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記憶と宿命 -子どもは大人になるべきか-

フランスを生きた偉大な哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941)は、『物質と記憶』にて、以下のようなことを主張する。

過去は二つの異なる形態で残存する。⑴運動機構として。⑵独立した記憶として。 (アンリ・ベルクソン、杉山直樹訳『物質と記憶』、講談社学術文庫、108頁。)

彼の『物質と記憶』における哲学は、精神の自由を高らかに表現するための形而上学である。端的に言ってしまえば、その自由のために、彼は記憶と知覚–運動をとても重視する。彼の哲学はとても興味深い。「運動」概念、「知覚」概念の内容それぞれを追うにしてもかなりの労力を要する。

今回は本稿の進むべき道のために、ベルクソンの概念体系についての解説を大いに割愛する。それらの解説については後々の自分に任せたい。

第一に、僕が今回取り上げたいことは「記憶」である。そして、そこから「忘却」についても話を進めたい。ベルクソンの最も興味深い考察点でもある「記憶」という概念について、できるだけ平易な説明をほどこしたい。

第二に、僕が今回取り上げたいことは「宿命」である。端的に言えば、今ぼくが個人的に、真正面から取り組まなければいけない社会的な困難のことである。これはベルクソンとなんら関係がないし、僕が勝手に思っていることである。しかし、多くの哲学者が別の形で、あるいは市井の人々が心の中で無意識に、思いあぐねているものでもある。

そして、今回僕がとりあげたいのは、「子どもは大人になるべきか」という普遍的な問いである。その普遍性ゆえに、今回の取り組みは多くの参照物を必要とした。子ども、大人。その一般的な語彙に対して僕の見解を「一義的に」定めることはとてもむずかしかった。だから、遠回りで間接的な議論を重ねることでその真髄に近づく事になる。長くなるだろうが、お付き合い願いたい。

僕は4月で二十歳になり、未成年でなくなる。それは形式的な意味で「子どもではなくなる」。僕はこのことをずっと気にかけていた。大人になるとはどういうことなのだろうか。子どもであるとはどういうことなのだろうか。本稿は、ある意味で、僕の最期の「子どもな文章」となる。二十歳になった瞬間では、その変化には気づけないであろう。にも関わらず、二十歳の自分の誕生日を気にしてしまうのはおかしいだろうか。ただただ僕は、未成年である僕の「哲学的墓標」を建てるためにこれを書いている。二十歳を過ぎてみて、振り返った時に、その墓標が立っていることを確認したいのだ。そこには、それなりの意味がある。だから、「記憶」と「宿命」と「子ども」と「大人」がどんな風に関係してくるのかまだわからないと思うけれど、最後まで丁寧にその議論を読んでもらいたい。

とても長い文章になるから、軽いアウトラインを提示しておく。
まず第1節にて、記憶に関するベルクソンのこまかい議論と、忘却にまつわるぼくの問題意識、僕の思考の裏に走っている信条のこと、今回取りあげる命題との関連性をつめていきたい。
第2節にて、宿命に関する話をする。心理学者(哲学者といってもいいかもしれない)のアルフレッド・アドラー(1870-1937)や、その他の哲学者の言葉をヒントにして、社会にまつわる本稿の命題を考えていく。この1,2節をもって議論の大枠は示されると思う。
第3〜7節にて、それまでに為された議論の補助線を、いくつか引いていく。
3節では、どうしてぼくが「子どもを忘れてはいけない」ことにこだわるのか、その訳を説明していく。4節では3節にまつわる特異な具体例「黒歴史」という言葉を扱う。5節では「大人」という言葉にまつわる欺瞞を、哲学の言葉を使って考え直す。6節では「子ども」ということばを、ぼくの語彙でもって、周辺的なところから定義していく。7節をもって、ぼくがあげた命題と遠いところで繋がっている「老い」というテーマを考えてみる。
最後に、第8節にて一応の結論を書く。

軽いエッセイを読んでいる気持ちだと途中で挫折する分量だと思うし、そもそもぼくの考えを明解に言語化するための所作をここに記録しているまでだし(そうはいっても、理解不能であっては意味がない)、もしかしたら誰も最後まで読まないかもしれない。しかし、それもまたぼくの「大人」への道として、糧になる。読者のみなさんも、ぼくの戯言に付き合えるほどの高邁な体力と精神をもって、是非ともたのしんで、これからの議論を読んでいただきたい。


1.記憶(忘却を裏切れるか?)

冒頭にも述べたとおり、ベルクソンは「記憶」の形態を二種類に分ける。ベルクソンの「記憶」論を理解するためには、はじめに割愛するとは言ったものの、それなりのベルクソン的「行為」論の理解が必要とされる。はじめにその内容について解説しよう。

第一に、ベルクソンにとって何か「行為」をするときに現れてくるものとして、「感覚-運動的機構」と「記憶」の二つがある。「感覚-運動的機構」とはなんだろうか。それは、我々の基礎的な行為選択様式を意味する。ベルクソンの言葉で説明するならば、まずはじめに物質世界の中に浮きでた「知覚」(=「イマージュ」)を我々が「感覚」し、「感情」からのフィードバックを受けつつも「運動図式」(=我々にとっての行動ルールのようなもの)を経た形として「運動」になる、というプロセスのことである(ベルクソンは知覚が物質側に外在すると考えるのだ!)。

ただ、ベルクソンの言葉で説明するだけでは、僕の真意が伝わらないかもしれない。かみくだいて言うならば、たとえば、リンゴを手に取ろうとする時、僕たちはリンゴの表面にまだ触れられていない状態でも視神経的にリンゴの存在を確認しており(「感覚」)、それをリンゴだと理解し(「運動図式」か後に説明する「記憶」)、様々なリンゴの情報を脳内に発現しうる(「感情」)。そして、リンゴを取ろうとしているまさにその時に、右手をリンゴに近づけるという行動パターンを習慣的なレベルで理解している身体の筋肉や触覚(「運動図式」)に基づいて、実際にリンゴに手を伸ばそうとする(「運動」)のだ。これをベルクソンは「感覚-運動的機構」などという大層な名前をつけて説明している[1]。

[1]本論のために、「持続」、あるいは「純粋知覚」や「収縮理論」や「情感」の話題を省いているが、実際のベルクソン理解には必須となる概念である。来月あるいは再来月の僕が解説することを期待していただきたい。

なぜわざわざベルクソンの理論を説明したかったかといえば「運動図式」とよばれる考え方に慣れ親しんでもらいたかったからだ。僕たちは「運動」をするにあたって一定の理解を経ている。僕らは日本語話者であるから、僕が書いたこの文章を意味と接合したものとして読むことができる。「リンゴ」という文字を、赤くて青森県でよく採れる甘酸っぱい果物であると理解できる。けれど、日本語を知らない人、例えばロシア人などが日本語で「リンゴ」という文字を見たとしてもその文字の意味するものを理解できないだろう。その原因には、ある種の無意識的理解(=「運動図式」)に日本語の図式がないからだ、とベルクソンは考える。

このような「図式」的発想は近代の哲学において典型的な発想でもある。その代表的な提唱者にはイマヌエル・カント[2]がいて、ベルクソンも彼の影響下にある。

[2]イマヌエル・カント(1724-1804)は、かの有名な『純粋理性批判』において「カテゴリー」「純粋知性概念」と呼ばれる先験的(=超越論的)理解の枠組みを起草する。これは別の形で「超越論的図式」として表現され、理解の根底にある枠組みの仮定を推し進めた。

では、そんな近代哲学史的には典型的な発想をなぜベルクソンからスタートさせたのかといえば、ベルクソンがこの「行為」論を「記憶」とつなげて考えたからだ。 

ベルクソンは自身の「行為」論を形成するにあたって、ある一面としての先験的構造、つまり「感覚-運動的機構」を認めるとともに、(こう言っては乱暴すぎるかもしれないが)後天的に、経験的に構成される「記憶」の構造を認めるのである。ある種、ベルクソンの行為論は、カント的認識論の体系を行為認識論的な形で、つまり知覚と記憶に注目する形で、(「持続」を代表とした概念群を利用した彼の哲学原理で、)アップデートしたものと言える。そのやり口は、僕の考えていること(「子どもは大人になるべきなのか?」)に重要な示唆を与えてくれる。

