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本格的に情報発信を始めて9ヶ月。カンのこれまでとこれから

カンです。

Kindleを使ってビジネスを本格的に開始して、カレンダーを見ると既に9ヶ月が経過していました。

少年時代、時間を忘れて没頭した野球のように、
食事の時間を削ってまでも目の前のビジネスに取り組んできました。

少し時間があれば、耳にイヤホンを差し込みインプット。誰よりもコンテンツに触れてきたと思います。

周りの友達が楽しそうに遊んでいるのを横目にPCの前に座り作業をしていたら、あっという間に9ヶ月が経っていたという感じです。

この9ヶ月で僕の人生は360度変わりました。

▶︎情報発信を始める以前の僕の人生

・野球のクラブチームに入り、チームメイトが上手過ぎて人間は「センス」と「才能」に左右されるんだと悲観し、夢が崩れる。

・大学卒業後、社長を夢見て起業したもの"月収0円"の経営者を味わい挫折し、自分のセンスと才能の無さを憎み出す

・欲望に負けて無いお金をお酒に注ぎ泥沼にハマる

・自分で立ち上げた会社が新型コロナウイルスの影響で"爆死"し一気に収入が0円になり、路頭に迷う。


▶︎本格的に情報発信を始めて9ヶ月経った今

・9ヶ月で600万円超稼ぐ

・最高月収は100万円を超える

・クライアントに感謝されながらビジネスを展開できている

・自分の才能、センスの無さに悲観することがなくなった

・今までの人生の中で一番楽しいと思えるようになった

・家族や親族の前でも自信を持って顔出しできるようになった

・両親にも美味しいご飯をご馳走できるようになった


お先真っ暗だった過去に比べて、現在、僕を取り巻く環境だったり、メンタル的な事は冗談抜きで天と地の差と言えるほど変わりました。

人生を振り返っても「僕」という一人の人間が短期間でここまで変わった事はありません。

人生の中で一番濃い9ヶ月時間でした。

中学で野球のクラブチームに入って、チームメイトの実力を知ってから、人間の全ては生まれ持った「センス」「才能」で全てが決まる、、、と僕の中で考えが形成されてから、何をするにも「俺ってセンスないしなー」と悲観し続けて、

自分より成功してる人を心の中で舌打ちして妬んできました。

また大学卒業後に、始めたビジネスも徐々に売り上げが増えてきましたが、新型コロナウイルスで爆死して、全てがなくなり、周りがビジネスで徐々に成功していたり結婚して幸せな家庭を築いてるのを見て「俺の人生終わった」と思いましたね。

でも、人一倍、負けず嫌いな僕は、全てを「センス」「才能」のせいにしてましたが、常にどん底にいても、どうしてもどうしても諦めきれなかったんです。

最後の望みにかけたのが、昔失敗したネットビジネスに戻ること。

覚悟を持って取り組んで結果出なきゃ、俺は終わりだ。

本当にセンスと才能がないかもしれない。

でも、死ぬ物狂いで頑張ってやろうじゃないかと最後に立ち上がったことがきっかけで今があります。

今回は、もっと僕のことを知ってもらえればと思い、今までの30年間を物心ついた時から振り返り、どんな人生を歩んだか書いていきます。

最後まで読んで頂けると、嬉しい限りです。

自分の実力を知り、夢が崩れ落ちる少年時代

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1992年3月4日、僕が三男としてこの世に生まれ落ちた時の性格は、大人しい&目立つのが嫌いな性格でした。

人前で目立つ事は好きではなかったけど、友達とは上手く関わっていたので、楽しく生活をしていました。

幼少期は保育園で過ごしたのですが、10人未満の同級生と楽しく、ジャングルジムや鉄棒で遊んだり、隠れんぼしたりして過ごしてきました。

保育園生活で嫌な事は一切なくて、両親や保育園の先生の愛に囲まれて、毎日楽しかったのを覚えています。

今でも「保育園は楽しかったな」と思えるほどです。

しかし、小学生に上がると、僕は自分の生きる意味を見失って本気で「自殺しよう」と考え、兄と一緒に寝ていた二段ベットの下で、自ら毛布で首を締め付けて死のうと試みたこともあります。

当たり前ですが毛布で首を絞めると「苦しく」なるので、その苦しさを感じることで、"生きてる"と実感していた僕がいました。

死のうと思った理由は、父親が昔、水泳を習っていて、僕の兄弟は小学6年間は毎日スイミングスクールに通って水泳を本気で習わないといけないという、独自の謎ルールがあったからです。

