掌編・私小説集

Wordファイルに眠ったままの、たぶん書きかけなんだけど、これで完結でよさそうなものをいくつか掲載します。探したら、5000字程度のものもいくつかあり、これらは別対応でいこうと思います。


あのあのさん

 私の人生の四六時中は、あのあのさんとともにあった。あのあのさんは、私が生まれたときから傍にいる。それは、うかうかしているうちに縁が切れなくなった架空の友達であるとか、なにか因縁があって付きまとって来る霊魂だとかではなく、ちゃんと実体の伴ったものである。ただ、私の幼少期や思春期を知る人たちは、あのあのさんを祖父母やおじおば、はたまた兄や姉、乳母あるいは家庭教師だとかそういったものだと認識していたというし、あのあのさんが私にとっての何なのかと問われても私自身「あの、あの……」としか言いようがなかったので、あのあのさんは、あのあのさんととよばれるに至る。
 あのあのさんは、遊びに行くときもついてきたが、べつに保護や監視、支援の役割を負うわけではなかった。目的地では、気配を消してどこかに座っているだけだったので、友達はあのあのさんのことを気にしない。帰るときは、毒ガスのようにいつのまにか背後に回ってくるが、それだけのことであり、私も特に気にしなかった。ただ、さすがにあのあのさんも遠慮に思って、友達の家にあがることはなかったが。
 あのあのさんについて知っていることは少ない。あのあのさんは、窓際のスペースの仏壇だが神棚だかわからないものに毎朝手をあわせる。それは、階段を上る途中にあって、踏み幅が直角三角形になっている段を足場にした。そこには、日本酒の瓶一本と千鳥屋宗家の詰め合わせのお菓子が一種類ずつ供えられている。ほかは、出雲大社のお守りだの、パックの鏡餅だの、死んだハムスターの写真だの、捨てるにはさみしいが、あってもなくてもいいものが一緒になっている。
 あとは、大学の図書館に行くと、あのあのさんは入り口にある新聞の閲覧コーナーへ離脱する。そこで、必ず読み比べをした。それだけは欠かさずやるので、用事が済んでもあのあのさんを待たなくてはならない。その割に、投票に行っても票は入れないし、政治の話を聴いたことがない。というか、まともに話をしたことがない。
 私がランチの誘いを切り出したとき、あのあのさんは、目をぐるぐる回し、敬語を混ぜ、回りくどい言い訳をしたかと思ったら承諾した。それで私たちはサイゼリヤへ行き、ピザ二枚を注文して、分け合った。あのあのさんは、ピザからオリーヴをよけ、紙のナフキンに畳んでいた。
 そのような好機はあったのだが、私は結局あのあのさんと打ち解けることはなかった。あのあのさんは、再び毒ガスのように私の周囲に取り憑いている。私があのあのさんについて知ってることは、オリーヴが嫌いだということだけだった。

(2022.02.27)

 あれは蛾? と椿が言うと、目を凝らしてからコトコは「蛾だね」と断じた。灰色の蛾が壁にくっついているが、椿もコトコも何かしようというわけでもなく、特に椿の方は虫を嫌悪しているために、何もできないので、ただボウルに盛られたぬるい素麺を啜っている。彼は蛾を凝視しながら、口へ麺を押し込み、たまにコトコに目くばせして、蛾だよ、と言う。コトコはだるそうに壁を一瞥して、蛾だね、とまた言う。椿はもどかしくなって、どうしよう、などと口にするが、内心はコトコに退治してもらおうとしている。コトコもそれを知ってわざと「蛾くらい家に入ってくるし、何もしなければべつに動かないよ」と言った。いらいらして、椿は仕方なしに素麺を啜った。つゆが彼の寝間着に跳ねる。ティッシュを取ろうとして、椿は彼女の視線に気づいた。コトコは薄笑いを浮かべていた。違うよ、できるわけないよ、そんなのコトだって知っているじゃん。なにさ、虫が平気なくらいで。うろたえて、手を引くと、コトコが一枚とって鼻をかみ、そのティッシュで壁の蛾を潰す。うわ、と軽蔑をまじえた声で椿が短く叫ぶ。
 コトコは椿の方を見返し、ここはあんたの家じゃないから、と言った。

(2023.06.30)