彼の「記憶」論について詳しく説明しよう。はじめに取り上げたように、ベルクソンは、ぼくたちのもとに記憶が二種類の方法で内在していると考えた。

⑴運動機構として

⑵独立した記憶として

勘のいい人は気づいてしまうかもしれない。この二つは「感覚-運動的機構」と「記憶」に対応する。さて、どういうことだろうか。

ベルクソンの言っていることはとても簡単なことである。前者、つまり運動機構=習慣にも、後者、つまり出来事にも、ある種の記憶力があると考えるのである。例えば、僕たちは電車やバスに乗る時、Suicaや定期を使って乗車するわけだが、その時に明晰な記憶の再現をもとに行動していない。そこにあるのは習慣である。Suicaで改札を通る時、僕らは「改札はSuicaをタッチさせると通れる」という習慣レベルの生活ルールを記憶しているまでなのである。対して、カギカッコ付きの「記憶」というのは、出来事の記憶と考えられる。例えば、中高時代の卒業アルバムを見て仲の良かった友達の写真を見る。そんな時に校庭で遊んだ出来事とか下校中の思い出とか、そういうものをフラッシュバックのように思い出す。ここにある記憶は、「Suicaを改札ではタッチさせる」という記憶とは別の形があると言えるのではないだろうか。ベルクソン曰く、後者の記憶は、時間的空間的な独立性と順序が付随している。端的に言ってしまえば、思い出せる類の記憶である。前者の記憶を無意識的な記憶とするならば、後者の記憶は意識的な記憶と言える。これ以後の明快な理解のために前者を第一記憶、後者を第二記憶と名付けよう。

以上のような記憶の区別を感覚的に理解できたであろうか。実は、現代の神経科学においても似たような区分が、「記憶」についての研究で明らかになっている[3]。現代の科学において、第一記憶は非陳述記憶、第二記憶は陳述記憶、という名で説明されている。

[3]『記憶のしくみ』(ラリーRスクワイア・エリックRカンデル、小西史郎・桐野豊訳、ブルーバックス、2016年、40-50頁。)によれば、1957年、ブレンダ・ミルナーの記憶障害に関する症例研究にてはじめてこの区別が見出された(ベルクソンは自己内省をもとに1896年には『物質と記憶』にてこの区別をしている!)。心理学者ジェローム・ブルナーはこの区別について、前者(=非陳述記憶)を「いかに(方法,手続き)を知ること=記録のない記憶」、後者(=陳述記憶)を「何か(事柄)を知ること=記録のある記憶」と表現している。

科学の側面から「記憶」について考えることも良いかもしれない。しかし、今回はベルクソン的精神のもとに記憶を考えて、そこから拡張した形の社会の前に立つ「子ども」について考えたい。

何度も言うように、第一記憶は、記録がない。けれど、習慣として(感覚-運動的機構として)存在する。第二記憶は、記録がある。それは、語ることができる。ここまでの区別は理解した。ではカギカッコ付きの「記憶」、ベルクソンのいう後者の「記憶(=陳述記憶)」は彼の「行為」論といかなる形で関係するのであろうか。

彼曰く、運動図式を通して行為を我々が為す時、僕らは第二記憶の一部を現実に投射している。ベルクソンによれば、「純粋記憶」と呼ばれる全第二記憶の貯蔵庫のような概念から、なんらかのプロセスを通して、現在の行動に即した必要な第二記憶が投射されると考えるのだ。「卒業アルバムの写真を見る」というエピソードについて先程言及したけれども、そのような時こそ、まさに「純粋記憶」といわれる(「正確には意識の諸平面」からであるが)記録の貯蔵庫から、中学あるいは高校時代の思い出が出てきて、現在の自分に投射されると考えるのである。

重要なのは、ベルクソンが記憶の貯蔵庫のようなもの(=「純粋記憶」)を想定していることだ。いわば、過去-現在-未来のようなタイムラインがあったとして、過去はタイムライン上に存在しない=始点は現在にある、と考えるのである。過去は全て別次元の貯蔵庫に保存される形でのみ現在に干渉すると考えるのである。実際、ベルクソンは現在の時間感覚(=「持続」)をもとにタイムライン的な存在を認めるのは直近の過去と直近の未来だけになっている。とはいえ、記憶の貯蔵庫にある記憶群についてはその存在レベルで時系列性があると言っている。けれど、僕の感覚から言えば、記憶の貯蔵庫に保存されたものたちの時系列性は摩耗していくように感じる

実際、ベルクソンの想定している「純粋記憶」と呼ばれる記憶の貯蔵庫は、「純粋」と表現される。哲学において「純粋」とは、経験性などから脱離した形で、先験的に存在するというニュアンスが含まれるが、「ないものをあえて在る」と想定するという形で論理的辻褄の完成を目指す時によく使われる言葉でもある。いわば、頂点にある「完成された記憶の貯蔵庫」を想定することで、現在の記憶形態のグラデーションを説明しようとしているのだ。だから、ベルクソン自身、一般人の平常なる記憶貯蔵庫のことを「意識の諸平面」と言って、「純粋記憶」よりも解像度の低いものとして規定している[4]。

[4]アンリ・ベルクソン、前掲書、244-249頁。

(参考までに、ここまでの「行為」論を略図に示しておく。)

ここから少しづつ、「子ども」から「大人」になることについて、議論を深めていきたい。ベルクソンは記憶が二つの形で存在すると考えた。一つ目は習慣として。二つ目は貯蔵庫として。このベルクソンのアイデアを借りて、僕が思うに、記憶の貯蔵庫はデータファイルのような完全性を持った形では存在しにくい。バイト数や日付データを、はじめと同じ形で持つことが難しいように思える。そもそも、第二記憶は、適切なタイミングで(記憶の本質的な職能を持って)思い出されるのだろうか。

少しベルクソンの思想とは離れて考えよう。このような「記憶」の形を受け入れた上で、「忘却」はいかにして起きているのだろうか。僕たちは日々多くのことを覚えているし、思い出している。ベルクソンは、ある意味で「思い出しの構造」を明らかにする形で「忘却」を暗喩的に否定している。だって「純粋記憶」が思い出す可能性を保証しているから。でも、本当にそうなのだろうか。人は、忘れることを時たま恐れるけれど、それは、思い出すことができれば解消される類のものなのだろうか。忘れることの対義語は思い出すことなのだろうか。いいや、違うだろう。忘れることを恐れる時、人は忘れないこと、つまり、覚え続けることを欲しているのではないか。

よくある感動ドラマであったり、バトル系アニメとかで、大事な人や仲間が死んで(あるいは消滅して)、それを乗り越えなければならないシーンがあると思う。そういう時に主人公はこう自分に語りかけることで死んだ人のこと(仮にAさんとしよう)を乗り越えるものだ。「Aは僕たちの心の中で生きている」、と。

「忘却」という問題を考えるにあたり、ベルクソンが間接的にでも出してしまった「純粋記憶」という処方箋は、ルフィが「エースが死んでもエースは俺の中に生きている」と言って乗り越える様と同じように思える。「心」という概念を規定し、その中に「エース(=現在から消去された存在)」が残っていて、時たま思い出されることによって「忘却」の不安は乗り越えられる、という論理である。ゴムゴムの火拳銃を放つ(=エースを思い出す象徴)ことによってしか忘却からは救われない、そう言っていることと同じように感じられる。でも、「心」なんて本当にあるのだろうか。僕らには、本当に「思い出す」保証があるんだろうか。僕にはそこがどうしても疑わしく思えるのである。

そもそも、なぜ僕が「忘却」について気にしているのか、説明しなければならない。「子ども」は「忘却」されるものであるからだ。人は、黙っていても成長する。大人になる。そのように人間というものは基本的に設計されている。生物学的にもそうだし、社会的にもそうだ。だからこそ、人間は「大人」化に順応していく。それは現在にコミットすることでもある。それとともに、人は子どもであることを辞めるために、子どもの記憶を忘れる。「子ども」から「大人」になることは「成長」とも言えるだろう。「成長」とは、「記憶」とトレードオフの関係なのではないだろうか。「子ども」の忘却を引き換えに、「大人」への成長を遂げているのではないだろうか。僕にはそのような問題意識がある。「子ども」は「大人」になることで何かを忘れているんじゃないだろうか。僕が「子どもは大人になるべきか」という問いのもとに考えたいのは、そういうことである。

この問いに対して、「成長することはいいことである」という至極真っ当な意見がぶつかると思われる。僕も実際そう思う。成長することは至極正しい。成長することは人間の本能である。成長しなければ、強くなれない。強くならなければ、人は生き残れない。強くなること(乗り越えること)は、人の一生の課題である。でも、それだけでは人として大事なもの、例えば、やさしさが失われるんじゃないだろうか。「子ども」の記憶とは、「子ども」のことをやさしくみつめるためにある記憶なんじゃないだろうか。「大人」になること、それは一つの「成長」モチーフであると同時に、一つの「老い」のモチーフとも言える。老人と若者の間に一定のひずみがあることの原因は、「記憶」の「忘却」にあるんじゃないだろうか。僕の発想は「忘却」という過去命題から「成長」という未来命題に接続している。もちろん、成長することを認めたい。というか、成長はするものである。ただ、本当の意味での成長になっているのか、それは「子ども」が「大人」に変質しているだけなんじゃないだろうか、という問いを立てることの有意味性を主張したい。だから、前提として、僕は成長を認めながら「忘却」しないことを考える。そのような意味での倫理学を構想していきたいと考えている。