あるあるですよね、むかし親がやってた事を強制的に子供にやらせちゃうって。笑

小学校の時は、水泳と同時に野球を習っていたのですが、大好きな野球の練習の時に、水泳の試合があったら水泳優先になる。

学校が終わった後、周りは友達同士で楽しく遊んでるのに、自分は水泳の練習に強制的に連行される。

自分の大っ嫌いな事を強制的にやらせれる日々を送っていたので、今でも親は知らないと思いますが、ご飯を食べた後は、トイレにダッシュで駆け込み食べたものを全て吐いていました。

ストレスで気持ち悪くなって吐きたくなくても全部出てしまうのです。
吐くものが無くなって、酸っぱい"胃液"だけが出てくると安心しましたね。もう吐かなくて大丈夫って。

今でも緊張すると吐き気を催すのですが、過去のこんな経験があって今でもフラッシュバックします。

こんな出来事もあったので、僕の性格もどんどん歪んでいきました。

学校では親の目もなくて自由なので、気に食わないことがあると直ぐに友達と喧嘩して、毎月先生から家に警告の電話が来ていたのを覚えています。

体は大きい方だったので、相手を怪我させてしまい、毎回電話で謝っていました。

そんな中でも、野球は本当に楽しかった。土日祝日に週2回程度やれる野球は楽しかった。

全力で声出して、校庭を走り回り、思いっきりバットを振って練習した後に冷たいポカリを飲んで友達と話したり、たわいも無いことだったけど楽しかった。

軟式ボールのゴムの匂い、グローブの皮の匂いなど全てを愛していた。

なぜか、野球の練習後の食事は安心して吐く事もなかったんだよな。

水泳の練習は地獄だったけど、僕にとって野球は天国だった。

しかも、チーム内では圧倒的に上手く不動の4番サードで、試合ではガンガン打ってたので、将来はプロ野球選手になれると本気で思っていた。

その当時、巨人で活躍していた、松井秀喜選手や高橋由伸選手に憧れてバットの振り方まで真似してたりした。

右利きだけど。笑

僕が所属している野球チームは強くて地区大会で優勝した。そこで一番活躍したと言えるくらい、試合では暴れた。

そんな少年時代の最後を締めくる6年生の時にオールスターという試合があった。各チーム2名選抜されて、他のチームの優秀な選手と組んで試合をするという内容だった。

確実に自分が選ばれると思っていた。

でも、選ばれたのは、同じチームのバッテリーだった。

確かに、ピッチャーは活躍してたし選ばれるのは分かる、でもキャッチーはそこまで上手くないコーチの息子だった。

この時は小学生ながら「こいつ自分の息子を晴れ舞台に選びやがってふざけんじゃねよ、実力で選べ」と本当に悔しかった。

オールスターに選ばれた2名を校庭で発表された瞬間、僕の中で心の糸がプツンと切れた。

周りの声が何も聞こえなくなり、絶望した。なんなのこれ?みたいな。

小学6年生ながら、この世界には「不条理な世界」があることを知った。

この体験が僕のパーソナリティにはかなり影響していて、
この出来事の後から、大人の意見に反論するようになった。何を言っても聞く耳を持たず、自分の考えでやるってね。だって、誰がどう考えてもコーチという権力を使って自分の息子を選んだおかげで、僕は裏切られたのだから。

結局の話、どんなに頑張っても裏切られることはあると強く強く思った。

オールスターに出るのが目標で頑張る人もいるくらいだから、選手にとっては一番と言っても良いくらいに大事な行事だ。

それを実力が無い息子を選ぶのは、実力のある選手にとっては不満に思うのも当然だと思う。

コーチには大変お世話になったので、今でも大好きだし本当に感謝している。今となってはそういう事はあるよなとも思えるけど、当時は怒り悲しみ憎しみ、など僕のさまざまな感情が交差して、押し潰される思いだった。

そんな小学生時代が終わり、中学校へ。

小学校6年間「水泳を習わなきゃいけない呪縛」から解かれて、野球に専念できるとなると本当に本当に嬉しかった。

余談だけど、大っ嫌いな水泳を習わされたことは今では感謝している。人一倍泳げるようになったし水泳でも良い結果を残せた。小学校を卒業して20年以上になるけど、僕の50メートルのタイムは歴代トップでまだ母校の記録に残っている。僕が卒業してから20年以上誰も僕のタイムを抜かせてないと思うと、なんか嬉しく思うし、父親も喜んでいると思うと僕も嬉しくなる。

