掌編小説「リラックスジャスミン」

 パッケージが紙製のサイコロになっている以外は、明治のクリームキャラメルである。十八年前だったなら、サイコロキャラメルはどこででも買えた。たとえば、鮮魚売り場に生簀のあったスーパーには必ず置いてあった。幼い私はサイコロ欲しさに買ってもらい、飽きたら捨てて、また買ってもらった。双六も持っていなかった。どうやって遊んでいたのかは、今となってはおぼえていない。
 十八年前、私は小児ぜんそくを患って、県内の公立病院に入院した。その頃の私は、相当偏食で、病院の料理をほとんど口にしなかった。食べられるのは昼食後のおやつくらいで、それでもバナナは食べなかったし、蒸しパンも干し葡萄をぜんぶほじくり出してから食べていた。病院食はたいてい付き添いの母が食べた。
 結局、私は売店で食べられるものを買ってもらっていた。病院には、売店と食堂と床屋があり、食堂の手前が売店だった。売店にはお菓子、カップ麺、アイスクリーム、弁当、パン、雑誌、新聞、ちゃちな玩具が置いてあり、レジは手打ち、その奥には食堂がみえて、紅白のチェックのクロスを敷いたテーブルにお冷、券売機に並ぶ病院の職員、患者とその家族、うどんを啜る医者を観察することができた。私は、売店で赤と白のサイコロキャラメルを一緒に買ってもらい、病室に帰って、テレビで「トムとジェリー」をみていた。
 それから十八年後の私は、大阪府内の病院の閉鎖病棟にいる。十五時から十五時半までの間、病棟を出ることを許されて、地下のセブンイレブンで毎日アイスクリームを買い、院内の庭園で食べている。サイコロキャラメルは売っていない。コンビニは退屈だった。たくさん置いてある自社製品にはなにも魅力がなかった。みたいテレビもなかったから、病室では見なかった。
 今日の私は伊藤園のリラックスジャスミンティーだけ買って、庭園に出た。橋のある小川の方まで歩いて、〈はなやぐ香り 花1.5倍〉とラベルに書かれた飲み物を口に含む。お茶は思ったより苦く、私は少し笑ってしまう。橋の陰から鯉が現れたが、鯉はすぐに引き返していった。

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