 祖父の遺影は窓際の小さいスペースに置かれている。それは階段の途中の脇にある。仏壇なんてものはなく、日本酒の瓶が一本と千鳥屋宗家の詰め合わせのお菓子が一種類ずつ備えられている。そのほかは、お土産の小さいシーサーの置物だの、出雲大社のお守りだの、パックの鏡餅だの、死んだハムスターの写真だの、捨てるにはさみしいが、あってもなくてもいいものが一緒になっている。これに対しては小児医院のインテリアを思う人も、今までいたことだろう。言わなかっただけだ。
 母は、これに毎朝手をあわせる。そしてかならず念仏(題目かもしれない)を大きな声で三回。ささやくようにさらに三回唱え、手を擦り合わせる。特に最初の三回の南無云々は、「南」のところに正しくアクセントを置くし、最後に語尾を伸ばし切ることを怠らない。
 大学生になっても私は、その独特な節の不気味さと、おそらくその筋では正統な様式の、正統がゆえの傍若無人さだけには何がなんでも馴染めなかった。したがって、遺影と対峙することなんてほとんどしなかった。千鳥屋の大納言清澄を欲したときは、黙って手を合わせるだけだった。
 供物の減りに気づいた場合、彼女は「おじいちゃんに、おじいちゃん、もらいますよ、って言ったんか」と尋ねる。そのとき、千枚通しをみぞおちに刺された気分になるのだが、それはどうしても死者に対する良心ではなかった。

(2022.02.24)

しかも日没の立体駐車場

「右折するからウィンカー出して」
 助手席で深田が言った。ウィンカーの意味くらいなら、もちろんカイロにもわかったが、出し方なぞわかるはずもない。彼は車の免許を持っていないからだ。ウィンカーだよ、右折の、と深田がまごつく彼に繰り返す。勘で答えるしかない問題のようだ。こわい教官だな、と後部座席で森谷が冷やかしている。ハンドルにがちゃがちゃついているボタンにカイロは検討をつけたが、ボタンは使わないらしい。「ハンドル右のツノを上にあげて」。わけのわからないことを言うやつだとカイロは思ったが、ハンドルの後あたりに小さなハンドルのようなものがあるのを見つける。上が右折で、下が左折なのか。
「次はハザードランプを出して」
 カイロはこのときブレーキやアクセル、ハンドル以外にも動かせるもの(サイドブレーキなどだが)があることに気づき、思わず「え、これマニュアル? オートマじゃないの?」などと口走った。オートマ車である。また、森谷が後ろから「これは助手席に座っている人でも、押してほしいと頼まれることあるなあ」と言うから、カイロは、ペーパードライバー風情が、と悪態をつきたくなるのを我慢しつつ、どうやらボタンで操作するらしいと理解する。それは、座席の前の中央部分にある赤い三角印の大きなボタンだった。助手席に何度も乗ったことはあったが、押すよう頼まれたことは、たぶん一度もなかった、と彼は回想する。生来、鈍くさいから、そのような単純なことさえ頼むのも、他人からしたら危なっかしく感じられたのかもしれない。
 彼らは、日没のショッピングモールの立体駐車場で、エンジンを切ったままカイロを運転席に座らせて、軽く戯れていた。遊びにも飽きてきた頃あいに、カイロは不用意にもハンドルを動かし、ハンドルロックがかかってしまった。深田はロックの解除の仕方が思い出せず、やや手こずっていた。「何もハンドルを動かせとまでは言っていない」。カイロとしては、ハンドルの持ち方が十時十分の方向であるということを披露したかっただけなのだが。ショッピングモールを出て、郊外の立体交差の多い複雑なルートを深田が運転しながら、カイロは、こんなの、自分なら絶対に無理だね、と呟いた。深田は「運転向いてなさそう」と不適格通知をごく簡単に言い渡した。

(2023.05.04)

