掌編小説「青色の部屋着」

 不意の事故にあって、妻が死に、葬儀が済んだあとのある朝のことである。聞いたことのない家具店から男が二人、クローゼットを担いでやってきて、居間に無理やり置いていってしまった。そんなものは必要ありません、持って帰ってください、と何回も抗議したが、男たちは、クローゼットを無事に設置する以外は仕事ではないのだ、とは言わないものの、ただテキパキと黙って作業をしていた。彼らのあいだで交わされる短い合図を除いて。
 手際のよい男たちの作業を見守りながら、ぼくはこれが押し売りの場合、つまり、実際に押し入られ、商品も無理やり置いていかれたうえに、その代金を請求された場合、どう処理したら良いのか考えた。警察……では何もしてくれないから、消費者センターに通報(いや、相談……とりあえず連絡)するべきだろう。しかし、男たちは本当にクローゼットを運び、置いていく以外は仕事ではなかったのかのように帰っていた。もしかしたら、生前の妻が、(なぜかはわからないが)ぼくに秘密で買ったものが届いただけかもしれない。クローゼットは、木と接着剤のよそよそしい、新品の匂いを発していて、ぼくは、他人の家のそれのような気持ちがして、開けることができなかった。だが、反対にクローゼットの方は勝手に開き、中から死んだ妻が歩いて現れた。
 妻は水色の起毛のある部屋着を着ていて、それは事故の日と同じ服装だった。ウイコさんですよね、とぼくは自分でもおかしい程、裏返った声で尋ねる。「ええ、おひさしぶりです」と妻はダイニングテーブルから四枚切りの食パンを探し出すと、オーブントースターの網目の上に載せて焼きはじめた。「蜂蜜がありませんね」
 それは今度、ぼくが買ってきますから……と普通の会話をしているのがおかしかった。あまりにも妻に、死者としての遠慮、たとえば、タクシーに乗り込んで来ても、口数は少ないだとか、身体が青白い月夜の光に透過しているうえに、足がないとか(反対に血色の悪い足だけがあるとか)、そういった幽霊らしさが彼女にはなく、生きている者と同じように振る舞っていた。もちろん、死んだからといって、生きているようにしてはいけないわけではないが、でも、とぼくは決意をして聞くことにした。でも、ウイコさんは、その、もういないではないですか、言葉を選んでしまいますが、あなたの遺骨もありますし。
 しかし、妻は、そんなことは当たり前じゃないですか、と冷蔵庫の方に向かって言い、チョコレートソースのチューブを手に取って、だって死んでいるのですから、と言い切った。本人がそういうのであれば、納得するほかない。彼女はトーストが焼けるまで立ったまま、ポリエステルでできた紺色のスウェットに付いている赤い糸くずを払ったり、史実にはないがマリー・アントワネットのものとされている失言を唐突に呟いてみたりしながら、久しぶりに新しい空気を吸った嬉しさに歌い出すかのように、〽ばらは、ばらは、と小さく唱え始めた。トーストが焼け、格子の目のようにチョコがかけられて、それを妻がかじる。彼女が、朝食はもう済ませたかと聞いたり、喪主であったぼくの苦労をねぎらったりしているうちに正午が過ぎた。昼食を食べる気がぼくにはしなかったが、彼女の方も特に食べたがらなかった。沈黙の気まずさを、テレビをつけることで誤魔化しているうちに、夜が来て、ぼくはようやく、何か食べたいものはありませんか、と彼女に切り出した。
「一人で済ませるつもりだったので、たいしたものはありませんが……なんていうのかな、現世(という言葉はおかしかったらしく、彼女は噴き出し、そのあとも微笑を含めながらぼくの話を聞いた)に久しぶりに帰ってきたのだから、何か食べたいと思うものもあるはずでしょう。この時間なら、スーパーも開いていますし、配達もおそい時間までやっています。お祝いというのもへんですけど、なんでもお好きなものを、いくつでも。まさか、こうなるとは思わなかったからな。お供えももっと工夫すればよかったですね……」
 妻はじゅうぶんにぼくの話を聞き、ゆっくり何か考える時間をつくって、次のように返した。
「そうですか。食べたいものですね。実は(と少し笑って)あの世へはお供えの品は一切届いていなくて。ごめんなさい。いろいろお気遣いいただいたみたいだけど。あの世……やっぱりへんな言葉です。だって、こことはほとんど変わらないところですから。ただ違うのは、寝ているのか、起きているのか、睡眠薬を飲んだのに、夜通し考え事をしているせいで、浅くなってしまった眠りの延長を生きているような世界。いや、死んでいるわけですが。まあ、そんなところです。食べたいものの話ですね。あっちは、何を食べても、そうです、水面が黒曜石のように光る真っ黒いコーヒーを啜っても、完璧にケチャップで和えられた、橙色のチキンライスの味見をしてみても、淡い桃の味しかしなくて閉口してしまいます。ヨシさんは、桃の水を飲んだことがありますか? 見た目は無色透明の水なのに、桃の味がするあの不思議な飲み物です。どの食べ物も桃の水の味しかしないのです。だから、濃い味のものが食べたいですね。にんにくとかきいていると申し分なし。たとえば、中華とか」
 中華ですね、とぼくは言って、最寄りのなるべく高い中華料理店から、たくさんの料理を持ってこさせた。肉餃子、海老焼売、油淋鶏、蟹チャーハン、味蕾が麻痺するほど山椒のきいた麻婆豆腐、五目春巻、よだれ鶏(ぼくはこの名前が嫌いだった)、それとエビチリに、くらげの前菜、妻がデザートに桃饅頭が食べたいと言ったので、桃はもう飽きたのじゃないかと思ったが、桃饅頭に桃は入っていないのだった。ぼくたちは異様な健啖さでそれらを腹に入れた。おいしい、とどっちかが言った以来、口をきかなかったと思う。
 すべて食べつくし、眠くなったとき、彼女は薄目になって、あくびをした。口内に一切の食物が残っていないことを、レフェリーに示す大食い選手のようだった。ただ眠いのか、何か考えているのかわからない沈黙の時間ののち、彼女は、寝ます、また明日、と言って、クローゼットを閉じて帰っていった。その自然な所作にぼくはむしろ違和感をおぼえつつ、これから死者と生きる決意を、満腹になったせいで鈍くなった脳の中で固めなければならないと思った。しかし、決意は土粘土のようにクタクタと水っぽくなり、捏ねれば捏ねるほどまとまらなかった。