話がベルクソンから大きく外れてしまった。けれど、ベルクソンは大いにヒントを僕に与えてくれたと思う。というのも、僕はベルクソンの第二記憶をもとにして「忘却」の議論をしたまでであるからだ。たしかに、忘却と成長は第二記憶の議論において相反していることを示した。記録の貯蔵庫にまつわる「思い出し」は「成長」と真逆である。中高時代のアルバムを見てノスタルジーに浸ること、それは成長というより懐古的衰退である。であるなら、全ての過去が記録の貯蔵庫に保存されているから、いつでも思い出せるから、だから大丈夫というベルクソンの(ルフィの)提案は、「忘却」の本当の意味での克服を果たしているのか。いいや、違うだろう。「忘却」の対義語は「忘れ続けない=覚え続ける」ことである。「思い出すこと」ではない。僕たちは、覚え続けるために、忘却を裏切りつづけなければならない

では、第一記憶、つまり「記録のない記憶」というのはいかにして「忘却」するのだろうか。前述した通り、第一記憶とは、習慣的で無意識的な記憶のことである。であるならば、もはや「忘却」したことも無意識にあるのだから、わからないのかもしれない。むしろ、そこにあるのは習慣という形で、「思い出す」という形でしか存在しないわけで、「忘却」とは全く関係がないのかもしれない。原理的に忘却は存在し得ないのかもしれない。けれど、一つだけ言えるのが、「記録のない記憶」は、ある特定の「行為」と密接に関係しているということだ。Suicaを改札でタッチするという行為があるからこそ「記録のない記憶」は確認されるわけである。

そもそもベルクソンの理論上、第一記憶は、「行為」をするための「運動図式」に根ざしているといえる。だから、「忘却」しないことを意識的に実現するためには、忘却されるような「行為」を、忘却しないように継続して行うことが大事だ、といえるのではないだろうか。あえて「記録のない記憶」における「忘却」を定義するならば、「習慣的な行動をしなくなること」であるといえるだろう。僕はこのことを、「忘却」と言うのではなく、「実際的忘却」の呼びたい。

自分が中学高校時代に通っていた母校へ久々に訪れることを想像してみよう。自分がかつて習慣的に歩んでいた通学路を見て、過去の思い出(=第二記憶)がフラッシュバックすることもあるだろう。けれど、実はそれだけじゃあないのではないだろうか。同窓会に赴いて、旧友と話してみると、思い出レベルではない感覚としての中学時代、高校時代が思い出されることもあるのだろう。これはバイト中、あるいは大学の授業中とは違う感覚である、と。それが、おそらくは第一記憶なのかもしれない。「体が覚えている」というような、通俗表現があるけれど、僕は第一記憶がまさにそれなんであろうと考えている。

第一記憶の面白いところは「語ることができない」けれど「行為」によっては「体が覚えている」という点である。そこには「語ることができない」からこそ、記憶の解像度が問題にならない。そもそも、それは「行為」なのであるから。第二記憶の編み出す「物語」ではない。「物語」というよりも、行為における「ゲームルール」なのである。だから、「忘れる」ことへの恐怖が、記憶存在そのものが抹消されるという不安ではひき起こされない。問題は「行為しつづける」ことに移るわけである。第一記憶は、それと連関する行為をしつづけることで思い出しつづけることすらできるかもしれない。けれども、逆を言ってしまえば、行為しなくなれば実質的には存在しない、「実際的忘却」が起こるわけでもある。このようなことは簡単に起こる。環境を変えれば良い。日本に住んでいる限り、日本的な行動習慣があり、各人に日本人的第一記憶があると考えて良いのであれば、中国に行って、中国の行動習慣になれた瞬間「実際的忘却」が起こるといえる。その忘却は一面として「成長」をはらんでいるようにも思える。新しい環境に移る。それは高校生から大学生になるのと同じような「成長」でもあろう。

ひとまず議論はここで終えて、まとめておきたい。

ここまでで、第一記憶における「忘却」がなんであるかわかっただろうか。「行為」をしなければ思い出すことすらしないような感覚。これが「子どもは大人になるべきなのか」という問いにどう関係してくるかは、他の議論を終えてから明かしていきたい。大人になることは、子どものことを忘れることと同義かもしれない。「成長」は「忘却」と相反するかもしれない。「忘れない」ことは難しい。第二記憶は解像度が落ちる。「思い出す」ことは救いにならない。だがしかし、第一記憶は「行為」との連関が見られ、成長しても、「行為」すること自体はできるかもしれない。

ここまでの僕は「記憶」における「忘却」という問題を、ベルクソンの区分に根ざした形でとても主観的というか、自己内省的に考えた。ここからは少し、社会的かつ通俗的なところから、「子どもは大人になるべきなのか」という議論に付き合ってもらう。そのために、「宿命」という発想を導入したい。


2.宿命(子どもは大人に並存しないのか?)


以上のような形でぼくは「記憶」にまつわる問題を考えた。「記憶」とは運動機構であり、貯蔵庫である。第一記憶は環境(ゲームルール)の変化によって「実際的忘却」を起こし、第二記憶は現在において想起されることの本質的職能を、解像度と共に失っていきつつある。これは、まずはじめに考えるべき記憶の存在容態であり、「子どもを忘れない」上でだいじなポイントになっている。
では、「宿命」とは何であるか。「宿命」とは、「大人になる」上でだいじなポイントとなる。

そもそも、「大人」とは何なのだろうか。しばしば、子供は両親から「大人な行動をしなさい」だとか「子供っぽいことをやめなさい」といったことを指摘される。そして、大抵の場合、その指摘は悪いことではないのだろう。社会適合的な生活をするためのメッセージとして、先人の知恵として、老婆心としての、忠告なのであろう。ある種、「大人になる」とは、社会適合化という一言によって換言可能なものかもしれない。では、社会適合化というひとことに詰まっているものとは何であろうか。一つづつ考え直していこう。

「宿命」という言葉でぼくが表現したいものを、単刀直入に言ってしまうと、社会適合化への道、ということになる。僕たちは「大人」になるために、数々の「宿命」を乗り越えてきている。日本なら、「ご飯は残さず食べなさい」とか「親戚にしっかり挨拶しなさい」とか、そういうことである。別に親に命じられることが全て「宿命」であるとは言わない。むしろ、社会的に醸成された「ゲームルール」こそが「宿命」である。「ご飯は残さず食べなさい」という「宿命」を乗り越えることで、大人は食料貧困に抗するための社会適合化を子どもに対して図る。「宿命」とは、「大人」という目的へ向かうためのいくつかのステップを意味している。

大事なのは、宿命とは「自らが選びとっていくもの」であるということだ。それは何かしら「神様によって決定されているものではない」ということでもある。それは、救いようのないものではない。僕たちは選ぶことができる。でも、なんというか、どうも選んでしまいがちで、まるで運命かのようにぶら下がっているもののことである。

例をあげないとわからないかもしれない。ぼくが「大人」になるために具体的に想定しているような「宿命」は三つある。

かつて心理学三大巨匠に数えられた心理学者(哲学者?)アルフレッド・アドラーは人生に関してこう説明した。我々は、地球の上を生きている(①)ということ、周囲を同じ人間に囲われている=社会のなかで生活している(②)こと、二つの性=男女がある(③)こと、この三つの普遍的な制限に囚われている。そして、それゆえに、三つの普遍的課題として

⑴仕事の問題(自分自身が生存しなければならない)

⑵対人関係の問題(仲間の間で自分の居場所を見つけねばならない)

⑶性の問題(人類を存続しなければならない)

が浮かび上がってくる、と[5]。

[5]アルフレッド・アドラー、岸見一郎訳『人生の意味の心理学』、アルテ、2010年、10−19頁。

これを、「大人になる」「社会適合化」のための「宿命」という目線からかんがえれば、どうだろうか。

「宿命」とは、

お金を稼ぐ(バイト解禁)

コミュニケーション能力をつける(飲酒解禁、免許取得)

付き合う/結婚する/子を作る(童貞/処女の卒業)

ことのようにも考えられる。カッコに括ったものは例に過ぎない。バイトをすることで、経済的自立をして、大人になる。お酒が飲めるようになって、飲みの席でいい感じの対人関係をこなせるようになって、大人になる。彼女、あるいは彼氏とセックスするようになって(あるいは付き合うことができるようになって)、大人になる。これらは「宿命」のほんの一例にすぎない。大事なのは、どのようなものも、たいていの「大人」がこなしている事柄であるということだ。「宿命」とは、そういうものである。「宿命」とは、アドラーの言葉を借りるならば「人生の課題」と言える。人は社会という地平の中で生きている限り、「宿命」を乗り越えなければならない。