オールスターに選ばれたバッテリーは中学では名門のクラブチームに行くと言っていた。僕もそこに行きたかったんだけど、悔しくて、最初は同じチームで一生プレーしたくないと思ってたので、迷っていた。

でも、何度も何度も「カンも一緒に行って日本一を目指そう」と言ってくれたので、二人と同じチームに行くことにした。

中学では、有名なシニアリーグのチームに入った。中学の部活では軟式だけど、シニアはプロと同じ、石のように固い硬式球を使ってプレーするのだ。

俺ってセンスと才能ねーやと悲観しまくる

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有名なシニアチーム。言ってしまえば、各地の4番バッターがそのチームに集まるのでオールスター集団な訳だ。

ここでも4番で暴れてやろうと思って入門した。

でも、現実は全く違った。

小学時代不動の4番だったのに、少年野球とのレベル差が強烈過ぎてレギュラーになるのも難しかった....

コーチや監督が自分以外の選手に興奮した眼差しで注目してる光景も信じられなかった。悔しかった。

自分の目で見ても肌で感じても、明らかに実力が違う。

小学生の時、あんなに野球やりたくて、野球に専念できる環境にどっぷり浸かりたかったのに、絶望した。

この時に僕の人生ではじめて、人間って「センス」と「才能」に左右されるんだ、自分は野球の才能がないと悲観しまくった。

この出来事が僕の思想には大きく反映されていて、中学以降何をするにも、周りより結果が出ないと、「センス」と「才能」のせいにしていきました。


でも、レギュラーになれない….なんてなったら、親にも良い顔できない、小学校の時に、4番はカンだよな!と言ってくれていた、コーチ、監督、チームメイトにも合わせる顔がないと思い、必死に食らいついた。

必死に食らいついて、レギュラーを取れるか取れないかだった。

練習は頑張ってたけど、こいつらには絶対に追いつけないと、頭の片隅に入れて練習していた。

センス、才能で左右されるというマインドが僕の動きにもストッパーをかけていた。

でも、このチームで日本一になりたいと思ってたので、本気で頑張った。バットを振った、全力で走った、人一倍声出した、筋トレもした、

そんな中学2年の冬に

練習試合で、指を骨折してしまったのだ。

内角のボールを振ったら、指にボールが当たって折れた。

【いやー終わった】と思った。

今でもレギュラー取るのにギリギリだったのに、怪我で練習ができない??

これはマジで終わったと。

来年は中三。絶対にレギュラーを取って日本一になりたかった。本当にうまいチームメイトには勝てないと見切りをつけてたけど、レギュラーには入りたかった。

だから、怪我しててもできる練習を自分でした。

・イメージトレーニング
・ランニング

もちろん、怪我してても練習には行った。心は燃えていた。

それで怪我が治って練習に復帰してからも頑張った。

中学3年生、、、最後の夏が迫ってきた。怪我は治っていた。

そして夏の大会の前に背番号が配られて。

僕の中では、レフト(7番)が貰えるか貰えないかでドキドキしていた。

「7番 カン」

と監督に言われた時は、

凄い嬉しかった。

そして、僕の心は最後の夏の大会に向いていた。


中三で進路のことは頭の片隅にあったけど、とりあえず先の事は決めずに、中3で日本一になる為に、頑張った。

都大会進出、、、関東大会進出、、、

とドンドン勝ち進むごとに、コーチも親子たちもめちゃくちゃ盛り上がっていた。自分達もそうだった。

これまでに、壮絶な試合に勝ってきた。

で、関東大会の1試合目、ちょうど父親がバイクで球場に来た時に、僕はホームランを打った。親が来てくれてときにタイミングよく打てて嬉しかった。

でも、試合自体は負けた。

僕たちの夏は全て終わった。

関東大会で一回戦負け....

チームメイトは泣いてたけど、僕は泣けなかった。

シニアのチームに入門した時に、センスと才能のせいにして自分の夢が崩れたこと。本気で練習を頑張ったのに、4番との差は縮まらずにレギュラー争いをしていたこと。

ここに来るまで歯を食いしばって頑張ってきたし、それでこの結果なら仕方ないって感じだった。

今思えば、そんな事はない、もっと頑張れば僕だってあのチームで4番になれたはずだ。

でも、センスと才能というトラウマが心の中のストッパーになり僕のアクセルを止めていたと強く思う。

さらに、俺はセンスないから高校では野球はやらないと心の中で決めていた。

こんな経験がこれまでの僕の性格に大きく影響されて、
「最終的にセンスと才能で決まる。センスない奴が頑張っても意味ない」と野球の経験を元に僕の中に価値観が刷り込まれ、

