でバイトしてる現実が苦しかった。

こんな「悪魔みたいな夢から覚めろ」と思うほどだった。

その苦しみを加速させたのは、祖母のお葬式。

僕は都内のFランに通っていたが、
親戚はみんな物凄く優秀で、
誰もが知ってる大企業、商社、メガバンク、地主と
世間から見ても"優秀""勝ち組"と言われる職ばかりだった。

そんな中、自分だけ起業したのに稼げずにいるアルバイター。

普通「起業しました」と聞けば「凄い」と言われると想像するだろう。

その通りだ。大学卒業後22歳の僕が、海外で人材派遣、留学斡旋会社を経営していると言えば、若さと行動力で認められたかもしれない。

でも現実は違う。

さっきも言ったように、
起業したのに売り上げ0円だったのだ。

今だに忘れもしないあの日の一言。

祖母のお葬式で
遺骨を燃やしてる時、
待合室で待機してる際に、
従兄弟が口を開いた

「カンは今何してるの?」

一番聞いて欲しくない質問だった。

親戚一同の視線がジーッと僕に集まる。

堂々と顔を上げられない自分がいる。
恥ずかしさが顔に出ないように隠しつつ

「起業したのに上手くいかずにバイトしてます」と素直に伝えた。

すると母親が横から、

「そうなのよ〜この子はどうしようもなくって」

と言う、

従兄弟は、

「しっかり就職して親孝行しなよ」

との一言、

嫌味ったらしく言ったわけではない、
一般的に考えたら的確過ぎる
アドバイスをしてくれただけだ。

その時は、
「そうですよね」と笑って返事をした。

人当たりは良い方なので、普通にやり過ごせたが、
本心は悔しくて悔しくてたまらなかった。

悔しい思いをする度に、
歯が砕けてしまうほど食いしばり、
皮膚に爪あとが残るほど拳を思いっきり握りしめた。

心の中の僕は下を向いて悔し泣きし、
地面を叩いていた。

何でまだバイトしてるのか?自分に一番聞きてぇんだよ
ってずっと思っていた。

親戚と僕との圧倒的な差に落ち込んだ。

情けない自分が憎くて憎くて、
想像とは裏腹に起業してから
どんどん人生が苦しくなっていった。

でも祖母の葬式を機会に
絶対に成功してやると"覚悟"を決めた。

「親戚を見返す」ために成功すると言った、
そんな感情ではない。

そんなことはもはやどうでもよくて、
「もう二度とこんな悔しい思いはしたくない」
その一心で頑張ることにした。

生きている間に
僕からは祖母に何もしてあげられなかったけど、
最後の最後まで僕を良い方向に変える機会を作ってくれてありがとう。

今でも死ぬほど会いたいくらい、
おばあちゃんは大好きだった。

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僕が経営している
海外での人材派遣、留学斡旋会社はオフィスを持たず、
家の住所を登記して全て在宅で仕事をするといった形を取った。