アドラーがあげるような「宿命」というのに、ぼくはなんの異論もない。人は大人になるだろう。そのためにはお金も稼ぐ必要があるし、社交的な付き合いをしてお酒を飲みの席で嗜んだ方がいいし、たぶんセックスもした方がいい。けれど、「宿命」はそれだけなのだろうか。そして、当然ながら、いま例にあげたような「宿命」を乗り越えられない人は、一定数いる。そこに対するケアをぼくたちは根本的に行えているのだろうか。通俗的「宿命」を乗り越えられていない人に対して「やさしい」行動を、ぼくたちはできているのだろうか。「宿命」は、もっと概念として意味を拡張してもいいんじゃないだろうか。たとえば、お酒を飲むことやコーヒーを飲むこと(あるいは苦いお菓子を食べられるようになること)だけではない具体例で、僕たちは「大人」になってもいいんじゃないのだろうか。

現代は平等的多様性と持続可能性を理想視している時代だ。たとえば、ジェンダー問題や障害者問題、環境問題、LGBTQ問題などがニュースのやり玉にあげられている。メインストリームを走るものが一貫して疎外してきた観念(男/女、健常/障害、工業中心/エコロジー、性的マジョリティ/マイノリティ)周辺の事例が目下問題視され、その結果にあったのは、優位性ではなく劣位性の位置にある集団に視点を移させるだけであった。問題は、理想と現実の乖離にある。例えば、現実のパワーバランスは、残念ながら、圧倒的に男性優位である。これに対してフェミニズムの処方箋とは女性優位、あるいは女性視点の開示である。ぼくは、フェミニズム活動家に対しての圧倒的尊敬を前提とした上でであるが、それだけではまずい、と思っている。それは理想の開示であり、実際のパワーバランスを本当の意味で「平等的多様性と持続可能性」に導かない、と考えている。平等的多様性と持続可能性は、実際的問題である。そこに理想はない。あるのは男女の実際的共存であり、理想的上下関係の転倒ではない。これと同じことが、「子どもは大人になるべきなのか」という問いについても言えると思う。僕は「子ども」というものが忘れられてはならない存在だと考えている。しかし、人は皆、「大人」になり、「子ども」を忘れてしまいがちだ。そんな時にいかにして「子ども」を忘れずにいられるのか、ということのための現実に活かせる回路を考えている。

第1節にて僕は、この問題に対する自己内在的希望として、第一記憶(とその習慣的行為)を見出した。そして、本節において僕が実際的で社会的な方向から希望を見出すのは「宿命」の定義拡張である。僕たちは「通過儀礼」のように飲酒解禁や童貞/処女の卒業を経ることで「大人の階段」を登っていった。けれど、社会適合化への道という観点において、決してそのような通俗的「宿命」を通る必要はないのではないか。これは「子ども」要素をいかに「大人」要素と共存させるか、という試みであって、いかに「大人」を否定し「子ども」を肯定するか、という試みでは決してない。フリーターを肯定するための思想ではなく、フリーターをいかに社会の中で共存させるかという思想である。だからこそ、「宿命」について考えなければならない。

「宿命」とは、社会適合化への道である。前述したアドラーは三つの課題に対する処方箋を「共同体感覚」と言った。要は、他者への貢献をモチベートするような感覚のことである。私的な優越性など虚構である、だから自分のために何かするのではなく、誰かのために何かをしろ、という考えである。ある意味で、彼の説いていることは正しい。「お酒を飲んだから」大人の階段を登った気分になるなどというのは、もちろん虚構だし、そんな時に生まれる優越性など大嘘である。彼は続けて「私的な人生の意味などない」と説く。そんなものは死んでしまったら、誰も知らない。社会貢献をする、社会にしっかりと参画すること自体が大事なんだ、そのことによって社会に自分の意味が初めて認められるんだ、そう語るわけである。

しかしながら、社会への参画がそれほどの重大なことなのだろうか?私的な人生の意味に、全く意味がないのだろうか?たしかにお酒を飲むことで「大人」を感じる優越性は虚構かもしれない。けれど、どうしてそんな優越性を若者たちは持つようになったのだろうか。アドラーは何事も「言い過ぎ」である。彼の有名な格言に「すべての問題は対人関係」というものがある。確かに、突き詰めていけばそうなのかもしれない。どんなものも対人的だ。けれど、どうして一部の若者は、未成年でも「大人」になりたくて飲酒してしまうのだろうか。それは社会的イメージとしてお酒が「大人なもの」として、そのような記号性をもって目の前に立ち現れるからであり、すべての記号性は、対人レベルではなく社会レベルで醸成されていると考えても良いのではないだろうか。それこそ、アドラーは僕のいう「宿命」を否定している。彼自身が三つの課題を規定しているものの、宿命なぞ「優越コンプレックス/劣等コンプレックスの作る虚構」だと断罪してしまうであろう。そうやって認識レベルで考えを変えてしまう、大人−子どもの対立から解脱して真なる「大人」になってしまうのもいいかもしれない。けれど、僕は虚構であったとしても「宿命」を考えたほうがいいとおもっている。解脱するのも、まあいい。けれど、そこには「つよくなる」ことがあっても、「やさしくなる」ことがない。「子ども」を認める隙間がない。そもそも、真なる「大人」になったとしても、彼らは解脱したことに優越性をもつんじゃないだろうか。

そもそも、「大人」も「子ども」も、社会的な評価だ。フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの有名な指摘において、「子ども」は17世紀まで存在していなかったという。学校制度が生まれて初めて、そのような評価が下ったのだという。では、「宿命」と僕が評する社会的な「大人」化へのゲームルールを、変更する必要なくして、我々は「子ども」を「大人」と共存させることはできないのではないだろうか。

アドラーの結論は、「勇気を持って社会に出ろ」ということである。君たちの考えているようなことは、虚構に過ぎない。だからこそ、勇気を持って自分を変えろ、ということだ。確かに、自己啓発本として参照されるだけある説得力と力強さがある。ある意味で、「つよくなる」ためにはこれくらい思い切りが良い方がいいのだろう。

けれど、僕は別の回答を、「やさしい」回答を、提出してもいいんじゃないかと思う。アドラーのいう「共同体感覚」とは、悪く言ってしまえば「同調圧力」である。社会にコミットする、という目的論の名のもとに、何かを忘れ去ってはいないだろうか。アドラーの真意に関わらず、結果的にアドラーの名が生存しているフィールドは自己啓発を欲するような、社会人、特に会社勤めで結束力を必要とするようなビジネスパーソンの読者らにおいて、である。どうしても、何かを忘れているような気がしてならない。本質は自己改変よりも、社会改変なのではないだろうか?

人間は、好奇心をもつ生物である。危険を顧みずに、新たなものに接近する心を持っている人たちがなんども失敗したことで、科学技術は今のような発展を遂げている。そういった者たちは社会のルールをしっかり守り、社会に対して適切な参画を本当にしていたのだろうか。彼らは、自分の好きなことを、己が好奇心のために突き詰めていただけに過ぎない。そこに、実は「共同体感覚」などない。果たして、この世界を変えるような発明をする人間が、通俗的「大人」の記号性を得るため、未成年飲酒をするだろうか。アドラーはこのようなことを述べている。

全ての人を動機づけ、われわれが、われわれの文化へなすあらゆる貢献の源泉は、優越性の追求である。人間の生活の全体は、この活動の太い線に沿って、即ち、下から上へ、マイナスからプラスへ、敗北から勝利へと進行する。しかし、真に人生の課題に直面し、それを克服できる唯一の人は、その[優越性の]追求において、他のすべての人を豊かにするという傾向を見せる人、他の人も利するような仕方で前進する人である。(同上、87頁。)

アドラーの主張していることは本当なのだろうか。はたから見たら優越性に見える行為も、「好きだから」やっている行為に過ぎないのかもしれない。本当に、好き/優越性の間で、明確な区別などつくのだろうか。「好き」という感情と「優越している」という権威性の間に、明確な区別をわれわれはつけられるのだろうか。そして、どんな人にも「共同体感覚」のようなものがあったとしても、多くの好奇心旺盛な研究者といった人々にとって、共同体感覚は優先度第一位の目標になるのだろうか。「他の人も利するような仕方」は、本当に本人自身の力で形成すべきものなのだろうか?それはむしろ、大学という「社会」側がケアするべき問題なのではないだろうか。

アドラーは、「情けは人のためならず」という古典的な儀礼を最大限にまで拡張した結果、「子ども」な精神を忘れてしまっている。ほんとうに「大人な」人は「やさしい」のかもしれない。でも、それは結果的に社会貢献至上主義になってしまわないだろうか。己が勇気を高める、そして他人や社会のことを思って行動する、いずれも大事なことである。けれど、アドラーの結論は間違えている。利他の心から利己が成される、という発想が成立するならば、利己の心が利他に落ち着くことも認めるべきである。

