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【Day4イタリアバール巡り カプチーノの差/案内のある旅】

Ciao!
4日目折り返し、あっという間にシチリア3日目。バール巡りは朝7時から。地元民しかいなそうな店に突撃。今回のイタリア初のコルネット・ピスタッキオ。いつも朝のバールでこれを食べてた気がする、ただいまイタリア。


宿のお姉さんに教えてもらったカターニア伝統の市場に移動。店が500軒くらいありそうな大規模市場。食べ物だけじゃなく服、キッチン用品、本、靴などどんな店でもござれ。
怪しいパンツに量り売りオリーブとピクルスを頼む、もお目当てのピクルスに入ってるアーティチョークは手に入らず。伝え方が悪かった。食い下がる力を身につけたい。



気を取り直して教えてもらったバールを2軒ハシゴ。
続けてのカプチーノ。
イタリア人の朝はカプチーノ。
カプチーノの「違い」を意識したことがなかったので、飲み比べてみる。
分かったことは「店によって全然違う」もっといえば「誰が入れたかによって全然違う」ということ。
飲み終わった後のミルクのフォーム(泡)の残り方は全然違うし、豆によっても泡の具合によっても口に入れた瞬間のアタックの違いは千差万別、一定が存在しない。
「それでいいのだ」という声が聞こえてくる。それを楽しみながら「この店のこの人が入れるやつが好きだ」になっていくんじゃなかろうか。ラーメン屋、蕎麦屋の選び方の要素に「誰がつくったか」まで加わって、好みが100人百通りになる。
そうして「ミオバール(私のバール)」が見つかっていくわけだ。しかもおそらくイタリア人は「誰がしゃべっているか」もその採点要素に入れている気がする。より複雑化した「どの店の誰が入れて、それを待ちながら飲みながら誰としゃべれるか」が「ミオバール」への道なのだろう。ここまでくれば好き嫌いの存在は不可避だ。



宿をチェックアウト、いざ南のシラクーザへ。カターニアからは1時間、ちょうどいい距離。
なぜシラクーザか。なんと学生時代からの友人の友人(日本の方)が住んでいるという。
今回シチリアを訪れるに至ったのもそのおかげだったり。僕の旅の真骨頂が「人に会いにいく」なので、はじめましてはちょっぴり背筋に効くけど楽しみが勝つのです。

シラクーサ到着。バスを降りて気づく。どこかで携帯のバッテリー無くした。。。ものを無くすのが得意技なのはよくよく分かっているけれど、もはや止められない特技。この前買ったばっかりなのよ…無くすから買うのやめたみたいなところあるのに…。旅先でも無事にやらかしました。

気を取り直してお会いする方のこれまた友人の宿へ。
Saraはご両親がシチリアの生まれ。長い期間はシチリア外で過ごし、お父様の仕事が落ち着いてまたシチリアに戻ってこられたと。
この3日はドミトリー生活だったので、それ自体は悪くなかったけど、こうして1対1の関係性ができる宿泊の価値がまた身に染みる。

到着してオススメのバールに案内してもらい、ここでもアランチーノ。朝も実は一個ジャンボなやつを食べている。
ちょっと入るか不安なお腹が飽きないように見たことない「ピスタチオ味」にチャレンジ。甘いのか?否、勘違い。ベシャメルソースとピスタチオで大人な味わい。

と、それだけで終わっていたはずの体験だがSaraがいることで新しい展開。「この辺りではピスタチオやアーモンドがとれる。ピスタチオのアランチーノはシチリアの他のエリアじゃ食べられないのよ」。
うおー、こういうのだよ。旅人だと上澄みだけで情報が流れていってしまうところを、手を借りてちょっと深く潜らせてもらった感覚。
こういうのが塵も積もって「このエリア好き」になっていくんだ。貴重な気づきをありがとうございます。また日本に持って帰る経験ができた。

ここからは夜まで一人行動。いかにも地中海な風景に、バカンス(休み)に来ていることを思い出す。今はあんまりがんばらないでおこう、それがきっとバカンスだ。


ジェラートを食べて、コープで量り売りの惣菜を買い、シラクーザの瓶ビールを購入して宿で時間を過ごしてみる。
他人の目を気にせず過ごせることの贅沢さが、飛行機内泊、ドミトリー泊の続いた旅先で身に染みる。

夕方には動く気になってきたので今回初のアペリティーボを試みる。
ふらっと吸い寄せられたバールにビッラ・アルティジャナーレ(クラフトビール)のサーバーがあったのは大正解。バールで飲むアッラスピナ(樽ビール)は安さも相まって価値が大きい。


バールで飲むアペロールスプリッツもまた格別。適当の中にだけ宿る良さというか、至極庶民的な飲み方をするからその飲み物も輝くということがあると思う。



さて時間になりエノテカ(ワインの店)へ。ここでやっと、件の友だちの友だち、あんなさんにはじめまして。
旅先の日本語は時空が歪んで和む。ご縁に感謝だ。
宿のオーナー2人と4人でCena(夜ご飯)。ずっと一人で動いているとこういう瞬間に安心できる。人とご飯を食べることで救われる心がある。僕が実際にそうなのだから、それが再現可能だと信じている。


ワインを2本あけて、こちらは夜ご飯前の軽い飲みの位置付け。ご飯を食べに少し離れた海沿いの店へ。
イカした空間で地元民がワイワイやっている。
あんなさんがここの常連で、すぐに赤ワインの手書きリストが出てきた。メニューに無いやつを紹介してくれる関係性というのは粋で憧れる。

1軒目のエノテカは若いご夫婦が買い取って引き継いだ店。
2軒目のレストランはスキーもやるガタイのいいお兄さん(ひょっとすると同い年くらい)が経営する活かした店。
こういう若い人が地域で店を開けて人気になる流れがシラクーザにもあるとのこと。
日本でも同じ動きはあるわけで、都市ではない場所を求める動きが、若い世代に理解されているということだろう。
僕も彼らを見習って取り組みたい。

「マサのやりたいバールはどんなところなんだ」とGiovanniが聞いてくれた。僕なりに伝えてみたら、「社会性のある場所」というのがきちんと伝わったらしく、「小さい場所で、小さなまちでやるのがいい」とアドバイスをくれた。海を越えた場所でイタリア人に僕の思うイタリアのバールの良さを語り、返答をもらう。贅沢な時間を過ごして、アペリティーボからの十分な飲酒量に身体が今日の終わりを告げる。
「今日は良い酒を飲んだ」。こんな今日のような経験ができる場所をつくりたい。



宿に帰った後に、Giovanniが秘蔵のジャパニーズウイスキーをご馳走してくれた。良い雰囲気にリラックスして今日が終わる。


みんな日々を生きている。生活の中に仕事や食事や趣味があって、苦しみに時に向き合い時に目を背けて、生きつないでいる。
そこに人間の生活の真実があって、誰にだって背景が流れていて、この瞬間に目の前に立つその人の一面だけを互いに見つめている。
少しだけ背景が顔を出す時、人のことがさらに少し理解できた気がする。そこに「優しさ」が生まれるんだと思う。
僕はそんな「優しさ」がカウンターの向こうに生まれる舞台をつくりたいと、この夜を通じて思うことができた。
長い1日が終わる。

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