焼肉と愛

最近焼肉に行っていない。
私は焼肉が大好きなのだけれど、ひとりで行くのは量が多すぎるのだ。(お酒でつねに胃が荒れているので最近めっぽう少食になった)

私は酒飲みだが、焼肉と向き合うときほとんど酒は飲まない。焼いたり食べたりするので忙しすぎて、飲む暇がないのだ。(書いてから焼肉の時の写真を見返したら、ほとんどメガジョッキでお茶割りを頼んでいた。普通の居酒屋よりは飲まないという意味です)

どんどん焼いて、どんどん食べる。
焼き鳥は塩派なのに、焼肉はなぜかタレ派なのだ。脂の焦げた香りと白米にはタレの方が合う気がする。
いつもは炭水化物は少し食べただけで苦しくなるのであまり食べない。でも焼肉には白米が必須だと思う。お酒を飲む暇はなくても白米を食べる余裕はあるのだ、なぜか。
目の前で、自分で肉を焼きながら食べるのは愉しい。よく行くうちに断然炭火のほうがよい、とか内臓系のほうが好き、とかもわかってきた。

焼肉をしている間、ただ作業をしながら食べているだけなのに相手と特に親密になったような気がしてしまうのも焼肉の醍醐味だと思う。
というかそもそも、親密な相手がいないと焼肉を食べたい!の欲求も少し薄れる。
焼肉を食べたい!ではなくてあなたと焼肉がしたい!なのだ、多分私にとっては。

なので打ち上げ!や祝勝会!での焼肉はあまりピンと来ていない。初デートでの焼肉も。
書いていて気づいたが、私にとって焼肉は完全にハレの日のたべものではなく、「ケのなかのハレ」としての位置づけなんだと思う。
はらぺこの同居人となんとなくすっぴんのまま外食するときに食べるとか、長く付き合った彼氏と「肉食いて〜」って言いながら焼肉店に吸い込まれるとか。

ちょっと心が浮き立つがあくまでしっぽり、火を挟んでチルしつつ好きなものを飲み食いしたい。となるとサラダのとりわけや焼き係をやるやらないで気を使わない相手がよい、人数は2、3人がよい、というわけです。

私がよく焼肉に一緒に行く女性たちは皆テンションが程よく低くてよく食べる、焼肉奉行でビール党の人たち。大体サシで行く。
彼女らは会の最中、完全にリラックスしている様子で大変良い。私にもいつものんびりした、なんなら少し気だるげとも言える空気が伝染して心地よい。

そしておそらく人生で一番一緒に焼肉をしたのは前の彼氏で、焼肉の楽しさを知ったのも彼と行ったのが最初だった。
彼は注文、焼き、取り分け、皿の片付けと全てのことをてきぱきとやってくれ、「これ焼けてるよ」「はやく食べないと焦げるよ」「最後いっこ食べな」などと甲斐甲斐しく世話をしてくれた。私はそれをニコニコ眺めながら、すっかり安心しきってモグモグ肉を頬張っていたのだった。

そんな私も昨今は人に肉を焼く場面の方が多い。最初は彼、(焼肉奉行の)彼女らの見よう見まねだったがもうかなり板についてきた。
火を前にいつもより少しはしゃいでいる友人たちに上手に焼けた肉を取り分けながら、なぜかいつもより彼らに愛情を感じてしまう。

人に食べ物を提供する行為、育児を想起させるのでインスタントに母性本能のようなものが満たされるのかもしれない。せわしなく焼いている最中にはなんとなく増幅した愛情を感じるだけだったが、冷静になってみるとそう思う。
焼く側の人生も選択できて良かった。

焼肉の話をしようと思ったのに人生と愛の話になってしまった。私っていつもそう…!
話がもっと大きくなりそうなので、まだ見ぬ焼肉(を楽しめる間柄の)友達に思いを馳せながら今回はおしまい。

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