私にもできそうだし

 蛭子能収の漫画を初めて読んだ。テレビで言われているような、「クズ」的イメージから、漫画も手を抜いて書いていた……と思っていたし、私の周囲の人間のイメージもそんな感じだった。ダ・ヴィンチWebでデビュー作「パチンコ」が読めるのだけど、それを読めば手を抜いているなんて、とても言えない。これを読んでも言えると言うのなら、そうですか、分かり合えませんね、と呟きつつ、そいつに強烈な敵意を向ける。

 短歌を始めた動機(というか後押し?)に「自分でもできそうだったから」というのがある。し、それで大成した人もいるだろう。そう思えば、絵や漫画はとてもじゃないけど、「自分でもできそう」とはならなかったな。短歌はたぶんそう思った。し、最初の方はできた(ように思えた)。ビギナーズラックがあるのが怖い。「できそう」が先にあり、そのあとの評価を欲しがるという心性は醜い気がするが、発生の起源を問うても仕方がないし、「できそう」から一線超えてしまった以上、そんな心性もってられないから、現状をどうするかが問題だ。もちろん、それは私の都合だから、その責めを受けるつもりですが、べつにあえて責めるほど価値のある人間でもないしねえ。
 ちいかわのパクリ漫画が一時期話題になったとき、様々な意味で「片腹痛い」思いをした。作者はちいかわのようなものなら自分でもできそう、と考えたのだろうと推測したからだ。ちいかわを書くことはそんな生ぬるいことではないとその人は気づけなかったんだろうね。あいててて。それで、あわよくば。いてて。売れたらね。いて。良いもんね。つっ。この「痛い」は可笑しくて「お腹が痛い」意味でもあるし、自分にも心当たりがある気がして、心が痛いという意味でもある。あー、いてててて。
 でもさあ、あれに執拗に絡んでいた連中ってはっきり言って気持ち悪くない? 流行り(?)に乗じて、そんなものにしつっこくちょっかいかけるくらいなんだから、とてもその作者より高級な精神や高い知性を持っていると思えない。高いレベルの人は見向きもしないし、低くても恥の感覚が多少あれば絡まない。当該作者が利益を得ていたのならば、許される範囲で揶揄すれば良いけど、生ぬるい作品と相応に評価されなかったのだから、それでもう十分過ぎる批評だろう。


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