その名を知らぬ人はいない哲学者ニーチェはこのようなことを言っている。

天下無双の強者、すこぶるつきの悪人こそが、これまで人類を最も前進させてきた。彼らは幾度となく、眠り込んでいる情熱に火をつけた。ー整然と秩序づけられた社会は情熱を眠り込ませてしまう。ーこれに対して彼らは、競争し反論する感性、新たなものや大胆なもの、未曾有のものを喜ぶ感覚をたびたび目覚めさせた。彼らに迫られて、人びとは互いに意見と意見をぶつけ合い、模範に対して別の模範を立てるようになったのだ。武器を使い、境界石を掘り起こし、とりわけ信仰心を傷つけ合ったり、さらには新たな宗教や道徳を持ち出したりすることによって!「悪意」は、征服者にとっては悪評の元になるが、その同じ悪意が、新たなものを教えて説くものの誰にも巣くっている。たとえそれがより優美に表現され、したがってすぐに筋肉を動かすようなことがなく、それゆえにそれほど悪評を招くことがないとしてもである。とはいえ、新たなものは、征服し、古来の境界石と信仰心を覆すものであり、いかなる時にもである。(フリードリヒ・ニーチェ、村井則夫訳『喜ばしき知恵』、河出文庫、2012年、第一書、四。題は「種を維持する者」より。本文強調箇所をボールドにした。)

ここに唱えられているようなことは様々に解釈することができる。それを理解した上での見解であるが、人はある種の「悪意」=「新しいもの」によって大きく人類を前進させてきた、とニーチェは考えているのだと思う。ニーチェは、そのような「悪」を、社会に共存させるべきだと考えたのではないだろうか。「共同体感覚(=やさしさ)」を目指したバラクオバマよりも、「好奇心(=つよさ)」を極めたビルゲイツの方が、結果的に人類を前進させたであろうし、それはMicrosoftの利己的な行動が、結果的に利他的行動に繋がっていってることとも言える。100年後の歴史の教科書に、オバマは載らなくても、ゲイツは載るかもしれない。

僕が言いたいのは「やさしさ」だけ求め続けても、社会奉仕だけを求め続けても、ダメだということである。アドラーの目的論は、本人の意図しないところで過剰になっている。逆にいえば、ニーチェも過剰なところがある。二人とも、考えの視点は違えど、似たようなことを考えているのだ。世界はあくまで生存競争だ。「つよさ」の方が行動指針にはなる。けれど、「やさしさ」も必要だ。生きる上では必要でないかもしれないけれど、「やさしさ」がなければ人生は楽しくない。

少し議論が複雑になったかもしれない。僕がこの節で行いたいのは、「宿命」に、社会的なやさしさ、あるいは「子ども」を共存させる糸口としてのゲームルールの改変、を求めているまでなのである。「宿命」に、より「愛」を溶かすべきなのではないか。アドラーのように「宿命」の無意味さを説くのでもなく、ニーチェのように通俗的「宿命」に離反するような人を「悪」といってニヒルに終わることもなく、現実的なゲームルールとしての「宿命」を、より子どもらしい「好きなこと」「好奇心」に寛容なる姿へと、改変していくべきなのではないだろうか。そういうことである。

僕はここまでアドラーの発想を批判的に検証し、「宿命」にまつわるヒントを探ってきた。ここで「宿命」にまつわる希望の思索に、ひとまずの結論を設けたい。

「宿命」とは、社会適合化への道である。そのために、「共同体感覚」を持つことは決して必然ではない。「宿命」は、定義を拡張しなければならない。「宿命」とは、「子ども」を「大人」に並存させるための実際的試みである。故に、「宿命」とは、飲酒でも、セックスでも、ましてや大学受験でもない。「子ども」でも社会適合化できるような「乗り越えるべき」何かである。そのような「宿命」とは、あえて言うならば、「好きなこと」なのかもしれない。僕たちはこれまで、アドラーのように「やさしく(=共同体感覚)なることで強く(=優越性の追求)なれる」と信じてきた。けれど、それでは「強く(=好奇心を極める)なることでやさしく(=社会貢献)なる」ことも可能になることを認める必要がある。「好き」というのは「つよさ」なんじゃあないだろうか。それも、「大人」と認められるくらいの。

ここまでの節を読んできて、僕たちは「やさしくなる」ということを疑わなければならなくなった。「やさしくなる」ことを「つよくなる」こととつなげ考えることには、幾らかの困難が見られる。「子どもを忘れない」ことは、やさしくなることである。けれど、前節のように、第二記憶的な意味で、「子どもは忘れてしまいがちな」ものであったのだ。やさしくなる(=子どもを忘れない)ことは難しい。では、第一記憶のように、「子どもを感覚的に思いつづける」ことは、どうやってやればいいんだろうか。

以上のような問題意識を、最後の節に引き継ぎたい。そこで僕は「記憶」と「宿命」を用いることで、「子ども」を「大人」に併置させながら、「子どもを思い出す」、つよくてやさしい結論を出そうと思う。ここまで読んで、結構つらかったかもしれない。はやめに結論を読んでしまいたい人は、ここから3-7節を後回しにして8節の結論を読んでしまってもよい。

ここから結論までの節で、僕は「記憶」と「宿命」を用いて結論を出すために必要ないくつかの「論理的前提」を解説していく。全部で4本の補助線だ。7節は少しだけ、余談のていをなしている。少し細かい議論にもなる。そんなに分量はない。楽しく読んでいってほしい。


3.なぜ子どもを忘れてはいけないのか(疎外されたものを拾う「やさしき」精神)

「子ども」は「忘却」されるものだ。僕は強くそう思っている。でも、なぜ人は「子ども」を「忘却」してはいけないのだろうか。そこについて疑問に思う読者もいることであろう。この問いに対して完璧な返答をすることは難しい。けれど、僕が思うに、成長するだけじゃ人生はつまらないと思うのである。成長することは、やさしくないと、他者とわかりあえてないと、楽しいものも楽しくなくなってしまうのではないだろうか。他者にやさしくすることは、当然ながら、自分の持つ「記憶」をもとにして考えられる。「今の自分」だけを大事にしているのであれば、現在の利害関係に準じた友達しか残らない。それだけで完結してしまうのもいいかもしれない。けれど、多くの場合、社会の他者と接触する際に必要とされるのは、「他者性を帯びた記憶」であり、それこそが「子ども」のような、自らの元を過ぎ去ってしまったようなものの「記憶」なのである。

同時に言えることとして、成長に「本当に正しいもの」なんてない、ということだ。成長することに、正しい道なんてあるのだろうか。「総理大臣になる」という道と、「大工になる」という夢の間に正か不正かの区別をつけることは可能なのだろうか?僕はそのこと自体に難しさを感じている。正しい成長がないのであれば、正しい「記憶」もないということなのではないだろうか?にもかかわらず、「子ども」を「忘却」することは正しくない、と主張したいのには、ぼくにもそれなりの理由がある。

ある哲学者は言う。かつての哲学は「本来的なもの」を重視しすぎてきたが、それゆえに現代哲学は「本来的なもの」の批判を行うことに道を進めた。しかし、このことによって、「本来的なもの」だけでなく「疎外されたもの」もろとも批判の対象となり、「疎外されたもの」をも研究の対象から外れてしまった、と[6]。

[6]國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(太田出版、2015年)の第四章を参照されたい。軽く内容に触れておこう。國分の主張は、ルソー以来の哲学史で語られてきていた「本来性と疎外」の系譜は、「本来性」をあるべき理想の姿として求めるために語ったのではなく、現在において「疎外」されているものの指摘、つまりは「相対化」を行うために発案させていたものである、というものだ。彼によれば、ルソーの自然状態論にそれがよく表れている。ルソーは人の欲望を「自己愛」=自らを保存しようとする願望(食欲、快適な場所に住みたい、など)と、「利己愛」=他者よりも自分が優越しているとしたい願望(マウンティング、これはアドラーの「優越コンプレックス」に似ている)の二種に区分した。ルソーが規定している喜ばしき理想的な「自然状態」は、利己愛がなく、自己愛のみがあり、「所有」の観念がなかった。ホッブズの規定する「自然状態(万人の万人に対する闘争)」はその「自然状態」ののちに訪れた「社会状態」である、としたのである。ルソーの「自然状態」は、過去にあった幻想郷というよりかは、むしろ現在の相対化のために配置された「本来性」である、と國分は主張する。ルソーの有名な言葉「自然にかえれ」が、ルソーの著作のどこにも確認されていない、という彼の指摘も決定的な証左となっている。