「じゃあ、頑張らないで諦めた方が良いんだな」と僕の中で何事も全力でやり抜くことができなくなりました。

中学時代の最後の夏も終わり、高校への進学に入ります。

野球しかやってこなかったし、勉強は5段階中でオール3に2がポツポツある感じ….体育だけ5みたいな典型的なスポーツ野郎の成績だった。

それに両親は、周りのお金持ちの知り合いや優秀な知り合いを家で話す時に「あの人は元々、頭良いからね〜!」と頭脳も生まれ持った才能があるように話すので、

僕の中で、野球も駄目、、、、勉強もできない、、、、親を喜ばせたいと思って生活してきたけど、周りの期待に応えられる能力が自分にはない。

と、かなり落ち込みました。

周りの友達が輝いて見えた。自分だけ神様に何も貰えなかったのではないか...と。

高校に行く進路を手前に、

僕の頭の中では考え事でグルグルと周り、完全にやることを見失い、野球が終わった後は、一ヶ月、パワプロと龍が如くを家の中でずーっとやっていたのを覚えています。

パワプロのチームで4番サードは「カン」にしてたのは、ここだけの話。笑

僕の家庭は男3人兄弟でしたが、貧乏ではなったです。

平均くらいだと思いますが、両親には貧乏マインドが頭の中にこびりついていました。

そして僕は末っ子だったこともあり、家族内でも一番愛情を注いてもらって育てられて何不自由な生活を送ってきませんでしたが、

根っからの負けず嫌いで、心の中では一番でありたい

この気持ちが根底にあったけど、野球で一番になれなかった悔しさから、髪を染め、頭に剃り込みを入れ、眉毛も剃り、グレていきました。

体も大きかったし、力もあったので風を切って歩くようになり、力で強さを証明するようにもなっていきました。

本当は小心者なのに、見た目と態度で自分を強く見せていました。

野球もできない、勉強の才能も無いと悲観していたので、家の近くにある名前を書けば入れるような学校に入学。

周りも同じように、何もすることなく、髪を染めたり、パンチかけたり、見た目で強さを表現するやつばかり。

高校生活は特に何をすることなく、バイクを乗り回したり、コンビニ前にたまったり、麻雀したりと、友達と無駄に集まり、毎日暇な時間を過ごしていました。

小学、中学で愛した野球も興味が無くなり「好き」という感情は全く無くなりました。

逆に、僕の中では、悪いことをするのがカッコいいという思想がどんどん形成されていきました。

高校時代は何をする事なく、適当にバイトしてずーっと公園にいてと、何もやる気になれなかったのを覚えています。

そんな無気力な高校生活も終盤。

高校3年になり、進路はどうするか?となった時、

僕は、両親にやりたいことが何もないから「働こうと思う」

と伝えると、

「遊んでも良いから大学だけは出ておきなさい」

と言われ、親の大学進学への押しがあったので、目的がある訳でもなく、大学に行くことを決めました。

何をしてもセンスや才能がないと思っていたので、勉強をして、良い大学に入ると言う選択肢はありませんでした、

その時の実力で入れる、Fラン大学に推薦で入ることにしたのです。

中学の野球チームで、この世は「センスと才能で全てが左右される」という価値観が出来上がってしまったので、それ以降は、何をするにも「あいつの方がセンスある」俺にはできないと、目の前の事から逃げることしか考えない奴に成り下がっていました。

そして、僕の大学時代はというと、毎月適当にアルバイトをして飲み行けるお金だけを稼ぎ、学校も行かずに、ビジネスなんて事も一切考えず、

夜な夜な街に繰り出し、酒飲んで酔っぱらって騒いで楽しむという典型的な駄目な大学生のルートを歩んでいきました。

今、楽しまなきゃいつ楽しむ!

今、楽しければ全て良し!