東京

 やる気は見せるものであって、出すものではない。当座は。
 と、思い、電車から中央線御茶ノ水駅のホームへと一歩踏み出したところ、黒岩カイロの脚はホームと列車の間にある異様に大きな隙間へ落ち込みそうになった。なるほど《足元に注意》という注意書きがホームのすべての柱に貼ってあることを、カイロは列車が止まるまでに窓から確認していたから、落ちかけて躓きそうになりながらホームに着地したとき、彼は「おお」と小さく声を出し、はにかみながら周囲の人間を見渡して、自分の不注意を若干恥じる素振りを見せた。けれど、張り紙は実際のところ、ホームの中央を縦断する段差に注意を向けているのであって、列車とホームのあの広い隙間にはなにも、だれも触れないから、カイロは不審に感じた。いや、本当は降りる前に聞いていなかっただけで、車内で注意の放送があったのかもしれない、と彼の耳には、《列車とホームの間がたいへん広くなっております。お降りの際はじゅうぶん注意してください》という男性の声が思い返されていたが、いやいや、それは大阪の鉄道で聞いたものだ、と思い直した。だいたい、大阪でこんなに間の空いたホームは見たことがない。
 御茶ノ水駅は改装工事をしているようで、とてもじゃないが人間がまともに生きて歩けるような幅ではない、とカイロは訝った。もちろん、二本の点字ブロックに挟まれた人ひとりしか通れないホームという、なにかの法律に抵触しているに違いない阪急中津駅ほど酷くはない。でも、ここは学生街で、オフィス街だ。朝のラッシュなんてどうしているのだろう、と彼はもう一度訝る。カイロは御茶ノ水の職場で働く知人と会う約束をしてあった。代々木にある企業のオープンカンパニーだか、仕事体験だか、会社説明会だかのために上京したついでだった。
 ホームでは工事と雑踏、なにより電車の音が彼の鼓膜を激烈に叩き、そのたびに地面が揺れたように感じられる。今日の説明会の途中、地面が少し揺れることがあって、担当者が「地震ですか?」と尋ねた場面があった。一拍あけて若い社員が、隣で工事をしているみたいです、と言うのであったが……。カイロは春に関東大震災百周年関連シンポジウムの見学に行っており、そのとき基調講演だかで、さる地震学者が東京23区の災害への脆弱性を指摘し、関東大震災の記憶は風化し、教訓は軽んじられ、無秩序な再開発が進められていると力説していたことを、他人事のように聞いていた。大阪も例外でないだろうに。ところが、いざ就職活動をはじめて、いよいよ関東圏も視野に、となると彼はその学者の力の入り具合を思い出して不安になるのだ。圧死はいやだ。焼死はいやだ。死にたくない。昔、明石家さんまが「焼死だけはいやだ」と語っていたのをカイロはテレビで見たことがあった。もし焼け死んだら新聞の見出しが《さんま、焼ける》になるからだそうだ。はー。ふざけんな、死ぬのは怖いだろ!
 待ち合わせにはまだ時間があるから、彼はドトールでもタリーズでもいいから、時間の潰せそうなカフェに入る気でいた。カフェは時間を潰せる場所を借りるところくらいに考えていたから、いつもなるべく安く済ませるようにカイロはしている。スターバックスでブレンドコーヒーだけ注文したとき、「もしかして安いからそれにしてる?」と連れの男が心底軽蔑したように、ダークモカチップフラペチーノのクリームを唇につけて尋ねたことがあって、彼は不快になった。なにゆえ、カフェで駄弁るためにでケチっただけのことで責められるのか。カイロは腹を立てた。しかも彼はコーヒーの味がわからない。紅茶もわからない。大きいペットボトルのコーヒーをスーパーで買って、胃にがぶがぶ入れながら、毎夜作業している人間だ。わからないのなら、なるべくお金を出さないようにするのが筋じゃないか。「ぼったくってると思って、ケチってんでしょ?」クリームが鼻についている。男がハンカチで拭う。なんだこいつ。どこかでぼったくったり、ふんだくったりしないでこんな巨大企業が成り立つとでも思っているのか。社会人もしているくせに。「フードも結構手ごろなんだよ」となどと最初に嘯いて誘ったのはこのスタバ・ホリックであって、カイロは心底心外だった。フードも高いじゃねえか。ちょっと軽食、にしてはどれも重い。べつに気前がいいわけでもないし。なにがケチだよ、とエスカレーターをのぼりきるとホームとは違って「垢ぬけた」感じのコンコースになっていた。カイロは少し感動し、こっち側でいいのかと恐る恐る改札を出ると、二階建てで横に広い丸善が見えた。カイロは書店で待つことにした。本屋なら自分の欲しい本を探せるし、無理して味のわからないコーヒーにお金を出す必要もない。
 僥倖だ。

(2023.09.30)

日記

二〇二二年六月十日 晴れ
 たいていはテレビ、携帯電話、パソコン、あとは蛇口やシャワーの水だとかそういったものを媒体にして、死人の声が聞こえることはよくあることだけど、私のうちの場合、それは揚げ物をしているときが多い。
 死人の声が鮮明であることがそうないのは、まあ読んでいる人たちもご存知の通りで、迷信深い人は「死人と話すとよくないことが起こる」と注意するものだけど、そもそも何を言っているか分からないのだから会話しようがない。でも、稀にはっきり聴こえることがあって、そのときは頭でおぼえておいて、あとで日記につけておくことにしている。過去の日記の文章を、同じ日記に引用することも変な気がするが、今日からは人にみせる日記でもあるのだし、死人が言っていたことをここで引いておきたい。

「(……しゃわしゃわしゃわしゃわ)ばか、木を見て狐をみねえから(しゃわしゃわしゃ)ネズミ小路でタコ叩きにされちまったんだ(しゃわしゃわしゃわ)芋の入った鍋も煮えやしねえよ(しゃわしゃわしゃわ)畜生(しゃわしゃわしゃわ……)」(二〇一九年二月五日、くもり、トンカツ)

「(……からからからから)業務連絡、業務連絡(からからからから)本日(ぱちッ)北杜夫さん(からからから)寝間着十二点お買い上げ(からからからから……)」(二〇二〇年十二月二十三日、雨、天ぷら)