ぼくはこの見解に大いに賛同したい。人それぞれに大人のあり方はあるのかもしれない。真に正しい大人は存在しないのかもしれない。けれど、それで「子ども」を無視してもいいロジックになるとは限らないのである。というのも、「大人になる」ということが「成長」であるならば、「子どもを忘却する」ということは「欠落」である。そして、「子どもを忘れない」ということは、その欠落を治すような、いわば治療であり、「回復」である。「回復」することそのものは、真に正しい大人を目指すという高次な目的認識よりも、もっと平易で、普遍的なものである。というか、そういった高次なものに達するための道は、もっともっと厳しい道である。「子ども」を「忘れない」こと、それ自体は全然大きな問題じゃないと思っている。社会により平常な姿勢で臨むことそれ自体は、別に高次な目標ではないと思うわけである。だからこそ、「成長」することにおける「大人」志向的価値観と、「忘却しない」という目的論的価値観が同居していられるのである。

「子どもを忘れない」ことは決して「つよくなる」ためのものではなく、「やさしくなる」ためのものである。そこには力強い意志よりも、よりやわらかな何かを必要としているはずだ。それはもしかすれば、「愛」というのかもしれない。

「社会適合化」という表現にすら、そのやさしさは現われている。社会に適合することは、本当の意味で「普通」なことである。この先の哲学において重要なのは、「普通」であるということの再考であり、「なるべき姿」の再考ではない。「普通」になるべきだ、ということを言いたいのではなく、「普通」である、と言いたいのである。「本来的な大人」はいないかもしれない。そんな時に「子ども」に対して「正しい大人になれよ」と声をかけるのではなく、「自分の道を進め、さらば未来は開ける(未来の姿はわからなくても)」と、肩を叩いてあげることができるかどうかにかかっているのである。やさしさ自身に力はない。力の向きを変えるほどの意味もない。

そして、多くの哲学も不思議なことに「異常な」ところから正常なものを考えているのである。それは哲学が「症例的」であり、治療法的なスタイルをとっていることの意味を有している。大事なのは健康体の方ではなく、病気の方の解析にある。それこそが哲学の視点である。「子どもを忘れる」という病気そのものを解析する必要がある。そして、その病気を「治す」ことは別に間違ったことではないんじゃあないだろうか。

ここまでの議論をきいても、「普通になるべき」と「普通である」の違いに納得できないひとがいるかもしれない。別の言葉で表現してみよう。「普通になるべき」というのは、「もどる哲学」で、「普通である」というのは、「すすむ哲学」だ。

僕たちは、本来的でなにか「あの頃にもどりたい」「こんなはずじゃなかった」「やりなおしたい」みたいな時間遡行的思考を持つ。けれど、そんなことはできるのだろうか。僕たちは、あの頃に実際に戻れるのだろうか。僕は、そう思わない。僕らは、進むことで生きている。生きるとは、そもそも進むことである。進まないことには何も始まらない。これは進歩的現実思考とでもいえばいいのだろうか。僕らは普段から、進歩的現実思考で、生きることを可能にしている。それは、「つよくなる」ことである。でも、人生を楽しく生きるときに、「やさしくなる」ことは不可欠なように思える。そのためには、時間遡行的思考が必要になってもくるだろう。ぼくらは今、進歩的現実思考で「大人になる」ことを目指している。そして、時間遡行的思考でもって「子ども」の頃を思い出している。

こんな時に、かつての哲学は、「大人」の方に傾いている我々の「本来性」の概念を「子ども」の方に向けて、子どもこそ本来的だ!と唱え、「もどる哲学」を薦めるわけである。でも、ぼくはそう思わない。大前提として、ぼくは「やさしくなる」ために「子どもを忘れてはならない」と考える。けれど、第1節で示したとおり、第二記憶は劣化していく。記憶を維持することはとても難しい(僕は第一記憶に希望を見出しているが)。それに加えて、人の本来なる道は「大人になる」ことであることは間違いない(でも、その「大人」という本来性でみえなくなっている疎外された「子ども」も「大人」に並存することを第5節で示す)。

だから、ひとことで表すならば、こうである。「本来性なき疎外」という考えよりかは、「どちらかといえば本来性と言わざるを得ない方角に対して、いかに疎外されたもの並置させるか」であり、「いかに本来性の意味を疎外されたものにまで拡張させるか」という営みこそが、最も正しい、という考えをぼくはもっている。


4.幽霊的黒歴史

前節でぼくがどうして「子どもを忘れてはいけない」と考えるのか、理念的なレベルで語ってみた。けれど、それだけじゃあ不十分かもしれない。抽象度を下げた、実際的な例を取り上げたい。ここで取り上げることは、遠回しに第2節の「宿命」と繋がっている。

取りあげるのは「黒歴史」という言葉である。この言葉自体は機動戦士ガンダムシリーズの用語を起源とするものの、通俗的な意味は、自分の人生における「伏せておきたい、恥ずかしい出来事」をいうときのスラングのようなものである。自らの歴史において黒で塗っておきたいような部分。要はそういうことなのだろう。

この「黒歴史」という言葉は、ある意味で「子ども」という言葉に近い。「大人」は、「子ども」という過去の自分を捨てる=忘れることにより、自らにとって都合のいい歴史を作る必要がある、あるいは自らの体面を維持する必要が出てきているのかもしれない。「子ども」という名の「黒歴史」を、我々は「大人」になるにつれて、消しているのかもしれない。

ぼくがどうも気になるのは、至極あたりまえのことであるが、時間は陸続きにつながっているということである。どうして、ぼくたちは「黒歴史」などと言ってしまうのだろうか。「黒歴史」は、僕たちにとって地続きの過去であるはずだ。それを、まるで無かったかのようにしてしまう。それは、本当に「成長」することなのだろうか?「大人」になることなのだろうか?

もちろん、第1節で述べたとおり、「黒歴史」で扱われているような記憶は「出来事的な歴史」、つまり第二記憶に属するものである。だから、当然ながら解像度の劣化に襲われるし、忘却することは仕方がないものでもある。けれど、「黒歴史」という言葉には、それ以上の意図的なものを感じるのである。「思い出せる」のにもかかわらず、「無かったことにする」。このこと自体に何か「子どもの忘却」に関するヒントが残されているような気がしてならないのである。

僕が思うに、このような「黒歴史」と表現されているようなものこそが「子ども」の象徴であり、それこそが「宿命」なのではないだろうか。

僕たちは、過去にやってしまった恥ずかしい出来事を急に思い出して、布団の中で「うあー」と叫んでしまうことがあるかもしれない。生きることとは、そのような恥ずかしき精神と陸続きの道を進み続けることである。

「宿命」とは社会適合化への道である、と説明した。これはある意味で、人それぞれにとっての乗り越えるべき困難であるとも言える。そのような困難は、きっと幽霊のように、忘れようとしても付きまとってくるものだ。そのような時に、その幽霊と、僕たちは向き合わなければならない。それこそがのりこえるべきもの、つまりは「宿命」なのかもしれない。

僕は第2節で、「宿命」とは「好きなこと」である、と説明した。これをもっと正確に、自己内省的に説明するならばこうであろう。新たに定義拡張された「宿命」とは「好きなこと」に関する「黒歴史」である。好きなことに我々は時間をつぎ込む。それは趣味であれ、恋人であれ、友情であれ、いろいろだ。そんな中で僕たちは大いなるトラブルに遭遇するのだろう。それを僕たちは何らかの方法で「記憶」し、乗り越えるべき課題として、つまり「宿命」として、命題化するのではないだろうか。大事なのは「好きなこと」に関連している、ということだ。

黒歴史にもいろいろあるはずだ。単なる黒歴史は、言い換えればトラウマと言えるかもしれないが、そう言ってしまったらアドラーのいう「劣等/優越コンプレックス」の一種に入るのかもしれない。が、これは生きる上で目の前に立つべき壁として、相応しいとは限らない。僕たちは「好きなこと」の「黒歴史」のみを考えるべきである。僕たちは、「好き」を極めるべきだ。そのために、這い寄る幽霊のような「黒歴史」を受け止めるべきである。


5.「純粋大人」の現前はしない

そもそも、「大人」と呼ばれているものは明確に存在するのだろうか。

「大人」という言葉は「成年」と言い換えてもいいかもしれない。法律的な区分としてである。日本であれば、それは20才以上のことである。しかし、フランスではどうであろうか。アメリカではどうであろうか。ケニアではどうであろうか。国によっては成人が18才の場合もある。決して20才になったからといって「大人」ではないというのが確かなところであろう。「荒れる成人式」ニュースを見て「大人げない」と評価することは容易いことであろう。何がその線引きをするのかといえば、もっと深いところにあるのかもしれない。

例えば、仮に20歳以上で成年であっても、「大人」的行動、例えば仕事をしていないような人として、ニートがいる。このニートという人間は「大人」でありながら、「子ども」でもあると言える。明快な大人性とはなんなんだろうか。「大人」とは、実は確定しにくい概念なのかもしれない。