飲み会では友達をコールで煽り、毎週末クラブに行き、クラブ帰りの朝方の路上でゲロ吐いてるような大学時代を送っていました。

将来は将来。今は今。

俺の将来は何とかなるだろう。

と後先を何も考えずに、ウェイウェイやってた過去を

今では一番後悔しています。

でも、大学3年生になると、少し将来のことを考え始めます。

将来は漠然と社長になりたいと思っていたので、何かビジネスを始めなきゃ、、、と思って

「インターネット 稼ぐ」とGoogleで調べ

アフィリエイト、せどり、ブログ、FXなど様々なネットビジネスに挑戦するも悉く失敗。1円も稼げずに、

俺ってビジネスでもセンスと才能ないのか、、、本気でやばいな

と心の底で思っていたけど、

それでも将来は何とかなるでしょ、と遊びたい衝動を抑えることができずに、またウェイウェイしてました。

この時に今と同じ"熱量"でビジネスに取り組めていたら、僕は現時点で、どのレベルにいたのだろうと後悔してもしきれません。

後悔先に立たずとはこのことですが、

もし今あなたが「やるべきか迷っていること」があるならば

「やるべきか分からなくなったらやる」

大抵の場合、

何かやった後の後悔より、やらなかった後の後悔の方が何倍も何倍も大きいです。

「やってみる」という選択をする方が後々納得のいく経験になります。

これは僕の9ヶ月のビジネス経験から紡ぎ出された結論です。

少しでも「興味がある」ことは、失敗を恐れずにやっていくことによって

あなたの血肉になって、確実に将来のあなたのためになります。


大学は遊び呆けていましたが、何とか4年で大学卒業が射程圏内に入ってきました。

大学4年になると、Fラン大学と言っても周りは就活をして、友達も内定をもらう友達が増えてきました。

僕はというと、、、普通には働きたくないという理由から、大学を卒業したら起業するという目標を持って、何をするかも決めてないまま就職活動は一切せずに、過ごしていました。

そして、大学時代に留学した経験をもとに大学卒業後、海外の留学斡旋、派遣事業の会社を作りました。

今まで何もしてなかったのに、社会人になって一発逆転「金持ち」を夢見て起業しますが、

なんと、結果は月収0円の経営者。

学生時代は、起業して成功してる自分を毎日想像していた。

想像の中では"成功"してるはずだった。

この理想と現実のギャップに戸惑い、起業したのに週3でバイトしてる現実が苦しかった。

こんな「悪魔みたいな夢から覚めろ」と思うほどだった。

さらに、僕を苦しめたのは"親戚"との集まりでしたね。

大学を卒業したら"就職"という一般のルートから外れて"起業"と伝えたら、「凄い」と言われると想像するだろう。

でも、実際は月収0円の経営者

親戚はみんな物凄く優秀で、誰もが知ってる大企業、商社、地主と
世間から見ても"優秀""勝ち組"と言われる職ばかりだった。

そんな中で「カンは今何してるの?」って質問をされた時は、顔を見て返事できなかったな。

一発逆転を狙ったは良いものの、自分の無力さに歯痒くて歯痒くてどうしたら良いか分からなかったな。

ここまで書いてきたように、

僕のこれまでの人生は自分のセンスや才能の無さに落胆してきました。

そこから一発逆転するために起業したのに、

何も結果を出せなくて月収0円

今まで何もしてこなかったので、そりゃそうだよなと。

一番辛かったのは、親戚に真顔で「普通に働いたら?」と言われたことだった。別に嫌味とかじゃなくて僕のためを思って真っ当な意見を言われただけだったけど、

全てを否定された気がして、悔しくて悔しくてたまらなかった。

その時は「そうですよね」と言いつつ、強がった発言もしていた。

いや、かなり強がっていた。

でも本当は、心の中の僕は下を向いて悔し泣きし、地面を叩いていた。

何でまだバイトしてるのか?自分に一番聞きてぇんだよ
ってずっと思っていた。

親戚と僕との圧倒的な"差"に落ち込んだ。

皮膚に爪あとが残るほど拳を思いっきり握りしめるくらいにね。

僕は、相当な負けず嫌いだし、頑固者で、自分を保つだけのプライドはあった。この親戚との集まりを機に

「もう二度とこんな悔しい思いはしたくない」
その一心で頑張ることにした。


今思えば「自分を偽ることが、自分を一番傷つけます」

想像の中では"成功"してるはずだったけど
現実は、結果出てなかったら、

プライドを持たず強がらずに、親戚にも相談してれば親身になって
力になってくれていた可能性が高い。

だって、親族だから。

でも、自分を実力以上に強く見せたかったから。強がった返事もしていた。

過去の僕もそうでしたが、

自分を現実以上に強く見せたがる人がいます。

嘘をつき、誇張して、本当の自分を隠すのです。

今時の言葉で言うと、偽りのマウントとでも言うのでしょうか。

本来の自分を押し殺して生きる

「この意味は本当の自分が嫌い」という意味です。

本当の自分を自分が嫌いだから、隠そうとする。

本当の自分は認められないと思うから、自分を偽る。

ですよね。

しかも、隠せば隠すほど、偽れば偽るほど、その行動によって「自分嫌い」が加速していきます。


才能がない自分、センスがない自分、勉強が全くできない自分....

