独言、ではなく

Twitterでもnoteでもそうなのだけど、結局なんやかんやと書いているのは、だれかとおしゃべりしたいけど、話し相手がいないから仕方なく、ここに書き込んでいるからで、これが人間相手なら迷惑な話だが、さいわいTwitterやnoteは人間ではないので、ネットのモラルに反しない限りは、好きに書いても怒られないのだった。そう言えば、大学の教職の授業(公民)で模擬授業をやるのだけど、学生はそろいもそろって「ネットリテラシー」を題材にするから退屈で仕方がなかったし、いまだに思い出してもなんだったんだよ、あれ、と思い、このあいだ、飲みに行ったとき、同じく講義を取っていた子に話したら「みんな高校で倫理・政経をやっていたわけじゃないんだよ」と解説され、ふーん、そんなものか、とそのときは思ったものの、中学のときに公民やっただろ、と今書いていて思うのであった(思う、ってたくさん言っているな)。私としては手抜き説を採用したく、というのもネットリテラシーなんて、お題目のように言われてきた世代だし、なんかあえて勉強するほどのものでもないというか、資料も総務省のものなりにアクセスすれば良いのだから、お手軽なのだ。いや、要領が良いのか。彼らは。とはいえ、私とて、ネットリテラシーを題材にするなと言いたいわけではなく、工夫しようによっては面白くなるはず。方法は知らない。やれと言われたら頑張る。あえてやりたいと思わない。それにこの講義には現役教員に加えて、西洋史の教授が模擬授業を見学に来ていて、結構評価がからいのである。たしか、その現役教員が教え子だったんじゃないかしら。教員のコメントのコメントもあった。理想的な言論空間。怖かったなあ。ゼミより数百倍ましだけど。けど、まあ、どうなんだろう。こんな自分の身の回りにあったことをネットに書いている時点でないかもしれない。リテラシー。

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