じゃあ、逆に「子ども」と言われているものは明確に存在するのだろうか。これに対して、ぼくは、「大人」とはうって変わって、けっこう明快に存在するんじゃあないかなあと思っている。
というのも、「子ども」は「まもられる存在」として定義可能なように思えるのだ。それこそ、モラトリアムにいるような連中のことである。そして、大人とちがって子どもは、生まれた瞬間に子どもたりえているのである。赤ん坊が「大人」と明示されることは、とても難しい。というのも、赤ん坊はまだ「成長」していないからである。「子ども」は成熟前段階として語られる。「子ども」とは、そのような純粋無垢ではじめから存在するものであるのに対し、「大人」は後天的に「子ども」を侵食していくものである。だからこそ、純粋なる「大人」は目の前に現れないのではないだろうか。

「真に正しい成長」というのがありえないように、「純粋大人」はありえないように思える。どのような人にも、完全なる成長はありえないだろう。そんな「大人」がいたら、すべてにおいて欠陥のない人ということになる。にもかかわらずわれわれは、「純粋大人」への道を目指してしまっているんじゃあないだろうか。「純粋大人」になるために、「子ども」の記憶を消し去っているんじゃあないだろうか。これはとても重要な視点である。世の大人は、「子ども」でないフリをしているんじゃないだろうか。「大人」であるフリをしているんじゃあないだろうか。大人になることによって「子ども」を「忘却」しようとしているんじゃないだろうか。たしかに、「大人」になっていくにつれて、ぼくたちは「成長」することを指向する。でも同時に、「子ども」であることを一生抱えていく、真なる意味での「宿命」を抱えているのではないだろうか。それは、本当は受け入れなければならない「記憶」なのではないだろうか。

僕たちは、本当に「大人」になれるのだろうか。しっかり納税して、配偶者を持って、子どもを育てていたとしても、それは本当に純粋なる「大人」として現前していられるのだろうか。そこには少なからず「子どもらしさ」が残存するんじゃないだろうか。僕たちは、大人になったとしても、決して「子ども」の観念に襲われることからは避けられない。「理想的な大人」は一義的に表現できない。ならば、通俗的「大人」たちは、「子ども」に並存する権利を与えてやる方がいいのではないだろうか。その方が、「やさしい」社会になる、とぼくは思っている。


6.「子ども」は「まもられる」のか

「子ども」とは何か。このことをもう少ししっかりと考えてみたい。「子ども」とは、前節でも触れたように、生まれた時からその純粋なる子ども性から、「大人」とちがって、明確な定義が可能なのではないか、とぼくは考えた。
そして、どうしてそうぼくが思えるのかといえば、第二に「子ども」には「親」がいる、という絶対的ともいえる定義が存在するからだ。それは、こう言い換えることもできる。「子ども」とは、「まもられている」存在である、と。

世界には、大いなる「やさしい」空間と、「やさしくない」空間がある、とぼくは考えている。そして、たとえば、産婦人科の出産現場には「やさしい」空間が広がっているように思われるのだ。そこには、多少の(出産に失敗するかもしれないとか、母が陣痛に苦しんでしまうかもしれないとかいった)不安があるだろうけど、実際的には、そこには、「まもられている」という事実が存在していて、それこそが「やさしい」空間を生み出している気がする。「やさしさ」とは、安心することと決して同義では無いと思う。不安を払拭することではない。今ぼくが思っている中で、やさしさにいちばん近い言葉は「まもる」という言葉で、それは不安みたいな感情よりも、もっともっと実際的なことなのかもしれない。

ただ、「やさしくない」空間とはなにか、とぼくが聞かれたとしたら、「不安な」空間というかもしれない。「やさしい」の逆説であるならば、「やさしくない」は不安なるものではないのかもしれない。けれど、「やさしくない」空間というのは、なにか、抽象的なる殺害を受け得るような空間だ。そこには不安も多くあるけれど、決して不安であることが必要条件ではない。たとえば、ぼくが「やさしくない」空間といって思い出すのは、自習室である。勉強という一本道に一人で向き合うための空間というのは、ある一面として、自由がいっさい「まもられて」いない。自由が殺害されている。たとえば、カフェでなにかしら人と話をしている時、ぼくたちは会話に集中していて、その集中にあるのは、それ以外の非集中で、それは、非集中の先に実際的な殺害を可能性としてもちうる。ぼくたちは会話の途中に殺人鬼に殺される可能性をかろうじて持っている。ぼくたちは今なお自分の両親が心臓発作で死ぬ可能性をかろうじて知っている。べつに、そのことは問題ではない。何か抽象的なものが殺されているせいで、実際的な何かが殺害されうる気がするようなものを「まもられていない」と言っているのだ。

「子ども」には実家がある。
「子ども」には、実家という「やさしい」空間が、あるんじゃないだろうか。抽象的殺害から「まもられている」場所。もちろん、人によっては実家が「やさしくない」空間かもしれないし、自習室が「やさしい」空間かもしれない。けれど、多くの場合、「子ども」はまもられている。

これが、なにを意味しているのだろうか。
子どもには、「まもられる」ということが、内奥に潜んでいるということだ。「家出」を借りに「大人」になることの一歩であるとするならば、「子ども」は「まもられる」ことから離れることによって、「子ども」をやめる(ふりをする)のかもしれない。僕たちは、なにかしら、抽象的に殺害されている。そんな中で、その殺害から「まもられている」ような空間があると思われるのだ。

かつて、実存主義哲学者ジャン=ポール・サルトルは「我々は自由の刑に処されている」と言った。我々は自由であることから自由になることができない。同様に、我々は成長する刑に処されているのだろう。不自由である方が、人は自由なのかもしれない。「まもられている」ような「やさしい」空間の方が、我々は自由なのかもしれない。子供は、大人よりも成長するスピードが早い。逆説的ではあるが、それだからこそ、成長する刑から自由なのかもしれない。そのような「まもられるやさしい」空間に愛をこめて、そのような空間を、僕たちは保存するべきであろう。そう、第一記憶に根ざしたような習慣で、その「やさしさ」を、空間的に、外部ストレージに置いておくべきだ。


7.「大人」に至る病、老い

かつて、キルケゴールというデンマークの哲学者は『死に至る病』という著作において、絶望を死に至る病になぞらえた。

死が最大の危険であるとき、人は生を希う(ねがう)。彼が更に怖るべき危険を学び知るに至るとき、彼は死を希う。死が希望の対象となる程に危険が増大した場合、絶望とは死にうるという希望さえも失われているそのことである。(セーレン・キルケゴール『死に至る病』、斎藤信治訳、岩波文庫、1939年、32頁。)

彼曰く、究極的な意味での絶望とは、死ぬことすらできない自己の生における死を越えた苦しみ(=死に至る病)のようなものであり、「我々は死を死ななければならない」という苦悩にかられているのだという。

キルケゴールの思考法を引用して「大人に至る病」とでも言えばよいのだろうか、僕の考えでも、このような病は存在するわけである。「大人に至る病」とは、まさしく成長願望であろう。僕たちは成長することを願望のように抱えている。「大人になりたい」という願望を抱えている。けれど、その結果にあるのは「子ども」混じりの「大人」である。「純粋大人」は現前しない。ぼくらはそこに絶望のようなものを感じる。「成長する刑に処されてい」ながら、成長願望の未成就において絶望しうる「大人に至る病」にもかかっている。そんな気がするのだ。そして、おおいにその成長願望にまつわる絶望が生まれるときというのが「老い」なのだろう。
ぼくらは成長すると同時に老いている。このことを考えなおすための哲学が、ぼくには必要な気がしている。ぼくはまだ「子ども」であるし、「老い」の真っ盛りを生きているとはまだ言えない。だから、しっかりと考えるにはまだ時間が必要であるように思っている。だから、これから書く余談は、のちのぼくに思考を任せるためのヒントとして残しておく。

取りあげるのはキケロという古代ローマを生きた哲学者の思考だ。

彼は、『老年について』という記録を残している。彼の記録は対話篇の形をていしている。大カトーと呼ばれる老年の知者と、小スキピオーとラエリウスという二人の若き知識人の間で行われた会話が記されている。小スキピオーとラエリウスは大カトーという老年の知者に「いかにして老年という厄介なものを耐えていけるようになったのか」、その極意を聞き出そうとする。それに対して大カトーは、いくつか世間で言われている老年の困難の数々を取り上げ、それらに反論を加えていくのだ。

大カトーがあげた困難は全部で4つだ。

⑴諸々の活動からの引退を迫られるということ

⑵肉体が衰えること

⑶およそ全ての快楽を奪い去られてしまうということ

⑷死が間近にあること

僕はそれぞれの大カトー(=キケロ)的回答に対して、完全なる納得はしていない。けれど、未来の自分がどう判断するかはわからない。あくまで記録として、それぞれの困難に対する返答を見ていこう。