本当は自分では分かってるけど、周りには強がりたいから更に、嘘と強がりで自分の首を絞めていく。

理想と現実のギャップを目の当たりにして

「なんで俺はこんなにできないんだ....」

と、どんどん自分嫌いが加速していきます。

そして、何をするにしても"行動することさえできない"、マニュアル通りにしか動かけない人間が形成されます。


こんなことをしていて、成功できる訳がありません。

自分を大きく見せる必要も、強く見せる必要もないのです。

「本来の自分を受け止めて行動する」


今思えば、過去の僕のはこれが必要だったかなと思います。


過去の僕は、自分を強く見せていたけど、全く結果が出てない現実が辛くて辛くて生活していました。

こういった精神状態だと家族、友達から言われる一言でも通常の何倍も真に受けることが多くて、

「お金持ちは頭が良いからお金持ちになれるんだよ」とか
「カンは有言不実行」って言われると

なんとか、火を灯している、心の火が吹き飛ばされて消えそうでした。

中学校で野球のクラブチームに入って受けたトラウマが

大人になって会社を作ってもトラウマとして脳裏に舞い戻ってくるのです。

「あ〜やっぱり、俺ってセンスと才能ないんだよな」ってね。


こんな時の現実逃避方法は一つしかなくて、夜の街に繰り出して記憶無くすまで飲んだり、財布の中の小銭をかき集めてストロングゼロをかっ喰らい酔っ払って全てを忘れるという......

お酒の力をかりて、偽りの自分を忘れたかったのです。

月収0円経営者時代の詳細は、こちらに書いてあるので、ぜひ読んでください。

これを読むと次の「ニートからもう一度這い上がると決める」の流れがスッと頭に入ってきます。

もう既に読んでる人はそのまま読み進めてください。

ニートからもう一度這い上がると決める

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先ほど紹介した、月収0円の経営者の後は、新型コロナウイルスが世界中に蔓延して、国の行き来ができなくなり、海外での留学事業、人材派遣事業の収入は0円になりました。

日本から海外へ人を動かすことでお金を頂いていた事業だったわけですから、海外への入国がストップになったらお金が入らないわけです。

なので、会社は崩壊し、

月収0円の経営者に逆戻りしたわけです。

さらに、何もやる気力を無くした為、実家に戻りニート生活を送っていました。

そしてお金も無くなり、心にも余裕が持てなくなり、人に強く当たるようになってきました。

この時、僕の心は死にかけていて、もう自分でビジネスはできない.....

何処かに雇ってもらって平凡に生活するのも幸せかもしれない...とインターネットで社員を募集している会社を探しました。

受かりそうな会社をいくつか見つけて、職務経歴書と履歴書を書いて送りましたが、全て返事がこなくて

結果は「全落ち」

この結果に絶望しましたが、興味もない会社に「興味ありますよ風」に履歴書を書いて入社するよりは良いと、自分の中で都合の良い言い訳をして、また強がっていました。

こいつら、俺を取らないなんて勿体無いない。
なんて思ってました。

この時は、20代後半でしたし、彼女もいて、色々と将来を考えていたので、絶対にこのままじゃ終わると思っていましたが、どうしたら良いのか分からずに生活していました。

お金が底を尽きたけど、友達と遊びたかったので小銭を稼ぐためにUber eatsに登録して配達してみて、1日思いっきりチャリを運んで食事を運べば1万円くらい入った。

正直、感動した。

月収0円時代を味わってる僕には、こんな脳死で食事運んで1万円も貰えんの??俺ってこれで良いんじゃない?みたいな感じに。

2週間くらいチャリを漕いでUberをやって少し稼いで、遊んでみたいな、実家にいたので大学生の夏休みたいな生活をした。

でも、高級住宅街とかタワマンとかに配達に行くと『この人たちと俺の差ってやばくない?』やっぱ俺も金欲しい、成功したいってメラメラとビジネスする欲が燃えてきたんです。

このままじゃド底辺で終わってしまうと思って最後の力を振り絞って、また"やってやろうじゃない"かと心に誓いました。

諦めの悪い僕が、再度立ち上がろうと思って、最初に始めたのが、音声配信のStand.FM(通称:スタエフ)です。

「これからはラジオの時代」が来ると言われていたので、3ヶ月間毎日更新していました。

Twitterでリプ、いいね周りが正解と勘違いしていたので、スタエフでも闇のイイねリプ周り時代があります。

この時は、3ヶ月動かして2000円ちょっとしか収益化できませんでした。

俺って「運」が無い上に、やっぱセンスも才能もないんだなと諦めかけました。

正直、その当時、音声でどうやってマネタイズするのか分からなかった。

母親には小さい頃から「カンは有言不実行」と言われ鼻で笑われてきましたが、今回は馬鹿にされたくないと思ったし、人生ではじめて少しの成功はしたいと思い、死に物狂いで頑張った。