理由は単純に
お金がなかったからだ。

僕ともう1人、合計2人で仕事をしていたので、
マーケティング、相談会、経理とほとんどの仕事をしていた。

一番はお客様を獲得することに力を入れていた。

集客の為に、ホームページ、フェイスブックページを作り、
これでお客を獲得できると思ったが、

1人からも問い合わせが来なかった。

バイトで貯めた泣けなしのお金を払って作った
ホームページで集客できなかった時は、
相当落ち込んだし辞めようかなとも思った。

ネットの集客が成功しないので
他はどうやって集客できるか?
考えた結果、

外国語科がある
大学に飛び込んでチラシを配りまくった。

これもチラシ代と交通費、
僕の体力と精神まで削られたが
1人からも問い合わせがこなかった。

「連絡します」と言ってチラシを受け取ってくれた
学生からも連絡がこなくて酷く落ち込んだ。

「やべえ、自分の力でお金を稼ぐことってこんなに大変なのか?」

と日差しが強い太陽の下、
汗だくになりながら大学キャンパスの椅子に座り、
自動販売機で買った冷たいポカリスエットをゴクリと
飲みながら強く感じた。

学生寮をインターネットで検索して、
学生寮にチラシを投函したこともある。


真夏で私服の若者が汗だくで
学生寮にチラシを入れてる時は、
管理人に「でてけ!」とバチ切れされたこともある。

それでも違う建物にチラシを入れていたら、
その管理人が警察を呼ぶ始末。

警察には「お客さんを集めるためにチラシを配っていました」と説明して
話は済んだ。

このチラシ配りからも
問い合わせが一つもこなかった。

今思い返すと
この時僕は本当に馬鹿だった。

ただ、がむしゃらに行動しても当然成果は出ない。

どこでどうやって集客するか、
いくらで商品を売り出せばいいのか?
何も勉強してなかったし、知らなかった。

たくさんの人材派遣、留学斡旋会社があるのだから
お粗末なホームページとSNS、チラシでは無意味だと今なら分かる。

当時は、集客やモノを買ってもらう時の
原理原則を理解していなかったのだ。


それにお金がないのに
上手くいかないストレスを逃げる為に、
バイトで稼いだお金をお酒に使ってしまうという
負のサイクルにも入っていった。


こんなボロボロな状態だったけど、
心の火は消えていなかった。


そんな状態の時に、
一通のメールが届いた。

ある東京にある
某英会話学校の経営者からだった。

「留学に興味あるので一度お話しませんか?」

という内容だった。

嬉しくて飛び跳ねた。

週3回のアルバイト後、
下北沢のあるお店で待ち合わせをした。

30分前に下北沢に到着して、
緊張をほぐす為に、お店の周りをウロウロしていた。

15分前にお店に入り、
ウェイターからお水が運ばれてくる。

いつもより酷く喉が乾く。
水を3杯もおかわりした。

お店のドアが開いた、
1人の30代中旬のイケてるお兄さん風の経営者が入ってきた。
(以下、中野さんと呼ぶ)

イケイケな雰囲気とは裏腹に、
物凄く姿勢が低くてフレンドリーなお方だった。

「初めまして。カンと申します。」

「ご連絡いただきありがとうございました!今日は宜しくお願いします」

と伝えると、中野さんもチラッと笑って挨拶をしてくれた。

お互い簡単な挨拶を交わした後に、
夕飯時だったので食べ物と飲み物も頼んだ。

「留学に興味あるので一度お話しませんか?」

という問い合わせでお会いしたが、

お互いが経営者だったので、
現在の状況を逆に僕が相談するような形で
ありのままをつらつらと語った。

成功を夢見て起業したけど、現実は結果が出ない。

親戚の集まりの時に、凄く悔しい思いをして心の中では泣いたこと。

絶対に成功してやると"覚悟"を決めたこと。

ホームページやSNSを作っても人が集まらないこと

少しの可能性を求めて学校にチラシを配っても駄目だったこと。

覚悟決めたのに、何もできない自分が情けなくてたまらないこと

こんなボロボロな状態だったけど、まだ心の火は消えてないこと。

今思えば、留学の相談しに来た人に
逆に相談をするって馬鹿げてる。笑

中野さんは、
うんうんと頷きながら聞いてくれた。

その後、お店のテーブルにカタログを取り出して、
留学内容について話した。

すると、にっこりと笑い、
「分かりました。行きます。」

はじめてのお客が決まった。

え?一瞬マジ?と思ったが、
目の前には中野さんがいるので、これは現実だと確認した。

笑みがこぼれそうだった。ってか心の中では大きなガッツポーズをしていた。

しかも、中野さんと話をしていくと、

都内で英会話教室を運営しているから、まず私が留学生として行って、その後生徒に紹介してあげたいという内容だった。

中野さんも、
夜中に汗だくになりながらチラシをまき、
インターネット集客にも苦戦したけど、今では都内に2店舗目を作ろうとする勢いがある人だった。

僕に同情してくれて
手助けするという意味も含めて
留学の契約をしてくれたのもあると思う。

中野さんと別れた後は、
興奮状態で帰路に着いた。

はじめての契約から2週間後、
中野さんから飲み会に誘われた。

中野さんの知り合いの経営者も
集まっての飲み会だった。

自分が行っても大丈夫か?と一瞬思ったが、
このチャンスを逃すまいと「行きます」と返事をした。

この時はマジで緊張した。

実際に会場についたら10名くらい経営者がいた。

当たり前だけど、
お互いが初対面な人も多かったので、
どんな事業をしているか自己紹介が始まった。

この時、祖母のお葬式を思い出した。

「やべぇ自分の番がまわってくる」

体が熱くなって変な汗が
ジワジワと出てくるのが分かった。

あの悔しい思いがフラッシュバックして
思いっきりダッシュして逃げ出そうとも思った。

でも、そんなことできるわけがない。

とうとう自分の番がまわってきてしまった

中野さんが言う、

「じゃあ次はカンくんで!」

経営者の視線がジーッと僕に集まる。また堂々と顔を上げられない自分がいる。また感情を顔に出ないように隠しつつ

「海外留学・人材派遣の会社を起業して、この前はじめてのお客さんが中野さんでした。全然上手くいってないですが、宜しくお願いします」

正直、緊張と恥ずかしさで自分が何を言ったのか覚えていない。

今でもこんなことを言ったっぽいとしか記憶してない。

すると、周りは、、、

「そんなの当たり前だよ!俺なんか少し前まで借金まみれだったから」

「ガンガン攻めていきな!」

「大学卒業後に起業できるバイタリティーあれば何でもできる」

え?親戚の反応と全く違う。何これ?と素直に思った。

経営者と会社員の思考がまるっきり違うと感じた。
そして僕はこの人達と考えが近いと思った。

その後は、たわいもない雑談をして楽しんだ。

お酒を飲んで隣に座って話していた経営者には

「カンくんならお金出すよ」とも言ってもらえた。

お金の使い方が分からなかったから投資の話は断ったが、
年間、数千万円、数億円稼ぐ経営者から集客や商品販売の有益なアドバイスをバンバンもらった。

何で今まで自分だけの力だけで頑張って、
実績ある人の情報に触れてこなかったり、実際に会って相談しなかったのか?と後悔したと同時に、自分の常識がバチボコに変わってくのを体感した。

