ディスコミュニケーションへの泣き叫び

べつに泣き叫んではいないし、正直これを書いているような状況でもないような気がするが、忙しいときほど優先順位の低いことをやってみたくなるのが人情ではないか。「人情」という言葉を使いたくて前文は書かれた。今までやりたくなかったことも、さらに優先順位が高いものがやってくることでむしろそっちをやってみたくなる。水は低きに流れる。前文は、克己しないと、人間はより安易で程度の低い方向に進むことを水に喩えた慣用句の誤用を用いたいという動機で書かれた。ならば、より優先順位の高い事項を無限に積むことで、私は上昇していくように様々なタスクをこなしていくができるのだろうか。いいえ、そんな、ばかな。前文はかつてイギリスで首相を務め、「英国病」なるものの治療にあたった人物の、有名な三語からなる発言を私なりに翻訳したものである。たぶん誤訳だ。そんなのは、破綻しかありえない、ネズミ講も真っ青のシステムだ。ちなみにマルチ商法のマルチとは、multi-ではなく、ネズミの鳴き声である「チュー」にちなんで、ネズミ講関連の案件を警察が「マル暴」のようりょうで「マル・チ」と呼んだことに由来する。前言は無論嘘だ。そろそろおもしろくなくなってきた。私はべつに厭世的ではなく、世の中がもっとよくなってほしいと思う。なんて空疎で無責任な言葉だろう。全部が空疎に聞こえてくる。自分の言葉で、というが、自分の吐いている言葉が他人の言葉のつぎはぎであることくらいは知っている。詳細な段取りがあって初めての具体ではないのか。これがゼミなら許されていない。ああ、卒論って憂うつ。こんなときに私を勇気づけてくれるようななにか素敵な、そう、素敵な言葉が必要だ。だれの言葉だったか、そうあれは昔、アメリカで博物館だとかをつくった実業家で、きっと漫画の偉人伝もあったはず。だってエジソンくらい有名だもの。とにかく、それが、言った言葉にこうあった。あれ、安藤百福だったかな。池田市のカップヌードル博物館。容器をさかさまにして、台形状のカップヌードルを入れる。まさに逆転の発想。卵が立てられないのなら、底を叩けばいいじゃない? なんでコロンブスである必要があるのだろう? エジソンの逸話でいいじゃない? ケーキの発言もマリー・アントワネットのものではないのだし。で、なんの話だったか。ああ、そうそう、最近とても充実しているということ。朝は天気が悪いと思ったら、昼には晴れてきて。朝は朝寝坊したのだけど、最近いっつもそう。夜になるまで気分が悪くて、いらいらしている。食事だって摂りたくないしね。それで、でも、昼には晴れてきたから煙草を吸いに行こうと思って、町内を歩いたけど、どこにも吸う場所がない。いや、吸おうと思えばどこでも吸える気がしたけど、決め手に欠ける。いいえ、ここは良心が咎めたことにしておきましょう。自らの良心に従って、ってどこの言葉だっけ? 聖書? まあいいや。書こうと思えばいくらでも書ける。反対に言えば、いつでも終えられる。三百字、四百字で書けといつも言われているが、その倍も意味のない言葉で埋めている。モラルに反している。インターネットだって有限なのだ。そうなの? そうだよ。だから、うちの学校の先生はYouTubeにあげた動画を期限が過ぎたら消しているのだから。ふーん。けんかっ早いんだから。なんの話? いいえ、なんでも。ここで今年か去年あたりに読んだメンタル関連本のレビューをしたいと思います。私がとてつもなくふさぎ込んでしまったのに、ここまでできるようになったのは、まさに本を読み、本に支えられたからであります。そうして二度と門を叩くこともないと思っていた学校にも、足を運べるようになりました。私鉄に乗って。私鉄にはカラーペンでごちゃごちゃに落書きされたカップラーメンを風船みたいなかばんに閉じ込めたものを、家族連れが首からぶら下げている。池田市カップヌードルミュージアム! 台形状の乾麺を上から容器に入れるのではなく、容器を逆さにして麺に被せるという逆転の発想! 私はカップヌードルのエビが好きではないのだけど、このエビこそ日清のこだわりなのだ。中学の時、社会科の授業で見たプロジェクトXで知った。先生はあさま山荘事件とカップヌードルのただならぬ関係について講義した。そうしたことは、なんかおぼえているのよね、と誰かが言う。プロジェクトXのノベライズ(?)版の解説はたしか宇多田ヒカルだったと思う。なにを言っていたかは覚えていない。そういうことは、なんかおぼえていないのよね、とは自分の声だ。プロジェクトX。囁いてみる。恥ずかしくなってやめる。そろそろ終わりにしようか。長いね。記憶のごみだめの淵に立って、私はいつも睡眠薬を飲んで夢をみる。最悪な夢ばかりだが、私は目覚めたくない。いつも朝寝坊する。最近、ずっとそう。あれは誰が言ったのだっけ。たぶん、私が言わないような言葉。そうそう、寝坊助。誰が言ったかはここでは伏せておきましょう。あとは「あほだら経」なんて言葉も使わないな。しかし、いい言葉だなあ。あほだら経。で、何でした? 最近の充実しているってこと。ああ、そうそう。それで朝は曇っていて、気分が良くないし、まあ、夜になったら元気なんだけど、静かだしね、で、気分転換に、晴れていたから、外に出て百円ショップで携帯灰皿を買ったの。で、どこか喫煙できる場所がないかなって。べつに喫煙所じゃなくても、人気のない所ならよかったんです。でも、たしかにどこでも吸える気がしたけど、どこでも吸ってはいけない気がして吸いませんでした。モラルですかねえ。これは誰の言葉でしたっけ。きっと学校でも習うような有名な言葉。暗唱をさせられた記憶もある。そう! 日本国憲法! なのかな。聖書のような気もするけど。とにかく、自らの良心に従ったわけ。聖書は、でも私、習った記憶がないなあ。ギデオン協会の人たちが、中学校の前に待ち構えていて、緑色の小さい聖書を配っていた。「人生でなにか悩んだときに」と言われたけど、あれもメンタル本だったのかな。読もうとして、探した記憶があるけどな。うつのときは呼吸が浅くなるそうです、深呼吸をしましょう、と言われて、マインドフルネスの話ですか? と聞いたことがある。マインドフルネスでも良いのだけど、別の話です。なるほど、深呼吸か。基本かもしれない。泣き叫んではいない、十秒泣いてまただらだらと作業をする。そんなものかもしれない。正直、だらだらとこれを書いている場合ではないのだけど、これがストレス発散になるのなら大いにやるべきだ。心が折れそう。重要でないタスクから消化していくなら、より重要なタスクをどんどん前に置いていくべきだ。いいえ、そんな馬鹿な、なりません! 誰かが叫ぶ。だれの言葉だろう。とても個性的で、漫画の偉人伝にはたぶん載っていないけど、有名な人物の言葉な気がする。軽躁に戻れば私は魅力的な人物に見えるのだろうか。私は魅力的なのだろうか。それが大事じゃないのよ。じゃあ、いったいなんなのさ! この馬鹿げたお祭り騒ぎは! 後ろで電話鳴りまくってんのが聞こえているのよ! いつが定時なんだよ! 助けて! 書いているだけ。本当は自分でどうにかできることを知っている。いや、正確には自分ではないのだけど。自分だけは自分を大事にする。これは誰の言葉? 私を勇気づける、とても、そう素敵で、勇気づける言葉である気がする。


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