その当時、音声配信で繋がっていた方が「Kindle出版する」と言っていて、じゃあ俺もやってやるぜ!みたいな感じで参入。

これが、僕とKindle出版との出会いです。

インターネットでKindleを調べていてもKindleは収益化が簡単ってことだったので、ストック型、夢の不労所得構築を目指して作業にのめり込みます。

毎日、8時間以上PCを叩く日々、腱鞘炎になり身動きが取れなくなったことも何度かあります。

それで、音声配信、スタンドFMの本を出したら初月で5000円の印税が入った

『正直、マジか?!これは即金性があり収益性が高い』と感じました。

そこからは、これだ!と思い、時間がある時は、PCを叩いた。どんどん印税が増えていくことに喜んでいきました。

収益性の高いコンテンツビジネスに参入

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Kindleを自分で書いていては、アッパーが見えている。

もっとレバレッジを効かせたいと思い、Kindleは外注で自動化し、Kindle出版のノウハウをコンテンツとして販売することを決意。

コンテンツ販売前に偶然、知識投資して買った教材に衝撃を受けた。

自分には全く知らない知識が入っていたので、僕の脳ミソに落雷が落ちたような感覚に陥った。

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新しい知識を全てしゃぶり尽くすが如く、何回も何回も教材を聞いた。

ここで「ハッ」と思ったんです。

この、しゃぶり尽くすような感覚を自分のフィールド=Kindleでやれば良いんだと。

その後は、見よう見まねで全ての動線をパクリにパクリ

自分のKindleで試してみて商品をリリース。

その当時の全力を出して、まるで悟空が元気玉を食らわせるがごとく、世の中に放った....

これで売れなかったら、本当に諦めるかもしれない...ってくらい僕に中では、最後の最後の元気玉だった。

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そしたら当たった、、

1ヶ月目で47万円
2ヶ月目で67万円
3ヶ月目で87万円
4ヶ月目で102万円

の利益を出せた...

最近僕のことを知ったばかりの方は、カンは昔からセンスと才能があって、Kindle界隈で一番稼いでいると思っている方もいるかと思いますが、

この出来事は、2021年の9月です。

9月に47万円の利益を出して、12月に102万円の利益を出しました。

全てこの記事を書いてる、1年以内に起きていることなのです。

今まで何をするにも結果を出せなかった僕でしたが

決して諦めることなく、飽きることなく知識へ投資した末に生まれたのが

「カン」というアカウントなのです。

ここで何を伝えたいかと言うと、

諦めが悪いと言われても良い、
しぶといと言われても良い

でも、

とにかく諦めないことです。

希望を捨てたらいかんのです
諦めたら試合終了なんですよ

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目の前のビジネスに諦めずに、やり抜く覚悟を持ってください。

僕は、今までの人生で全てをセンスと才能のせいにしてきましたが、

29歳になってはじめて、死に物狂いで目の前のビジネスに取り組み、小さい成功を手に入れることができました。

もちろん、ビジネスマンとしてはひよっこで、まだまだだと強く思っていますが、僕の中で、この小さな成功は宝です。

今までのトラウマを払拭して、自己肯定感を上げてくれています。


ビジネスで成功したい!と諦めずに、泥まみれになりながら見つけたのが
「Kindle出版」というビジネスなのです。

Kindle界隈で最短最速で稼いだ人

この称号が付いているのも、

諦めずに頑張った結果です。

もし、途中で諦めていたら、僕が世界で一番大っ嫌いな人の妬みや恨みを吐くという行為を、SNSでやっている側になっていたかもしれません。

そして、人生を諦めて上の人間の指示だけを聞いて動く一生貧乏で自己肯定感も極めて低いマニュアル人間になっていたでしょう。

僕は真剣にビジネスに打ち込み肌で感じました。

ビジネスは正しいやり方をすれば再現性100%です。

なぜか?

既に成功事例はたくさんあるので、それを真似して行動すれば良いだけなのです。

実際に僕だけ結果を出せたのではなくて、僕のノウハウを使ってコンサル生も100%の収益化に成功し、コンサル終わった後も自分の力でメキメキと収入を増やして言っています。


貴方は諦めずにビジネスに取り組み人生を変える覚悟はありますか?