 朝、洗面台で妻は歯を磨いていた。見るたびに、あえて捨てる気にならなかった歯ブラシを使っていた。取っ手の付きのプラスチック製コップで口をゆすいで、肩にかけた黄色のやわらかいタオルで顔を拭い、いきなり、きょうは、私の物を向こうに持って行きます、と言った。まだ、遺品の整理とかできいないでしょうから。ぼくは、了解とも感謝ともわからないような返事をするしかなかった。
「向こうでは、所有という概念がない、と言うと正確ではないのですけれど」と妻はコーヒーのかすかに波立つ表面を見つめながら説明しだした。「すべての物は、だれの物でもない。単に公共物とかいう意味ではなくて、人と物が独立しているのです。それは物が使えないわけでもなくて、その都度、人間と物の間に契約関係が生じているわけです。だけど、所有関係だけは結べないようになっていて、どれほど気に入っているものを持って行っても、たとえば、ローズピンクのデニムのジャケットであっても、金環の中に雫を模した紺色のチャームとまがい物のダイヤモンドをぶら下げたイヤリングであっても、向こうではさして親しいわけではない知人のように接することから始めないといけません。その場、その場で関係が結ばれ、切られ、すれ違ったら挨拶くらいはして、ほかの人と付き合っているのを見ても嫉妬しないで、もう二度と出会えないわけではないと思うけど、また会える保障は何ひとつないような関係」そう言って、彼女はコーヒーを口にした。つられてぼくも飲んだが、ぬるくなりかけていた。何と返せば良いのかわからなかった。
 その日、妻はピンクのデニムやアクセサリーを運んだ。ぼくは仕事帰りに、蜂蜜のチューブと食パン一斤、昼食用のカップラーメン数種類、鯖の切り身、豚ロース、豆腐とキャベツの千切り(既にカットされたものが袋詰めされていて、紫キャベツも混ざっている)を買い、夕食に塩鯖、豆腐とキャベツのサラダ、わかめの味噌汁を食べた。翌日、妻は黒色の書き心地の良いボールペンなどの文具、桜色の便箋、青地に白の水玉模様の封筒、倉敷で買った椿の絵葉書、サイロのようなレンガの建物やかわいい少年のイラストが描かれたどこかの国との国交何周年かを記念した切手のシートなどなどを運び、ぼくは豚ロースで生姜焼きと油揚げの味噌汁を作った。その翌日は、朝から妻が「菫の砂糖漬けが食べたい」と言ったので、ぼくは百貨店に寄って探したが、見つからなかった。結局、玉ねぎ、レモン、トマト、モッツァレラチーズ、鯛やマグロ、サーモンの刺身の盛り合わせを買って、オリーヴ油でカルパッチョにして食べた。妻は外国の小説や詩集を何冊も運んでいた。そのような日々が続き、妻は毎朝歯を磨き、物を運び、食事をして、夜にはクローゼットへと帰っていった。
 同じように妻が帰ったある日、ぼくはクローゼットの中を見たくなった。中はどうなっているのだろう? 特に妻に禁じられているわけではないが、向こうの世界にある人と物との黙契のように、それは言わずとも見るべきではないのかもしれない。けれど、というか、だからこそ、どうなってしまうのか? 考えずにはいられない。
 四谷怪談のお岩の仏壇のようにひっくり返って彼女の世界に連れていかれるのではないか? あるいは、クローゼットの中で、彼女の骸骨が、ところどころに無残な血肉をへばりつけて、腐敗のためにあぶくを立てているのではないか? それとも、濃いどろどろしたワインよりも赤黒い血液が、壊れた排水管の水のように、戸を閉めても溢れてきて、足を浸してしまったうえに、染め物のようにいくら洗っても落ちなくなってしまうのではないか? いや、中は実際に虚無と言うしかない空洞になっていて、そこに入り込んだら最後、大英博物館のミイラのように腕を組んで脚を伸ばし続けるか、壺に入れられて埋葬された古代人のようにかがみ続けるかして、永久を生きなければならないのではないか?……なぜ、毎日、彼女に会っているのに、クローゼットを開ける必要があるのだろう? という自問が、我ながら白々しいほど、そこには、家具の裏よりも薄暗く湿った好奇心があった。けれど、ぼくはクローゼットを開けなかった。良心のためではない。

