竹林のくそガキ

 意外なことだが、住んでいた家の近くにはかつて竹林があった。小学校2年生とき、「生活科」の授業で、「身の回りのものを紹介しよう」という課題が出され、私は色鉛筆で竹林の絵を描いた。竹の絵は比較的描きやすかった。それから数年して、竹林は伐採され、住宅街になった。
 私と竹林との関わりといえば、これくらい。と言いたいのだが、もう一つある。いわば黒歴史と言えるもので、できれば隠したいのだが、恥ずかしい話、私は竹林の七賢を自称していた。高校3年生のとき、なんとなく教室に残って受験勉強していたメンバーが、ちょうど7人だったので、山川世界史にあやかって私たちは七賢を名乗り、LINEグループも作ったのだった。そして、一問一答を片手に山掛けをして騒いだり、入試問題の数式を黒板に書いて神妙そうな顔をしたり、大学での学びについて語ったり(と言ってジャーゴンを並べるだけの空虚な会話)していた。端的に言ってはた迷惑なやつらだった。
 高校3年生にホモソーシャルを先鋭化させるという話は、高校卒業後にもいろいろ聞いたから、あるあるなのだろう。各高校で男の子たちが、七賢やら五賢帝、はたまた諸子百家を自称していたと想像すると、やっぱり受験は団体戦だったのではないかと考えを改めたくなる。感じが悪く、爽やかなものではないが。
 竹林の七賢の交流は、教室の中だけではなかった。たとえば、国立大の前期試験の翌日、私たちは朝から山に登ることにした。積もり積もった鬱憤を山で晴らしたくなったのだ。山には竹林もあったし、七賢にぴったりだと思った。
 しかし、道中、すれちがったお年寄りの一行に挨拶をしたときのことである。少し立ち話をしていると、あろうことか「中学生ですか?」と尋ねられてしまった。山でもホモソトークに花を咲かせていた私たちは、冷や水を浴びせられた気分だった。慌てて高校生でしかも3年生の終わりだと否定し、向こうからも「若くみえたから」とフォローされて落ち着いたものの、客観的にみればそれほど私たちは成熟から遠く、垢抜けてもいなかったのだ。言うなればガキ。竹林のくそガキだったあのとき。

※テーマ「竹」のエッセイ

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