掌編小説「仕事道具」
紫色が蘭鋳の匂いで、クリーム色がメロンだった。そのほか二、三十種類の色の紙巻き煙草それぞれに匂いがあった。C自家製の缶入り煙草は、彼女の仕事道具で、仕事をしている間、彼女はこれをふかしていた。Cは自分の仕事をときにセラピーと言ったし、あるときは占い、またあるときはコンサルティング、そのまたべつのときは御用聞きと言うこともあった。その実、客によって言い方を変えているだけであって、彼女の主たる仕事は話し相手、と言うのが、私にはしっくりきた。
C自身は、私には占いのつもりで仕事をしているようだ。この自家製紙巻き煙草には、彼女の中で乱れている霊力を統御する作用があるらしい。
初めてみてもらったとき、Cは辞書を手渡して橙色の煙草に火をつけた。
「今日はなんで来たの?」
私は、さみしくて、と言った。
「辞書を適当に引いてみて」
そして、最初にみつけた単語を教えて、と指示した。煙草は夕焼けの匂いがすると聞いていたが、白湯の匂いがした。
目に入ったのは【蚕】という言葉だった。カイコの雌雄のイラスト付きだった。
あ、あんたついてるよ、カイコって天の虫って書くからね。
私は、惜しいな、と思った。「【邂逅】ならおもしろかったのに」
「こっちよりいいじゃない」と彼女は【解雇】を指さしていた。
その次も私はCを訪れた。なんだかついてなくて、と私が言うと、彼女は海の匂いがするというグレーの煙草に火をつけた。そして、タロットではなく、トランプのカードを切って並べた。
「神経衰弱やったことある? ヒントなしでやってみてよ」
当てずっぽうで二枚引くと、偶然一組揃ってしまった。Cは「すごいじゃん。あんたもこの仕事やってみたら?」と煙を吐いた。苔の匂いがした。もう一度引くと、今度は揃わなかった。
惜しかったね、また今度来てよ。Cの口から薄く煙が漏れた。
集中力がなくて、とCのもとへ足を運んだとき、彼女は木星の匂いがするというトルコ石色の煙草を吸っていた。
じゃあ、この水晶をじっとみつめて。
みつめているうちに、部屋はダージリンの匂いになった。
「なにもみえません」私が恐る恐る言うと、
「なにも映ってないからね」
あってるよ、とCは言った。
なんとなく、とCのところへ行った。彼女は血の匂いがするというが、本当は消毒液の匂いがする桜色の煙草に火をつけて、じゃあ、私の話を聞いていってよ、と言った。Cは新しい家を探していた。
そのあとも、なにかと理由をつけて遊びにいった。その度にCは、サーカスの匂い、月の匂い、銀の匂い、日陰の匂いのする煙草をくゆらしたが、実際の煙からは、火の匂い、新築の匂い、ほこりの匂い、湿原の匂いがした。
一人ですることがないから、とCを尋ねたとき、彼女は、今日でこの仕事をやめる、と言った。
「もうやめるから、どれでも好きな煙草、一本だけあげる」
私が蘭鋳の匂いのする紫の煙草にすると、彼女はメロンの匂いの煙草に火をつけた。メロンの煙草は、べっこう飴が煮える匂いがした。
私は蘭鋳の煙草を咥えて、Cから火を借りた。蘭鋳は泥の匂いだった。
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テーマ「煙草」①
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