 休日に、義両親が訪ねてきた。ぼくは、ありふれたドラマが間男をそのように隠すように(と書いておきながら具体的なドラマの名前は一つも挙げられないのだが)クローゼットに妻を隠した。ヨシキくん、突然申し訳ないね、ウイコの遺骨に手を合わせたくなって、と義父は申し訳ないというより、困った表情で言って、和菓子の詰め合わせをおずおず突き出した。義母は黙っている。
 二人は妻の仏壇に手を合わせ、菓子をいくつか供えた。ぼくがコーヒーを用意して、ぼくらはダイニングテーブルで和菓子の袋を剥きながら、ぽつぽつ話し始めた。いや、話していたのは義父だけで、義母はずっと黙っていた。
 小豆の薄紫色が透けている寒天でできた結晶質のお菓子を齧りながら、義父が本日何回目かの、今日は本当に申し訳ないね、を発したとき、「実は」と義母が口を開いた。「ヨシキくんは怒るかもしれないけど、本当のことなんです。本当に。近頃、夜になるとウイコが私たちのところに現れるようになったのです。寝るために布団を出すと、空になった押し入れから、あの子が出てくるの。私たちの枕元に立つとか、夢に出てきて死んだ者だけが知っている秘密や予言を伝えるわけではなく、幽霊じゃないように、ちゃんと実体をもっているみたいに。膝に掛ける毛布をもって押し入れから出てきて、ただ、当たり前に、毛布を枕にしてソファに寝転び、テレビをつけて見ているだけ。コマーシャルの時間になると、戸棚から紅茶の箱やお茶漬けの素を探して、お湯ある? と聞いてくるのです。最後は、歯を磨いて押し入れへと帰っていきます。ちゃんと。毎晩。しかも、ウイコは事故のときと同じ水色のパジャマだから、私たちは痛ましいような気がして、あの子のためにいろいろ用意してあげるんです。ごめんなさい、ヨシキくんには関係ないことで。でも、ときどき天国の話もしてくれて、私たちには何もわからないのだけどね、この世とそっくりではあるのだけど、すべての習慣や制度のニュアンスが異なる、なんて言っていました。それで、こんな馬鹿話を信じては貰えないだろうけど、せめてもう一度、ウイコのお骨にちゃんと手を合わせた方が良いんじゃないかと、この人と話して。ごめんなさい。怒らないでください」
 そういえば妻は、夜に歯を磨いていないことにぼくは気がついた。彼女の実家の歯ブラシはどうしたのだろう? と考えていると、ダイニングの扉が開いて、室内の気流にわずかな変化が生じた。三人はそれに気づいて、扉の方を見ると、そこに妻がいた。「つまり、そういうことなのです」と謎解きの全容を言い渡したかのように、彼女は呟いたが、どういうことかは彼女にしかわからなかったに違いない。

 その日をさかいに、彼女はクローゼットから出てこなくなった。義両親を含めて、食事をしようと提案したが、妻が辞退して、クローゼットに引きこもってしまった。声をかけたら、最初のうちは返してくれたが、その言葉もしだいに意味をなさないようになって、何も言わなくなった。
 それからぼくは、風邪をひき、冬が終わって、春が来て、クローゼットを開けてみた。中にはクローゼットの取扱説明書があり、それを仔細に読んだが、ありふれた説明書だった。少しクローゼットを使うこともあったが、もともと家に備えつけられたクローゼットもあって、持て余し、売りに出すことにした。二人の男がやってきて、ただも同然の値段で引き取っていった。もう少し高くなりませんか、と言うと、いやあ、傷もありますから、と言って、「ここと、ここと、あとそっちにも」とてきぱきクローゼットを見渡して指差した。妻の骨は、彼女の実家の墓に埋葬され、義両親とも自然と疎遠になった。そのあとのぼくは、妻のいない人生を暮らした。転勤のために引越しを繰り返しながら、妻の遺品も処分して、灰色の手垢まみれで、ぼろぼろになった説明書も最後には捨ててしまった。

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