「(……ざーざーざーざーざー)うんうんうんうん(ざーざーざーざー)それで息子さん(ざーざーざーざー)ねえ、みずいろの(ざーざーざーざー)雨にねえ(ざーざーざーざー……)」(二〇二一年十二月三日、雨、冷凍フライドポテト)

 かぎ括弧のなかの括弧は揚げ物の音。こうやってみると、どれも意味不明でやはり対話は望めなさそう。また、雨やくもりの日が多いのも特徴的(今日は晴れだけど)。ちなみに、冬が多いのは、暑い日に揚げ物をしないだけのことなのでご注意を。
 さて、やっと今日の話。唐揚げをやっていたらとてもはっきり聴こえたので、ここに書いておく。

「(……かかかかかかかかか)おい(かかかかかか)おい(かかかかかかか)おいってば!(かかかかかかかかかかかかか)印鑑どこだ(かかかかか……)」

 びっくりして、「え」と返してしまった。どこだったっけな。

六月十二日 くもり
 図書館の本を開いたら、映画の前売り券が挟んであった。まだ、有効期限が切れていない。拝借しても良かったが、気がとがめたので司書の人に預けた。
 そういえば、私の小学校では、一時期図書室の本に手紙を挟んで交換することが流行っていた。手紙の挟まった本を偶然手に取った人が、その返信を書いてまた挟むみたいな感じで、何回か繰り返されると文通相手も固定化されてくる。そのうち、第三者からの検閲防止で暗号化されてゆき、開いたら記号が羅列された不気味な紙がでてくる、なんてこともよくあった。マナーとして、文通の交換に使われている本は当事者以外持ち出せないのだが、みんな『かいけつゾロリ』とか『花子さんがきた!!』とかに挟むからかなり困った。

六月十三日 くもりのち雨
 確かにこれでいなくはなるのだけど、実際に死んでいるところを一度もみたことがないキンチョー「蚊がいなくなるスプレー」をプッシュ。ネズミくらい大きいものなら死んでいても気づくだろうが、野良のネズミはみたことがない。
 びっくりしたのは、この間、「デスモア」という殺鼠剤をスーパーでみたこと。葛原妙子の歌で詠まれていた殺鼠剤がまだ売っていたなんて、と感動する。

Death(もっと) More(死を)なる褐色のくすり冬の夜のねずみを取らむ藥なれども

『薔薇窓』

 野良のネズミは見たことがないが、野良じゃないネズミならバーでみたことがある。雨の日に、スーツを着たネズミが女性をつれて入ってきたことがあったのだ。柿ピーのピーナッツを手でつまんで、目の前に近づけたり遠ざけたりしながら、「これ、殺鼠剤とちゃうよなあ」とつぶやき、つれの女の人を呆れさせていた。

六月十四日 雨
 間違い電話がかかる。「某市役所資金管理課出納係の××と申します。〇〇様のお宅でお間違いないですか? 給付金が当選致しましたので、お電話差し上げました」という具合で、イタズラなのか詐欺なのか死人なのかわからなかった。
 そのあと、F田から着信がくる(これは携帯電話、さっきは固定電話)。でると、なぜか関西弁がうさん臭く、今度こそ死人か、と思ったが、どうやらそういう話し方をしているらしい。なんでや。とはいえ、そういうことをする人だとは知っていたので、腹は立たない。

六月十五日 雨のちくもり
 ふつうは買い替えるもの、らしい。でも、とりあえずくもり止めで粘るっていう人も(ケチなら)多いと思う。
 鏡に自分以外が映り始めてひと月がたつ。最初は私の代わりに母親が映って、髭を剃るのに難儀していたのだけど、次に父親(これは髭が剃れた)、写真でしかみたことがない祖父、話でしか聴いたことのない曽祖父と血縁を辿っていく感じで、まだ親族ならくもり止めでなんとかなった。
 でも、郷ひろみ、西川ヘレン、亀井静香、浜口雄幸になったあたりから、くもり止めは効かなくなり、せいぜい親戚に戻る程度。もうだめかと思いつつ、買い替えるのも面倒くさいので今日まで放置していた。
 今日、歯を磨くために鏡を覗いたら、天才バカボンのパパがデカい口を開けていて腰を抜かした。もう限界か。ウナギイヌになっても困るので、買い替えることにする。

(2022.06.13)

その日はじめて聴いて好きになった音楽

 その日はじめて聞いて好きになった音楽を、その日のうちに飽きるまで聴きつぶす。それだけで終わってしまうような一日を、椿は二週間ほどつづけていた。床に置いたままにしている本を開いたところから二、三行だけ読むだとか、昔の手紙を引き出しから取り出して封筒を眺めるだとか、活動らしいことといえばそのくらいだった。あまりものも食べないので、少し身体も痩せてきて、咳をするようになっていた。

(2023.08.08)



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