しかもアドバイスはいたってシンプルだった。

昔留学していた友達と会ってきな、とか、英会話教室に問い合わせて生徒を紹介してもらいなとか、大学でお世話になった先生に相談してみなとか、

自分では1人もお客を集められない無力さを知っていたので、それらを愚直に行動した。

正しい情報を得て、
愚直に行動していると

ドンドンお客様からの問い合わせが増えた。2人では対応できなかったので、レバレッジを効かせるために、問い合わせを担当を雇った。


年間の売り上げも徐々に増えていき、
1年間で3000万円近く売り上げを叩き出せるようになっていた。

0円が3000万円って冷静に考えて凄い伸び率だ。

この時に、正しい知識を仕入れて、その通りに行動していけば良い、という成功法則が僕の中で確立された。

また2020年の2月、僕は日暮里から成田空港に
スカイライナーで向かっていた。

コロナウイルスが本格的に騒がれる1ヶ月前だ。

成田空港に向かっている理由は、
タイ・バンコクのインフルエンサーといえば誰でも知っているあの人に、コンサルを受けに行くためだった。

元々そのインフルエンサーは、留学斡旋、人材派遣で同じ時期に同じ場所にいて、競合だったので、僕の事業に対して的確なアドバイスをくれると思ったからである。

その時は母親もバンコクに行きたいと言っていたので、連れていった。


僕はいつコンサルを受けれるか分からないと思ったので、片道のチケットだけ買っていつでも会える準備をしていた。

バンコクに到着して母親と旅行を楽しんでいると、
"ピコン"っとSlackが鳴った。

「コンサルですが、いつでも良いですよ」と連絡がきた。

日程を合わせて会いに行った。

カフェで待っていると、
その人が現れた。

あーYouTubeで見てるままの人だ。笑
これが第一印象だ。

カフェでコーヒーを頼んだけど、
緊張のあまりブルブル手が震えて珈琲をこぼしそうだった。

相手には僕の手が震えてるのは気付かれていたと思う。

珈琲飲むのをやめて
サッと両手をテーブルの下に隠して
震えないようにと手と手で固定した。


コンサルでは衝撃を受けた、
超有益な情報をバンバン教えてくれる。

テーブルに置いた新しいノートがどんどん文字で埋まっていく。

この時は、
違う意味で震えが止まらなかった

そしてコンサルは終わった。

速攻でAibnbで借りた家に帰り
アドバイスもらったところを修正した。

1日で修正できるレベルではなかったので、1ヶ月くらいかけて修正していった。

すると、さらに問い合わせが増えてきた。


母親は1週間のバンコク滞在を楽しんで日本に帰るので僕は空港まで送っていった。

元々、1ヶ月は滞在する予定だったので、僕だけ残ることにした。

空港で最後、母親に言われた言葉が、

「これからも頑張ってね。ありがとう」

出国ゲートに入っていく
母親の背中が見えなくなるまで見送った。

僕は感動していた、
いつの間にか「就職しなさい」が「これからも頑張ってね」の言葉に変わっていた。

帰りのタクシーでは嬉しくて泣いた。
今回は下ではなく、上を向いて流せる涙だった。


涙でバンコクの夜景が
いつもより綺麗になった気がした。



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いかがだったでしょうか。

海外で人材派遣、留学斡旋の仕事をしていた時の
当時を振り返り、僕もどこか懐かしみながら書いてみました。

ビジネスの原理原則を学んだ今だからこそ、振り返ってみると

「シンプルに正しい知識を付けて愚直に行動するだけ」

がどの分野でも成功するための近道なんだなと思います。

もちろん、ビジネスを始めた当初は
そんなこと知らずに1人で頑張っていました。

僕が前職で成果を上げられたことって、
「実績者の話を聞いて」「愚直に実行する」だけです。

これは、現在SNSの世界を楽しんでる僕もまさに
そうだなーと感じています。

だからまず、1人の実績者の
情報だけを受け取り愚直に行動しましょう。

分からなくなったら、聞けば解決です。

長文でしたがお読みいただきありがとうございました。

以下の記事はもっと、僕の過去を遡った記事です。

カンの事をもっと知れるので興味ある方はぜひ、ご覧ください。



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