もし諦めずにビジネスにと取り組み人生を変える覚悟があるならば、

絶対成功します。

今まで何も結果出てこなかった僕ですら結果を出せたのです。


かなり熱くなってしまいKindle一冊レベルの文字量になってしまいましたが、

どうだったでしょうか??

本当は言いたくなかった過去の赤裸々な体験を含め
こんなにも自分を事細かに皆さんにお伝えしたのは初めてです。

今のカンというアカウントを見ると
最初から上手くいっていたと思われがちですが

でも、現実は、

センスと才能で全てが決まると思っていたし
本当に0から、何度も何度も挫折して諦めようと思っていた所から
何とかして這い上がってきました。

こんな経験があるので、
お客様と話す時、例えお客さんが失敗続きでも
肯定的に応援することができるんだなと心から感じます。

僕は「稼ぎたい」と人一倍強く思っていたので
特に「稼ぎたい」と心から言っている人を見ると
熱が入って答えてしまいます。

最後に伝えますが、
どうか諦めないでください。

諦めなければ自分が想像できなかったような明るい未来が待っているのですから。

ただの凡人で実績0、本当の0だった僕にもできたのですから。

僕の決意と今後のビジョン

冒頭でも話しましたが、カンはKindle界隈で最短最速で稼いだカンは、

皆さんの応援もあり、600万円超収益化できました。

まだまだ上を見ると本当に小さな実績です。でも、今まで何も結果を出せてこなかった僕にとっては、凄く凄く大きな変化で、

自分に「センス」や「才能」が無いと悲観しなくなったことです。

今まで30年間、自分の才能やセンスの無さに絶望してきましたが、そのネガティブな思考から解放されました。

勿論、600万円稼いだから人間的に優れている、ビジネスパーソンとして優れていると言ったことではなくて、あくまで"数字"だけのお話ですが、

自分よりセンスや才能があって、輝いていたチームメイト、優秀な親戚一同と比較した時に、人生で始めて勝ることができたという事実のおかげで

僕は30年間抱えていたコンプレックスから解放できました。

世間一般的の評価として、大企業に勤めるか否かは人としての物差しとして図られるけど、社会人になると「収入」という面の物差しでも個人が評価されます。

なので、普通より多く稼げた、しかも会社に頼らず個人の力で稼げたのは自信を持って良いことだと思います。

そして、29年間自分のコンプレックスから解放されて分かったことがあります。

それは、確かに僕は、センスや才能とか、他の方より突出した思考力はなかったんだけど、

僕のセンスや才能がないと悲観していた、中学の野球時代、高校、大学の受験勉強、ネットビジネス、起業では、

何かを犠牲にしてまで、「物事を最後までやり切る」という覚悟が圧倒的に足りなかったと感じます。


全てを捨てても良い"覚悟"はないから、全力を尽くせなくて、結局中途半端になり結果が出なくて諦めて失敗する。

そして毎回失敗する内に、才能やセンスがないと悲観し
小学生の時に自殺しようとした時みたいに、自分で自分の首を絞めていただけだったと今では思います。

生物の中で、人間は様々な感情を持っていて、欲望の塊です。

実際に僕は、最後のチャンスに欠けて全てを犠牲にして、目の前のビジネスに打ち込みました。

夜な夜なパソコンを打ちすぎて、腱鞘炎になり寝返りが打てなくなるまでになり、それでも歯を食いしばり痛みに耐え時には悲鳴を上げながら目の前の作業に打ち込んできました。

今回はやり切る、"誰にも負けーねぞ"ってね。

後戻りはできない必死の覚悟があったから、必然的に24時間、寝ている間もビジネスが夢に出てくるくらい燃えていたから結果が出た。

センスとか才能がなくて、ただこれだけの話なんだなって。

僕は今、自分自身のことをセンスや才能がないやつとは思っていません。

そして現在、ビジネスでもスポーツでも何かしらで結果を出している人のことを「元々センスや才能があった奴」と妬むような事もありません。

自分がやったからこそ、この人も裏で血反吐を吐くような努力をしてきたのだと、尊敬できます。


以上、途中辛い過去を思い出して、書きながら涙が出てしまいましたが、僕の事を前より少しでも理解していただけたなら、この上ない喜びです。


最後までお読みいただきありがとうございました。


カン


・ビジネスを成功させたいけど、"覚悟"が決まらない
・なかなか行動できない
・どうしたら良いのか分からない
・ノウハウコレクターになっている

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