日記 20240922

 永井荷風『断腸亭日乗』の「日乗」について、森茉莉がなにかの文章に「どうやら日記のことを言うらしい」というようなことを書いていたのを読んで、明治生まれの人でもそう馴染みのある単語ではないのだな、と理解した。荷風のこの日記をろくに読んだことはないけれど、高校時代のPTA便りかなにかで、「先生のおすすめの一冊」特集のようなことをやっていて、教頭(当時教頭は二人いて、その片方)がこの日記の敗戦に関する部分を紹介しており、ほかの教員のものと比べても異様だったことをおぼえている。そんなわけで、私のなかの『断腸亭日乗』は、PTA便りのそうした風変わりな書評(?)とともに記憶されている、ある意味特別な本なのだが、うまく読み進められたことはない。

 今日はタスクを少し進められた日だった。退院して、ようやく復帰の目処がたったのはいいが、ものごとが思っていた10分の1ほどしか進まず、根気も続かず、抑うつ的になっていた(というより元々抑うつ的なのだが)ところ、少しステップを積んだような感覚だ。というか、元々ものごとがうまく進んだ記憶もなく、毎日学校に行くとか、課題を出すとか、テストを受けるとかに苦労したことはないものの、受験や就活などの長期戦のストレスマネジメントには滅法弱く、これを考えれば入院前の状態に戻されただけのような気もする。つまり、せっかく入院したのだから、入院前の余裕のない状態から脱しようというのが、今の目標のような気もする。
 今はいろんなことが面倒くさい。食事も面倒くさいから、家にあるお菓子ばかり食べているし、風呂に入るのも面倒くさくて、翌日出かけないのなら入らないこともある。風呂に入っても、髪を乾かすことはまずしない。身だしなみを整えるのも面倒くさい。髭を剃らないで家を出るし、眉毛も整えないし、服もその場にあるものを適当に着ている。
 日記を書くのも好きだったが、文章を推敲するのも億劫になって、長らく書いてこなかった。久しぶりにこれを書いている。本もそんなに読めない。

 最近は自分を励ますようになった。自分を励ますというスキルを覚えた。励ましてうまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。

 外に出ると涼しくて、「生きててよかった」と思った。上機嫌で煙草を吸ったあと、寂しくなって落ち込んだ。「18時になりました。暗くなる前に帰りましょう」というアナウンスが流れた。涼しくて嬉しいけど、冬は冬で怖いな。

◯今日思いついた部分ツイート
恥じらいの地雷の部分
組合の見合いの部分
アサヒビールの罅の部分
辛子蓮根の試練の部分
詠嘆の異端の部分
中華街の伺いの部分
逆転裁判の転載版の部分
気管支炎の帰還支援の部分
公認会計士のウニと貝の部分
特別の区別の部分
大阪大学の課題が苦の部分
シジミの地味の部分

明日は人と会う約束があるけど、行けるだろうか。

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