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愛するとは、「意識を向けること」なんだな。


ほこりを被ったバケツを部屋の奥から引っ張り出し、きれいに洗います。

目的は、毎日使っているコップのくすみを取ること。


バケツの中へ、小鍋で沸かしたお湯に重曹を溶かし入れ 7分目ぐらいまで水を張り、いつも使っているコップや皿を入れる。
まだきれいだと思っていた、数か月前に購入したマグカップも。


1時間ほど経ってから、こすり洗いしてみると・・
 
きれいに落ちる!

ここはきれいだよね、と思っていた箇所も
ためしに擦るとさらにキレイになるので ああ、汚れていたのか・・と気付きます。

一か所が真っ白くなると、
もっと白い部分を見たくて その周辺をゴシゴシとこする。
白さが広がっていく!
  
止まらなくなって、カップを1つ 内側も外側もきれいに。
そして美しい姿を早く見たくて、水で洗い流し 乾いた布で水滴を拭う。

灯りにかざして表面の光沢に見入り・・指で触る。
キュッ!と指が止まります。

ああこの、指がキュッ!と止まる「新しいモノ」の感じ、最近味わってなかったな。
毎日使って 油や手垢が、カップにうっすら残ってたんだな。
 


あれをしなければ・・

これについて考えないと・・

あ!これまだ手をつけてなかった・・

次々と浮かぶ課題と、完成までの作業工程。

そして、処理すべき量に作業スピードが追いついていない自分が嫌になり、
食器同様 気持ちも澱(よど)みつつありました。
  
家族と過ごす時間も、
もっと効率的に作業する仕組み作りも、
大きなことから小さなことまでやりくりをしなくては。。。

眠気と格闘しながら、
さあ、どうする?
今日は何を形にすれば自分に満足できる?
と自問自答の毎日。
  
インプットとアウトプットが息をするように身についている人を見ながら
素晴らしい!と感嘆し、「さあ、あなたは何を形にする?」と自身にプレッシャーばかりかけていたことに気づきました。


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いつも使うものを気持ちよく使えるよう手入れすることは、
「自分を大切に扱う」ということなんだな。


磨き、洗い、拭くという手間ひまをかける。
そこに意識を向けるということはすなわち、「自分へ意識を向ける」ということ。


今回「自分が毎日使うものを手入れする」という行動をしてみて、
そこから得られた“精神の落ち着き”に驚きました。

身の周りのものを手入れするということは、”自分へ意識を向ける”こと。

そして意識を向けるということは、愛することなんだ。


このところ ”前進・広がり”へ意識は向けていたけれど
その先(=なんのために?)にどれだけ向けていただろうか?と自問しました。
最近、自身に対して丁寧に接してこなかったように思います。

そして、自分を大切にするためには「身の周りのものを手入れする」というやり方がある、と気づいた出来事でした。


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