⑴について、大カトーは引退は迫られないと反論する。というのも、老人には、老人らしい役割としての精神の力があるというのだ。老年には、壮者の持つような腕力は初めから求められない。精神の力において、老年は都市を救うことだってあった、と様々な例を持ち出す。精神の力、つまり歴戦の知恵を用いることで、一人の活力にはできない戦略が生まれ、多くの人に貢献ができる、と考えるのだ。知恵を積むほど、そのような戦略は立てられるようになる。だから、老年になることでどうして引退することになろうか、というのである。

⑵について、大カトーは肉体は老年になっても衰えていると感じない、と主張する。若者の頃にあった体力がまた欲しいとは思わない、と主張する。というのも、確かに衰えてしまう身体能力があるにしても、老年は老年らしいスタイルの身体の使い方がある、というのだ。そもそも、体力の差はそこまで大きくない、と主張する。若者が老年より優れていると言うのなら、身体能力の優劣で、若者の間に優劣があるのか、と大カトーは言う。記憶力は確かに落ちてしまうかもしれない。けれど、そういった記憶力や知力というのは若者の頃からの鍛錬による、と言うのだ。老年らしいスタイルとは、「自慢話を多くする、饒舌、威信」のようなもので、その根底にあるのは知恵がより多くあるという点に尽きるそうだ。確かに老化による欠陥は存在するけど、それに抗するような鍛錬をするべきだ、と大カトーは言う。不品行な青年がいるように、忘れっぽい老年もいる。それは、鍛錬の違いだと説明するのだ。

⑶について、大カトーは「なんと快楽が奪い去られることは良いことか」と、困難自体を肯定する。あらゆる快楽は若者の思考を鈍らせ、理性的な思考、有徳な方向への進行を妨げる、というのだ。老年には、快楽のいうところの快感がない、という。だからこそ、有徳なる道へ進むための天からの賜物を得ている、と考えるのだ。また、快感を失った老年の営みの中でもなお快楽の一つとして機能しているようなものが、「農事」であるという。人々に豊穣を与える豊かな土地との厳かで静かな対話が老年にふさわしいと語られている(現代において、これは農事である必要はないだろう)。

⑷について、大カトーは死を賛美することで、困難自体を肯定する。そもそも死とは年代共通のものであり、若者の死の方がより切ない。老年とは、人生を劇に例えるならば「終幕」に位置するものであり、人よりも劇を先に進められた人である。若者は「長生きしたい」と願っているが、老年はすでに「長生きしている」。老年に何の期待があるのかといえば、それは死への期待である。死ぬことで我々が不死の、魂だけの存在になるか、無になるか、いずれかであろうが、大カトーは前者であることを信じている、と考えるのだそうだ。前者であれば最高であるし、後者であっても生前に死後についてとやかく言われていたようなことを気にする必要さえなくなるから良い、だから前者を信じている、というのだ[7]。

[7]キケロー、大西英文訳『老年について 友情について』、講談社学術文庫、2019年。

いずれの反論も、古代ローマにおいては通用したであろうものである。それを忘れてはならない。そうは言っても、ここでは多くを取り上げなかったが、様々なレトリックに「老年は素晴らしい」と思わせる技術が転がっていた。現代、その特に日本の現状を鑑みると不十分な反論もいくつかあったが、古代人の知恵には学ぶべきものが多くある。僕はこれについて十分な考察ができていない。けれど、根幹に関わる問いとして「成長願望をどう処理するか」が僕には気になるところであり、その処理をキケロは精神の力を用いて、ストア派よろしく鍛錬に依拠したのである。ここには学ぶべき知恵があるだろう。


8.記憶と宿命、やさしさとつよさ、忘れずに成長する


まず、ここまで読んでもらえたことへの感謝を述べたい。

結論を書こう。僕たちはここまでで「記憶」の性質と「宿命」にまつわる意識改革を行なった。第二記憶は忘れてしまいがちなものだ。第一記憶は習慣と行動に根ざしている。「宿命」は飲酒や童貞/処女の卒業などにない。むしろ、「好きなこと」にまつわる「黒歴史」である。「共同体感覚」ではなく、「好きなことの追求」による「やさしくなり方」があった。「やさしくなる」=「子どもを思い出す」には、困難があった。第二記憶は頼りにならない。「やさしさ」のそれなりの重要性から、「子どもは忘れてはならない」とした。そもそも、「純粋大人」は、どう考えてもありえない。「やさしい」空間(=子どもが誕生するような空間)は「まもられる」空間であった。

ここで、最後の補助線を引かせてほしい。

僕たちは「やさしくなる」ことに困難を感じた。ニーチェはこんなことを言っている。

なるほど、知的良心なるものを求めようとすると、繁華な都市にいながら、私は砂漠の寂寥感に襲われるように感じたものだ。誰しもが怪訝そうな眼差しで君を一瞥するだけで、あとはひたすら、自分の秤を使って、これは善でこれは悪などと振り割っている。君が使っている秤の分銅は軽すぎる。ーそう注意したところで、誰ひとり恥じ入るわけでもないし、誰ひとり君に腹を立てるわけでもない。おそらく人びとは、きみの疑い深さをせせら嗤っているのだろう。(ニーチェ、前掲書、二。題は「知的良心」。)

人に「やさしくする」ことの効力は、一般に難しきものがある。このような「知的良心」のあるなしを、この後の文章でニーチェは「高邁な人間と卑俗な人間の判別基準」であると言ったけれど、僕はそのような結論で終わりたくない。「やさしさ」はみんなどこかにあるはずだ。

僕の提案はこうである。僕たちは「やさしくなる」ことに困難を感じた。けれど、「やさしさを感じる」ことに、困難はいかほどあるのだろうか。「子ども」を明快に思い出すことは難しいのかもしれない。でも、「子ども」を感じることは、習慣から、第一記憶から、可能かもしれない。僕たちは、時たま親切な行動をする時がある。老人に席を譲るようなことは、通例、やさしいとされる行動である。けれど、僕らは老人に対して、ある種の暴力をふるっているとも言える。老人に「老人扱いされた」と怒られても、それは仕方がないことと言える。僕たちに必要なのは「やさしくなる」ことよりも、この場合では老人のような人が「相手のやさしさを受け取る」ことの方なのかもしれない。

ここに、「大人が子どもを忘れない」ための二つの指針を設けたい。

第一に、能動的指針である。我々は、第一記憶の、ある特定の「行為と習慣」において「子ども」を感じることはできている。僕たちは、この第一記憶に根ざしたある「行為」を、外部的に保存する必要がある。「実際的忘却」を避けるために、過去ログとして、自身の脳(=運動図式)以外のどこかに、記憶させる必要がある。そのことによって、僕らは「大人」でありながら、「子ども」を感じ直す必要がある。具体的に言ってしまえば、子供の頃からやっているような行動をどこかにメモっておいて、時たま、そのような行動をとるべきであるそのためには、「やさしい」空間(多くの人の場合は実家であろう)を大事にすることがその「メモ」にあたるのかもしれない。抽象的に言うならば、「子どもじみた行動」を意識的に、率先して行うことで「少年の心」を思い出すべきである。

第二に、受動的指針である。我々は、「宿命」の定義を拡張させた。「共同体感覚」に現れ出ているような同調性を避けつつ、忘れ去られている「子ども」を併存させられるような「宿命」の再定義として、「好きなもの」に関する「黒歴史」という表現をしてみた。これを我々の行動レベルにまで落としこんで表現するなら「少年の心を忘れない」ための「受容感覚の訓練」が必要とされる。第一の能動的指針としての行動に並置される形で、ぼくたちは「やさしさを受けとることのできる感覚」を手にとる姿勢が必要になる。

「子ども」らしい行動をして、「少年の心」を発現させる。それと同時に、その「少年の心」を受け入れる感覚を持つ。二つに一つで、ぼくは指針として二つに区分したものの、二つは流動的なつながりをもっている。

子どもは大人になるべきか。大人になるべきであろう。ただ、子どもを忘れずに、であるが。そのために、やさしき子どもの「記憶」と、やさしき社会が子どもを認める「宿命」の設定が、必要になってくる。生きるためには、強くてやさしくなければならない。強くなければ、生きていけない。やさしくなければ、生きる価値はない。

以上をもって、ぼくの議論を終わる。至らない点はあると思う。「やさしさ」と「つよさ」、「子ども」と「大人」を並置させることは難しい。過去に囚われることなく成長し、その上で過去を尊重することであるからだ。考えあぐねたものの、困難は多量にある。ぼくが見落としている問題意識もあるかもしれない。今一度の精査が必要になる。
ただ、そうはいっても、ひとまずの結論がおけたことが嬉しい。哲学とは、生きながら、進みながら、考える営みである。成長しないことは許されない。
読者の皆さんの考える指針になんらかの影響があれば、嬉しい限りである。そして、将来のぼくがこの文章をどう見返すかが楽しみだ。



以上。





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