眠れない夜の『ゴジラ-1.0』雑感※ネタバレ

ネタバレします。ご了承の上でお読みください(アンチ・アンチ・ネタバレだからこの文章は不本意である)。なお、雑感なので箇条書きにします。



・映画館に入る際、自分の携帯電話が鳴るということをなんとしても避けたかったので、マナーモードにして、電源を切り、さらに有線のイヤホンを差し込んだ。

・はっきり記憶にあるゴジラが初代『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』のみであり、参照点がそこになるが、今回のゴジラの印象は化け物、殺人モンスターだった。確かに先にあげたゴジラも人をたくさん殺しているが、生身の人間を直接踏みつぶす描写はあまりなかったと記憶している。でも、今回はめちゃくちゃ人を踏みつぶす。怖い。

・最初にゴジラが大戸島に上陸するシーン。生身の整備工を踏みつぶす、噛み殺すで、ちょっと後悔した。敷島(神木隆之介)が撃とうとして、吐き気を催すところがあったが、今回のゴジラは本当に怖い。気味が悪い。グロテスク。

・まずゴジラが離島部を襲撃するのは、初代を踏襲している。

・安藤サクラ(澄子役)の演技が私はすごく好きなのだと思う。個人的には、全体を通して演技・台詞が鼻について気になったが、安藤サクラは澄子の心情の機微をかなり丁寧に演じていたと思う。

・典子(浜辺美波)が銀座で事務の仕事を見つけた、と語ったときには、あ、と思わなくてはならない。銀座なんてゴジラが壊さないわけがない。「銀座も復興しているんですよ」。フラグだ。

・ゴジラは本当にたくさん人を殺す。軍艦の船員が映っただけで、嫌な予感でいっぱいになる。

・『シン・ゴジラ』は「米軍はあくまで支援の立場」であるから、日本の自衛隊でまずは対処するという「行政劇」だったが、本作は「東西対立のなか軍事行動によってソ連を刺激しないため」進駐軍の援助を受けられないし、政府としても積極的にゴジラの対策はしないということで、私の好きな「行政劇」路線は完全に閉ざされた。

・ゴジラの銀座襲撃シーンへ。本当に直接、人を踏みつぶす。老人、子供関係ない。電車をぶっ飛ばす。電車が目の前に飛んで来たら怖いだろうな。電車に噛みつく(ここは初代踏襲かな)。振り落とされまいと浜辺美波が懸垂のち落下。水面に落ちてもかなり重症だと思うけど。ラジオ局の人を落っことす(これは完全に初代の踏襲)。砲弾を浴びて一瞬ゴジラが沈黙したのに、安心したのか、当惑したのか振り向いて足を止める人々には、「いいから一心不乱に逃げろ!」と思った。ゴジラが熱線を吐く直前、呆然とそれを眺めていた老紳士が印象的。そのあと、爆風が来るから逃げても助からなかったかもしれないけど。

・とはいえ、ゴジラはグロテスクだが、それ以外はそうでもない。踏みつぶされたら、人はそのまま消えてしまう。ゲームみたいだ。銀座襲撃の際は、遺体は映っていない。大戸島の際は、遺体が原形は留めている。そういう生々しさはない。

・そして都市蹂躙がいちばん怖いパートであって、そこからは安心してよい。怪獣退治パートに入るからだ。本作は「行政劇」じゃないが、寄せ集め集団が単に武力ではなく、どちらかと言えば地味な作戦で討伐する方法をとる点が、意外と『シン・ゴジラ』とも似ている。どっちもプロジェクトXのような泥臭さがある。

・『シン・ゴジラ』と似ているのは作戦に名前がついていること、作戦の遂行を示す数値の読み上げが印象的であること。あるいは、初代なら海で討伐するところか。

・初代は一人の人物が殉職し、シンは死ぬ覚悟を求められ、本作は全員生きて帰ることがぶちあげられる。それぞれの違いは、それぞれのテーマを考える上で興味深い。

・相模湾上陸時、さっそく船がぶっ飛ばされ、農村の住民も何人か踏みつぶされていた。まだ死ぬの。

・「特攻賛美」にならないような目配りは感じつつ、この釈然としない感じはなんだろう。戦時のトラウマや国民に対する国家の無責任さにフォーカスを当てた点は理解できるが、やっぱりゴジラは戦争ではない。敷島の戦争は終わったが、日本の戦争はまだ終わって(もちろん、それは単に終戦したという意味ではない)いないはずだ。そうした類のもやもやだ。

・ゴジラ復活の予兆もシンっぽいが、これが高度経済成長期に再び登場する初代『ゴジラ』ということだろう。

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