暗さについて

 たぶん『不安の種』とかで読んだ、袋小路的怖さ。前方の角から曲がってきた怪異が、コマを進めるごとにこちらへやってくる。遠近法にしたがって大きく、はっきりみえてくる化け物から、逃げることができない。理解しようとする無意識が、足を止めてしまう。けれど、その正体がなにであるかわかるはずがない。私たちは咄嗟の悪意に対して、行動できないことを経験的に知っている。完全な袋小路ではないはずなのに、視点が固定されてしまう恐怖。

 パニックホラーの「え? は?」(そして死亡)的リアクション。唐突なアクシデントに人間はまともな反応すらできる余裕がない、ということなのだろう。昨日、真夜中の道を帰ったとき、私はちゃんと叫ぶことができるのかと思った。昨日、私は(雨が降っていたので)傘を持ち歩いた。なにかあったとき、これで自分を守ろうと構えている。が。

 アルバイト先のオフィスには幽霊がいるらしい、という話は特段怖くない。でも、そういう話を聞くと、いつもより気味悪く感じられる。山に向かって行く帰り道。道中の茂み。家の裏の真っ暗な貸し駐車場。藪に囲われた池。高架下がとても不気味で、遠回りして住宅地の方を回ったが、このあたりの人間は早寝するせいで、叫んだところでたぶんだれも助けてくれない。私は向こうの角からなにかがやってくる想像をして、傘を握る。

 かつて私は窓際で寝ていた。今は窓際で寝ていない。帰ってきて、食事を摂る。就寝の際、私は窓の方をみるのが嫌だった。夜は外にいるものが、中をのぞく時間。窓を後ろに寝ても、想像の視線が背中に張り付く。仕方なく寝返りをうつ。嫌だけど、だれものぞいていないことを確かめる。不眠症の不快な眠気が身体に溜まっていく。だんだんと外が白くなって、街灯の光と混ざる。邪悪なものの質量が小さくなり、明るいものの容積が増える。その比率が完全に逆転したとき、私は眠たくなっていた。

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