「言葉の軽業、論理の飛躍」

自分の書いた文章に論理の飛躍があり、自分でも読めない、みたいなことがあり、やや落ち込む。運動神経も極端に悪けりゃ、不器用で、要領も悪い自分が人にまともにものを伝えられなくて、なにが残るってーの。なんにも残んないでしょーよ!

それはまあ大したことではなくて、表題の言葉。昔、テレビで見た、しかもその時点でも過去の報道映像だったと記憶しているが、だれのいつのなんの発言なのか、検索してもわからない。おそらく野党の国会議員が、閣僚だかの答弁に憤慨した際の発言だと推測する。でも、よくわからない。ご存知の方がいれば、ご連絡ください。宛先は……。

それにしても良い言葉だと思う。まず語感が良い。昔気質の野党代議士(かどうかは実際わからないのだが)らしい苛立ちを含んだ口調で発せられるのが小気味良い。「論理の飛躍」はクリシェだが、そこに「言葉の軽業」がくっつくと、大道芸的な意味が付加される。文脈なしにこの言葉を友達に教えた際、彼が「詩歌への賛辞の言葉」と捉えたのも無理からざることかな。アクロバティックな言語の使用が評価される局面がたしかにある。

テレビでなにげなく発せられて、そのまま消えていく言葉があると思う。でも、それが個人の意識を超えたところから発せられたとき、その個人にとって強烈な印象を残してしまうだろう。私の場合、たとえば井脇ノブ子(小泉チルドレンの元国会議員)がバラエティ番組で漏らした「ノイローゼになってきた……」。「ノイローゼ」が若い世代にとっても、精神医学にとっても死語になりつつある現在において、生の言葉として聞けたときの驚嘆たるや。あるいは、これは人づて聞いたのだが、炎の体育会TVで、あき竹城が外国人選手と対抗でゲームに挑む日本人選手に、「大丈夫。日本は昔、ロシアに勝ったのよ」と言ったらしい。これもとてもじゃないが、自分から発せられる言葉ではない。限られた世代の言葉だと思う。なんとも言えない味わいがある。皆さんもこういう言葉があったら教えてくださいね。宛先は……。

こういう言葉、そのまま小説とかに書いていいのかな。どこに使えるのかはまったく見当はついてませんが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?